47.歴代の大魔法使い
目的の駅につき、カルとアーモイは汽車を降りた。長い旅だった。ファウストの一件で、ふたりはもうくたくただった。
改札をくぐると視界がひらけ、石畳のロータリーに出た。そこから放射状にいくつかの道が出ており、道の両側には石造りの家々が立ち並んでいる。かなり大きな街のようだった。
街の雰囲気も明るくにぎやかで、ロータリーでは人を待っている様子の人々や立ち話に花を咲かせるいくつかのグループがあった。
家々に目を移すと、ある家では女の人がベランダで鉢植えに水をやっている。そのベランダから向かいの家へ色とりどりの三角旗が渡されている。その下の道には普段着姿の人々やスーツに身を包む人々等、多くの往来があった。学園では教師も生徒も全員ローブ姿だから、その光景は今のカルには新鮮だった。
そこには街の活気あふれる日常が広がっていた。
——ここが、俺が生まれ育った街。
街の様子を眼前にして言葉を失うカルの様子を見て、アーモイは言った。
「自宅まで送るでごあす」
「ん? あぁ、いや、これ持ってるから大丈夫だ」
カルはローブの内ポケットから折りたたまれた紙を取り出し、それを開いた。紙面に魔法で映像が映し出されている。街並みの映像だ。カルが歩くのに合わせて映像も動く。
「魔法アイテム、『
目的地に向かう道のりの、今から数歩先の映像を映し出す。それに従って歩けば目的地にたどり着く。エミが貸してくれたのだ。
「しかし、目的地まで残りあとどんくらいかがわかんねえのは地味にストレスだな」
「ははは、まあ、そのアイテムの唯一かつ厄介な欠点でごあすな。カルの実家までは十分とかからぬから心配するなでごあす。では、おいどんはこっちなので、ここで。また、そちらにも顔を出すでごあす。しばらく滞在するのだろう?」
「ああ、しばらくはいる予定だ」
「では」
カルは夢中の歩図が映し出す映像に従って街を歩いた。途中、歩図に集中しすぎて人に何度かぶつかった。「あら、カルじゃない。今、学園はお休みなのかい?」なんて声をかけてくる人もいた。もちろんカルはそれが誰だかわからないので、適当に相槌をうってごまかした。当然、怪訝な顔をされたが、先を急いでいるふうを装った。
しばらくして、ようやく自分の家とおぼしき建物の前に到着した。
周辺に立ち並ぶ家と似た造りで、魔法界を代表する名家が構える住処としてイメージしていたものとは違った。フォグランド家は庶民的なのかもしれない。
玄関の扉の前に立つとカルは緊張した。
ここが、——
もちろん記憶はなかった。そのことがよりカルを緊張させるのだった。
扉をノックする。
「はい、どちらさんで!」
扉が勢いよく開いて、中から女性が出てきた。声が大きく、ふくよかで豪快な雰囲気の女性だ。あまりの迫力に圧倒されのけ反ったカルは、あやうく玄関ポーチから転げ落ちそうになった。どうにか踏みとどまり、ふぅとひと息吐きだす。
改めて女性の方に視線を戻すと、カルの胸にはたちまちなんとも言えぬ感情がわきあがってきた。懐かしさと強い愛着に、悲しみや惨めさがないまぜになった不思議な感情だった。いつものように何も具体的な記憶とは結び付かないのに、感情だけがみるみる膨らみ、どういうわけかカルの両目には微かに涙が滲んだ。
「あら、カルじゃないか! 聞いてるよ、記憶とシンシアがなくなっちまったんだって? なに珍妙な顔してんだい。あんた、ちょっと泣いてんのかい? まあ、とりあえず上がんな。今ちょうどケーキ焼いたとこだよ。おまえの大好きな、レモンのパウンドケーキさ。飲み物はコーヒーがいいかい? それとも、紅茶かい?」
「は、はい。……あ、うん。じゃあ、コーヒーで。ありがとう」
「なんだよ、そんなかしこまんな。親子なんだからさ」
背中をバンとたたかれ、今度は前につんのめるカル。たじたじしながらも自分の生家へと足を踏み入れた。家の中から微かにレモンの香りが漂ってくる。カルは玄関から家の中をひとしきり眺めたが、何も思い出せなかった。せつない気持ちが胸に充満する。
