第5話 ダンジョンに青春はつきものだ


 県立干支かんし第一高等学校。

 日本中どこにでもありそうなステレオタイプな学校だ。しいて特徴を挙げるとすれば、校舎が小高い丘の上にあるため眺望こそ良い物の、通学が少々大変なことを生徒に愚痴られているところだろうか。

 この少し古ぼけた校舎が百太郎の通う学校である。


「……おはよう。」

「おはよー。」

「おーす。」

 戸を開けて教室に入り、入り口付近に屯している学友に挨拶を行えば、軽い調子で返事が返ってくる。


 教室は一般的な大学の講堂のように床が傾斜しており、横長の机が段々に並べられている。

 百太郎は淀みない足取りで、窓際の最後列の席。そこに座る男女二人組の下へと歩いてゆく。


「……おはよう。」

「おー、モモ。おはよ。」

「オッハー、モモ!」

 百太郎の挨拶に、男の方は朗らかに、女の方は元気よく返事を返す。


「なあ、今朝のニュースに出てた大洗大洞窟ダンジョンのイレギュラーって、土日に潜るって言ってたところじゃなかったか?」

「……うん、しっかり巻き込まれた。」

「やっぱりかー!」

 行かなくて良かったと安堵の声を上げる彼の名は野狐台創やっこだいはじめ

 明るい金髪を無造作に遊ばせた、非常に整った顔立ちをした美少年だ。

 平均よりも高い身長、細身ながらも引き締まった身体、まるで王子様と形容できそうなやさしげな顔。傍から見ても、とてもモテそうな雰囲気を醸し出す彼は、百太郎の幼なじみの一人だ。


