14.マンイーター
「よし、このへんにしよう!」
シュミット先生が掌を一回パチンと叩いて合図した。そして、大げさな身振り手振りを加えながら、大きな声で説明を始めた。
「基礎呪文は特性とは全く別物だということは既に教えた通りだ。きみたちは各々、素晴らしい特性を持っているが、今きみたちが感じている通り、基礎呪文にはまた別の難しさがある」
シュミット先生は両手を大きく広げた。まるで、悩める娘に「大丈夫。きみは素敵だよ。さあ、この胸に飛び込んどいで」というように。もちろん、誰も飛び込んではいかないが。
「基礎呪文はきみたちに最も早く身に着けてもらいたい技術である。それは、基礎呪文は、その名の通りすべての魔法の基礎となるからだ。とりわけ、敵から身を守るために必要な応用呪文を学ぶために欠かせない土台となることも、この講義が重要であることの理由のひとつである!」
「敵から身を守る?」
生徒のうちのひとりがそう言うと、シュミット先生はしまったというように顔をひきつらせた。
「ま、まあ、物のたとえだ」
明らかに何かをごまかしているシュミット先生を尻目に、ポイファンが叫んだ。
「は! お前らまさか、知らねぇのか!」
「ブラッドフィールドくん、静かに」とシュミット先生が言ったが、ポイファンはおかまいなしだ。
「
しかし、教室中の生徒がきょとんとして、ひとりとして明確な反応を示す者はいない。
「ブラッドフィールドくん、やめなさい」
「先生、これが平静でいられますか! こいつら、そろいもそろってマンイーターのことを知らないんですよ! もしかすると、いや、確実に、かつて友達の何人かをやつらに喰われているというのに!」
怒声を放ちながらポイファンは薄笑いを浮かべていた。人を見下すときに浮かべるような笑みだ。ポイファンが今主張しているのは、同級生の無知への驚愕や警告というよりは、誰よりも世の中の事情を知っていることへの優越感のように見えた。その証拠に、何度もちらちらとカルの方に嫌味な視線をよこすのだ。
当たり前だが、カルはマンイーターなんて知らない。
「でも、そんなの一度も見たことないよ」と生徒の一人が言う。
「ふん、お気楽だな。それは、大人たちがこれまで慎重に俺たち子どもを守ってくれていたからだ。知ってるか? 魔法学園に通えている子どもたちは、この世に産み落とされた子どもの七割にも満たないんだ。これまで、友達が急にいなくなるのを経験しなかったか? 兄弟が、急にいなくなるのを!」
「どの家庭にも親の転勤はよくあるから、それで……」
生徒の一人がか細い声で言った。ポイファンはそれを鼻で笑った。
「そうやってごまかされてるだけなのさ。本当は、家族もろともマンイーターに殺されたんだ。喰われたんだよ」
「そのくらいにしておきなさい、ブラッドフィールドくん。きみは心のコントロールが課題のようだね」
そのとき、生徒のひとりが誰に言うともなく呟いた。
「コトちゃんも……まさか」
教室中がざわめき始めた。
エミの様子もおかしい。背を丸め、胸の前で両手を握り合わせるようにして、肩がこきざみに震えている。
「どうした……? エミ」
カルが声をかけても、反応がない。やがてエミはぽつりと言った。
「ビル、事故で亡くなったって……」
「ビル?」カルが言うと、エミはかすれる声で言った。
「私の……、弟よ。あるとき急にいなくなって、私は両親から事故死って聞かされてて」
カルは驚愕に身を固めた。
すると、シュミット先生は手をパチパチと何度か叩き、「すまなかった。僕の不適切な発言で、みんなを不安にさせてしまったね。大丈夫。確かに、今ブラッドフィールドくんが言ったことは嘘ではないが、きみたちは生きているし、みんなの知り合いやお友達も必ずしもそうだったとは限らない。本当の転勤もあるし、不幸な事故もある。悲しいことだが、生きていれば不運は避けられない。いずれきみたちにも真実が知らされる時が来る。今は、せめて自分の身は自分で守れるように、技術を磨くことだ」
ポイファンは得意げに鼻を鳴らし自分の席でふんぞり返った。ただ笑うだけで、もう何も言わなかった。
シュミット先生が説明を続ける。
「マンイーターについては別途講義が組まれていて、それまでもう一ヶ月もないくらいだったんだ。毎年、その講義を聞いたあと、生徒たちは今のきみたちのようにショックを受けるよ。まったくそれは仕方のないことだ。ただ、きみたちはまだ、一にも二にもきっちり魔法の基礎を身に着けてくれたまえ」
教室のざわめきは静まらなかった。こんな説明で気持ちの整理がつくはずがない。
しまいには、ポイファンが他の生徒にいたずらを働き、授業はいよいよ収拾のつかないものになった。
気が弱そうな男子生徒のぬいぐるみのひとつにポイファンが何かの魔法をかけると、ぬいぐるみが暴れだす騒動が起こったのだ。猿のぬいぐるみがウキウキ言いながらご主人(男子生徒)をポカポカ殴ったり、尻尾でもてあそんだりしている。
エミがすかさず「やめなさいよ、ポイファン!」と男子生徒をかばった。身内のことで精神的に乱れているのに、それでもエミは他者をかばった。
エミはいつでも弱い者の味方なのだ、とカルは思った。カルに対しても、ペリッツで箒から落ちて気を失ったとき、付き添ってくれた。カルは本当のところ、エミが自分に何か特別な感情を持っているのではないかと、頭の片隅で思わなくはなかった。けれど、それは勘違いだったのかもしれない。そう思ったとたん、そこに穴があればすぐさま飛び込んでしまいたいほどの恥ずかしさが胸に込み上げてきた。
先生はポイファンのいたずらを叱った。たしかにポイファンの態度はいただけないところも多いが、それ以上に、カルはポイファンの魔法の才能に圧倒されていた。それに比べ、自分が何の魔法もできないことに絶望した。
何故自分はこんな目に合わなければならないのかと思った。記憶を失い、魔法の技術を失い、けれどフォグランド家であることで双肩には思いもよらない重圧がのしかかっている。
カルはこの感覚に覚えがあった。妙に馴染みのある感覚だった。同時に、とても嫌な感じがした。いわれなき重圧……。
そして、極めつけはマンイーター。なんだよそれ、意味不明だぜ。そんな恐ろしい世界なのかよ、ここは。
身の回りの全ての事実が、自分を不遇に追いやっているように感じた。
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