「あんまり考え込むんじゃないよ。記憶とシンシアがなくたって、カルはカルさ。ほら、つっ立ってないで、中にお入り」
母のカラッとした言葉のおかげで気持ちが軽くなるのを感じながら、カルは部屋の中へ案内された。
促されるままテーブルにつくと、切り分けられたケーキが差し出された。
「コーヒーだったね」
と言って、母はキッチンの方へ消えた。
母を待つ間、カルは部屋の中を見回してみた。
生活感はあるが、きれいに整えられている。掃除を欠かさないのだろう。カルは家庭的な母を想像した。あるいは、今は姿がないが、メイドさんを雇っているのかもしれない。派手な建物ではないが、ここは魔法界随一の名家なのだ。
視線を高い位置に移す。歴代のフォグランド家当主だろうか、壁の高いところにグルッと立派な顔写真が飾られている。
視線を少し落とせば大きな暖炉があり、中で薪がパチパチと音を立てて燃えている。旅の道中、身体が冷えていたので、暖炉の温もりはここちよかった。
暖炉の上には写真立てがいくつか置かれてあり、写真が飾られている。ひとつは家族写真のようだった。父母と子どもの頃のカルが写っているようだった。その他、五つの写真には、それぞれにひとりずつ人物が写っている。
カルがまじまじと見つめていると、母が戻ってきた。
「あぁ、それかい。それは、歴代の大魔法使いの肖像さ」
「大魔法使い?」
「そうさ。これまでの歴史を振り返るとね、世が何らかの危機に瀕しているときに、どこからともなくポッと天才が現れ世界を救うなんてことが何度かあったのさ。血や家柄に関係なく、突然変異的に天才が生まれる。彼らのことを後世の人々が大魔法使いと呼んだってわけ」
カルはもう一度その五つの写真をひとつひとつ眺めてみた。百歳を超えると言われても疑わないくらいの老女、縮れ毛の端正な顔立ちの青年、聖女のように美しい女性、五歳か六歳くらいの無表情の男児、夢を湛えるようなキラキラした瞳を持つ少年。……最後の人物だけカルは見覚えがあるような気がした。しかし、どこで見たことがあるのか思い出せなかった。
「歴史上、大魔法使いと呼ばれたのはその五人と——」
母は壁に飾られた顔写真の方を指さした。
「マスターズ・フォグランドと、それからその妻、サラ・フォグランド」
もちろんこれらのことは記憶を失う前のカルは知っていたのだろう。カルが記憶を失っていることについていちいち驚いたり、気に掛けるそぶりを見せたりせず、当たり前のことのようにイチから説明してくれる母の気遣いに、カルは心が安らぐのを感じた。
「マスターズの妻も……?」
「そう。学園の歴史のお勉強なんかではマスターズしか出てこないかもしれないけどね、マスターズが真の力を発揮するには妻サラの特性が欠かせなかったって話だよ。ふたりの特性が合わさって新たな特性が生まれる——そんなことは他に例をみない。よほど、相性のいいふたりだったんだろうね」
「新たな特性?」
「そう。マスターズ・フォグランドの特性は【全能】。一方で、サラ・フォグランドの特性は【全知】。それらが合わさると?」
「……全知全能」
「そう、全知全能。つまり、【神】の特性になるのさ」
母は一拍置いて続けた。
「カルは脈々と受け継がれるその血を継いでる。特性は代によってさまざま変わるけど、カルが【万能】なんて破格の特性を有しているのもそのためだよ」
母はそこでニコリと笑った。なんでも受け入れてあたたかく包み込む、広い海のような笑顔だった。
「それはさておき、ほら、焼き立てのおいしいうちに食べな。コーヒーも冷めちゃうよ」
「うん、そうだね」
カルはケーキをフォークで切り、ひとかけ口に運んだ。レモンの甘酸っぱさが口の中に広がる。確かに、とても好きな味だった。
「おいしい」
「あたりまえさ。あんたが小さい頃から、何百、何千、何万と作ってんだから」
「何万?」
「まあ、それはちょっと誇張がすぎたかねえ」
と、きまり悪そうにする母を見てカルが思わず笑うと、母もつられるようにして笑った。
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