「いや、ニュース見てめっちゃビビったわ。マジで行かなくて正解だった。」

「オガキンとか湧いてたんでしょ?モモならともかくあたし等じゃちょっちキビシかったかもしれないしね。」

「だな。下手しなくても大怪我、最悪死んでたな。」

 創の言葉に同調する彼女は猫実りんごねこざねりんご

 緩い癖毛の金髪と、小麦色に焼けた肌から、どこかギャルっぽい印象を受ける美少女だ。

 彼女の特徴といえば、なんと言っても制服を大きく盛り上げるその胸部だろう。服の上からでもその質量を窺い知れるそれは、りんごどころかスイカと形容できる。

 彼女もまた百太郎の幼なじみの一人だ。


 ちなみにモモとは百太郎のあだ名である。


「……うん、大変だった。

 オガキンもそうだったけど、調査依頼が面倒だった。」

「え?後始末まで巻き込まれたん?」

「……当事者だからって、こないだイエロー貰ったばかりだったから断れなくて。」

「あちゃー。」

「……日曜日まで駆り出された。」

 休みが潰れたと嘆く百太郎の両肩にそれぞれの手が添えられ、ドンマイと言わんばかりの同情の視線が注がれる。


「まあ、それで貢献度も上がったろうし、グリーンも近いだろ。」

「そーそー、ポジティブポジティブ。」

「……うん。」

 いまだ完全な納得こそしていないが、親友二人の慰めで少しは気分が軽くなった。

 先程よりもすっきりとした表情を浮かべる百太郎に、二人の顔にも自然と笑みが浮かんだ。

 傍目には百太郎の表情は一ミリも変わっていないが。そこは流石幼なじみといったところか。


「……そういう創はどうだったの?良さげな場所見つけたって言ってたけど。」

「おう。勘でしかないが、あそこはあたりだと思うぜ。」

「おっ、自信ありげじゃ~ん。」

「まあな。権利関係は問題なしだったから、交渉してきた。

 競合もなさそうだったし、十中八九いけるだろ。」

「……決まったら発掘手伝うよ。」

「あたしもー!」

「頼むわ。

 いやー、しかしこうもトントン拍子に行くとはおもわなかった――――お?」

 盛り上がっていた会話が不意に途切れる。

 気が付けば彼等の近くに人影があった。


「すまない、ちょっとだけいいか?」

 立っていたのは正義、桐子、素直の三人。

 一昨日ダンジョンで百太郎に命を救われた彼等だ。


「……おはようございます、犬山君、猿田さん、神鳥谷さん。」

「おはようさん。」

「オッハー!」

「ああ、おはよう。」

「おはよー!」

「おはようございます。」

 正義達に気が付いた百太郎達が口々に挨拶する。

 挨拶は大切だ。

 挨拶がちゃんとできる人間は教育が行き届いているのだ。


「少し時間を貰えるか?一昨日のことを――――。」

「オラ、席に着けー。お勉強の時間だー。」

 正義が話し始めた瞬間、教室のドアが開き担任が入ってきた。

 なんとも間の悪いことである。

 出鼻を挫かれた正義はバツが悪そうで、桐子達も苦笑している。


「昼休みでいーんじゃない?」

「……そうだな。」

 揶揄うような口調のりんごにそう返すしかなかった。


 そして時間は昼休みへ――――。




 ◇―――――――――――――――――――――――――――




「……それで要件とは?」

 昼休み。

 百太郎たちは連れ立って中庭に設置されたテーブルに着いていた。

 8人掛けのテーブルを6人で使っているため、悠々と座ることが出来た。


 周囲を見ると、ランチを食べるために出てきた学生の姿がそこかしこに見えたが、百太郎達の近くには人影は見えず、話を聞かれる心配はなさそうだ。

 そんな中、真剣な表情を浮かべた正義が口を開く。


「改めて、ダンジョンで助けてくれて本当にありがとう。」

「「ありがとうございました。」」

 態々席を立ち、腰を90度に折り曲げる勢いで頭を下げる正義。

 桐子達も正義に続いて頭を下げた。


 綺麗な礼に、百太郎から事情を聴いていた創とりんごが感心する。

 今時ここまでちゃんとしたお礼を言える若者が一体どれだけいるだろうか。ただ心を込めて感謝する、そんな簡単なことが出来ない者は大人にだって大勢いる。

 これはつまり、正義達の性根が真っ直ぐであることの証左と言えた。


「……頭を上げてください。

 あれは仕事の一環みたいなものでしたから、気にしなくていいですよ。」

「でも……。」

「……いいんです。皆さんが無事だっただけで。」

 自分が日陰者であるという自覚のある百太郎にとって、彼等の真っ直ぐさは眩しく映った。その眩しさに感化されるように、常日頃から無表情な百太郎の口元が緩む。


「そうか……、でも本当に感謝してる。」

「そうです。あなたはボク達の命の恩人なんですから。」

「そうそう、ほんとに感謝してるんだからね。」

 再びの感謝の嵐に、百太郎もむず痒そうだ。


 パンパン!


 感謝と遠慮がループしそうな空気を、拍手の音が切り替える。


「それ以上はエンドレスになるからそこまでにしとこ。

 モモはみんなが無事でハッピー、犬山達はお礼が言えてすっきり、OK?」

「お、おお。」

「……OK。」

 このままではキリがないと創が感謝遠慮合戦を平定する。

 これで一昨日から続くダンジョン騒動に、一区切りがついた形だ。


「それにしたってお前らも不運だよな。

 初心者ダンジョンでイレギュラーに巻き込まれるなんて、ニュースでしか見ない事態だろ。」

「犬山君とかオーガに殴り飛ばされたって聞いたけど、大丈夫なの?」

「ああ、狸穴にポーション貰ったし、病院で治療も受けたから今はピンピンしてるよ。数日は検査通院が必要らしいけどな。」

「……よかった。」

「犬山君、ボク達を助けてくれてありがとう。」

「ほんとにね。狸穴君と同じくらい犬山君にも感謝してるよ。」

 無事をアピールするように力こぶを作る正義に対し、再び安堵と感謝を述べる桐子達。

 今彼女達が無事でいるのは、正義が身体を張って守ったからこそだ。仮に正義が彼女達を見捨てていたら、百太郎の助けは間に合わず、二人はここにこうしていなかったかもしれないのだ。


「いや、あれは俺が勝手に格好つけただけだし、結局助けたのは狸穴だし。」

「……犬山君は猿田さん達を助けるために武器を捨ててまでオーガを斃したじゃないですか。

 遠くからしか見えませんでしたけど、あれは本当に格好良かったですよ。」

「おまえそんなことしたのかよ!?かっちょいーじゃん!」

 自分の行動を掘り返されるのはどうにも気恥ずかしい。

 照れ隠しもあって思わず視線を逸らした正義。


「むふふふ……。」

 その先にはにやにやと目で笑いながらこちらを見るりんごの姿があった。


「あ、そういやモモ。ポーション使用の緊急特例の申請ちゃんとしたか?」

 りんごの視線に、居た堪れなさそうにする正義への助け舟を出すかのように、創が話題を逸らす。


「……うん大丈夫。配信してたから証拠あるし、美姫みひめさんに頼んである。」

「申請ってどういうこと?」

 会話の意味が理解できなかった桐子が疑問を口に出す。

 見れば素直も同じように首を傾げていた。


「ん?研修で説明されなかったか?

