5.できそこない

「こ、これ、マジ? ちょっとヤバイじゃん! ……うっ、」


 言いながら恵美はこらえきれず嘔吐した。あたり一面、どこを見ても人の血や肉だ。常人が正気を保てる景色ではとてもない。

 恵美は吐き気と闘いながら、拓斗が振り下ろした右手に握られているものに気づいていた。

 それは、いつもとは明らかに異なる強度で発光するスマホだった。

 這う這うの体で拓斗に近寄る恵美。


「ちょ、ちょっと、それ見せて」


 そして、恵美は信じられないというふうに目を見開いた。

 先ほどの拓斗の詠唱がAIチャットアプリに入力されていた。それに続くAIの返信はこうだ。


<詠唱を承りました。魔法を発動します。>


「こ、これって……」


 恵美が拓斗を見ると、拓斗は奇妙な表情をしていた。目は光を失い死んだようなのに、口もとは微かに笑っているのだ。

 恵美は全身に震えをきたした。


「ちょ、ちょっと、助け、呼んでくるから!」


 恵美が足をもつらせながら走り去った。


「ご、ごめんね。また、あとで!」


 腰が抜けて尻もちをついていた遥海も、慌てて立ち上がり、恵美のあとを追った。


 次の瞬間、拓斗の目に生気が戻る。

 拓斗がはっとしたようにあたりを見渡した。周囲で起こっている惨状に対して理解が追い付かない。うろたえるように足をもつらせてあとじさる。

 まだ幾人かには息がある。闇夜のなか、苦しみに悶えながら空に手を伸ばしている。助けを求めるように。血の海の中から。


 拓斗は自分の右手のスマホに気づき、画面を確認する。異様に眩しく光っている。目を凝らす。画面から得られる情報は信じがたかったが、目の前の光景と照合すると、欠片も信じないというのは難しかった。

 そして、自分の感情。自分は、これを望んでいたような気もした。殺してやりたいくらい、親族らを憎んでいた。


「ふふふ、ふははははははは! はーはっはっはっは!」


 突如、何者かの笑い声が聞こえてきた。


「拓斗、まさかお前が成し遂げるとはな」


 黒い影が、拓斗の前に現れた。

 拓斗は驚きに目を見開いた。


「おやじ……どうして」


 それは、拓斗を捨てた父親だった。科学界の実質的トップ。AI開発の第一人者。


「私の目はずいぶんと鈍っていたようだ。何をやらせてもダメなできそこないのお前からは何の可能性も感じなかった。早々に見切りをつけたのだったが……」

「できそこない……」

 拓斗の声が口の中から小さく漏れた。

「まあ、なにはともあれ、これで私のこれまでの努力が報われる」

「できそこない……できそこない……」

 拓斗は何度も、何度もその言葉を繰り返した。

 拓斗の目はうつろでどこを見ているか分からない。その目からは次から次に涙があふれ、頬を伝った。

「できそこない……。俺は、ただ…⋯俺たちはただ、必死に生きていただけだ」

「ふん。必死に生きるなど、誰にでもできる。お前たちは、この天才とともに過ごす幸運を無駄にしたのだ」

「お前たち? 母さんのことか⋯⋯? かあさんのことかぁぁぁ!!!」 


 拓斗は雄叫びを上げた。拓斗の表情はもはや憎しみに満ちていた。


「クソおやじ、殺す!」


 拓斗はそう言うや、すかさず詠唱を始めた。

 

「……獣よ、……抑え込めていた怒りを、解き放て!」


 嗚咽交じりに、しかし、語尾にははっきりと力がこもる。目がキッと見開かれ、今度はまっすぐ父親を睨みつける。スマホを力強く振り下ろす。

 刹那、拓斗の父は胴体が横にまっ二つに切断され、辺りに血しぶきが舞う。


 そこで、遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。近づいてくる。ここに向かっているのだ。恵美たちが呼んだのかもしれない。あるいは、騒ぎに気づいた通りがかりの人が呼んだのかもしれない。わからない。


 拓斗は駆けだした。無心だった。訳の分からない状況だが、逃げる以外の選択肢が思いつかなかった。途中でたくさんの血だまりを踏んだ。たくさんの死体に躓きそうになった。それでも走った。

 赤信号に気づかずに車道に飛び出してしまった。運悪く大型トラックと鉢合わせ、拓斗は強い衝撃と共に吹っ飛ばされた――。

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