 ポーションは薬品だから使用には医師の処方が必要なんだよ。」

「そうなの!?」

「らしい。

 ポーションはダンジョンのドロップアイテムってのは知ってるだろうけど、手に入れたポーションは叶ず提出しなくちゃいけないんだ。

 んで、薬剤師に調剤されて医師の処方箋、ってのとはちょっと違うらしいがタグ付けされて管理番号が振られてから、本人に返却されるんだ。」

「……分類的には医療用医薬品に近いらしいですね。

 個人に処方された薬という扱いなので、他人に使うには申請が必要なんです。」

「そういえば研修で習った気がする。」

 多くの者が勘違いをしているが、ポーションを手に入れてその場で使うのは違法なのだ。また、ドロップしたポーションを原液のまま使用することも禁止されている。

 薬品である以上、きちんとした管理体制が敷かれているのは当然のことだった。


「例外はたくさんあるけどな。」

「……犬山君の場合は緊急事態ってことで、処理されますので大丈夫ですよ。」

「無視する人も多いんだけどねー。」

「よくあることだから気にすんなって。」

「そう、なの、か……?」

 自分の所為で恩人に迷惑がかかる可能性があるという事実に、喉の奥に引っかかるものを感じる。

 たとえ本人が大丈夫だと言っていても、そもそも自分がしっかりしていればこんなことにはならなかったという思いもある。


「ところでさぁ、三人とも本当に大丈夫なの?

 死にかけたんでしょ、トラウマとかになってない?」

 黙り込んでしまった正義の様子を見て、雰囲気を紛らわせるように話題を変えたのはりんごだった。沈んだ空気を嫌う彼女は、正義の空気を敏感に感じ取っていた。

 それと同時に、この話題はニュースを見た時からずっと心配していた内容だった。


「う~ん、私達は怪我とかなかったし、特に問題ないとは思うけど。

 検査通院は必要だけどね~。」

「そうだね。……あの時は凄く怖かったけど、今はそうでもないかな。」

「狸穴君がめっちゃ強かったってことしか印象に残ってないよね。」

「確かに。オーガキングなんてダンジョンの死神なんて言われてるのに、狸穴が凄すぎて大したことないって錯覚しそうになるよな。」

「うんうん。」

「……照れる。」

 彼らが体験したことは心の傷になってもおかしくない大事件だったが、百太郎が与えたインパクトが強すぎたためか、恐怖などもあまり残っていないようだった。


「そっか……よかった。」

 正義達の様子に、りんごは安心したように微笑んだ。


「でも、もしトラウマとかになってて、ダンジョンに入れないってなると困るんだよね。

 登録料とか装備品とか、結構かかったし。」

「だよなぁ。ランク上げとけば将来的にも有利になるし。」

 桐子の言葉に正義もうんうんと首を縦に振って同意する。

 それぞれの思惑の方向性こそ異なっているものの、共通していることは一つ。三人とも今後もダンジョンに潜っていくということだ。

 特にお小遣いの大半が吹き飛んでしまった桐子は切実だった。


「それで……さぁ。」

「……うん?」

 喉につっかえた、重い口ぶりで百太郎を見る桐子。

 視線を向けられた百太郎は、ランチのサンドイッチに噛り付きながらどうしたのかと首を傾げる。


「助けてもらった上にこんなこと頼むのも申し訳ないんだけど。」

「その、ボク達の教導をお願いできないかなぁって。」

「きょうどう……ああ、教導員ですか。」


 教導員とは、ギルド――――探索者を管理する公的機関が制定する、ランクが上の者が下の者を指導する為の制度だ。

 本来はギルド主体で行うべきことなのだが、人材不足やその他諸々の要因により、初回登録時に講習などはあるものの、今現在公的な指導訓練などを行うプログラムは存在していない。

 しかし、それでは探索者の増加や成長に難があり、長らく問題となっていた。

 そこでギルドが目を付けたのが、先輩後輩などの個人間で行われていた指導だ。

 これを依頼の一環として行おうと作り出したのが教導員依頼という訳だ。


「……教導員ですか。」

「やっぱり迷惑かな?」

 悩む百太郎の顔を、素直がおずおずと覗き込む。


「……いえ、僕はいいんですけど、ちょっと問題がありまして。」

「問題?」

「ええ。まず、教導員なら犬山君がすでにいると思うんですけど、いいんですか?」

「俺は別に教導員じゃないよ。一昨日は一緒に潜っただけだ。」

 ギルドに届け出も出してないしな、と何でもないようにかたる正義。


「そもそも、まだ教導員できるランクじゃないし。むしろ俺も参加させてほしいよ。」

「なるほど。」

 顎に指を添えて静かに考える。

 自分にとってもこれは悪いことではない。

 とある理由から、ダンジョンに定期的に入らなくてはいけない百太郎にとって、彼等への指導はモチベーションの維持にもってこいかもしれない。

 彼等の人柄も、短い付き合いながらもある程度は把握できている。皆、善性で好ましい人格をしているので、彼等とダンジョンに潜るのは楽しそうだとも思う。


「いいんじゃないの。モモならランク的にも教導員出来るでしょ?」

 見かねたりんごが百太郎の背を押すが、それでも百太郎は難しい表情だ。


「……でも僕、今イエロー貰ってるけど、教導員できるのかな?」

「イエローの分類によっては出来たはずだよ。モモなら問題なかったと思うけど、心配なら美姫さんに確認してみたら?」

「……そうしてみますか。」

 りんごの説得によって、少し前向きになったらしい百太郎が頷く。


「なぁ、ちょっといいか?」

「ん?」

 その会話に割って入ってきたのは、戸惑い顔の正義だ。

 彼は僅かに躊躇する仕草を見せた後、意を決して尋ねた。


「イエローって、狸穴は何したんだ?」

「……あ~。」

 その問いに思わず頭をかく。

 そうだった。事情を知る創とりんご相手ばかりしていたから気にしていなかったが、イエローは違反者の証であり、普通はあまりお近づきになりたくない部類の相手である場合が多い。


「……しいて言うなら…………過剰暴行?」

「「「えぇ……?」」」

 少し引いた様子の正義達の視線が痛い。


「いやまぁそうなんだけど、あれは人助けの結果だろ。ギルドが悪いって。」

「そうだよ!もっとボコボコにしてやってもよかったよ!」

「……どういうこと?」

 流れが理解できない桐子達。

 百太郎は暴行と言い、創は人助けと言い、りんごは暴力が足りないと言う。三人の言っていることの繋がりが分からない。

 困惑する正義達を見て、事情をポツポツと語りだす。


「……先日、ダンジョンに潜っていた時に、事件と遭遇しまして……。」

 百太郎が語るには、ダンジョン内で暴漢に襲われそうになっている女性を助けたとのことだ。


 彼がいつものようにダンジョンを探索している際、ふとした気まぐれでモンスターが少なく、あまり人が来ないエリアへと足を向けた。

 適当にぶらぶらした後、やはりモンスターが少ないから戻ろうとしていた時、小さくも確かな女性の悲鳴が聞こえてきた。

 百太郎が急いで駆け付けると、暗がりで数人の男が女性を組み伏せながら服を剝ごうとしている場面に出くわした。

 あまりに醜悪な光景に、カッと頭に血が上った百太郎だったが、考えなしに殴りかかることはせずに、無駄だとは思いつつも、まずは言葉による制止を試みた。

 当然、言って分かるような物分かりの良い輩であるはずもなく、一頻り嘲笑った後、剣で斬りかかってきたため、あえて初撃を受けることで正当防衛を成立させ、うっぷん晴らしと言わんばかりに徹底的に叩きのめしたのだった。


 この件に関して、百太郎の行動にほとんど落ち度はなかったと言える。

 手を出したのは相手が先で、片や真剣で斬りかかったのに対して、百太郎は刀を鞘に納めたまま殴った。当然殺してもいない。


 一つだけ問題と言えるのは、本人も言う通り――――やり過ぎたのだ。


 全員合わせて数十か所の骨折、全身くまなく打撲で変色し、歯などは半分くらいがへし折れていた。

 ギルドに連行した際には、死体を持ってきたと勘違いされた程だ。


 それほど痛めつけた結果、ポーションの回復限度を超えてしまったのだ。


 医療技術の進歩や、魔法やポーションなどの超常の力が溢れる現代において、病気はともかく怪我で入院する者はあまりいない。

 それでも入院する必要があるのだから、たしかにこれはやり過ぎと言われてしかるべきだろう。法的に見ても、いくつかの罪に問われる可能性があるレベルだ。


 しかし、百太郎は犯罪者になった訳ではない。

 配信していたため証拠もあるし、被害者の証言もある。なにより、捕まった男達から余罪が山のように出てきた。


 ギルドとしても、この件で百太郎を罰したくはなかった。

 ダンジョンというのは一種の密室だ。警邏なども、人材や予算不足でどうしても目の届かないところが出てくる。

 そこを突いて、今回のような犯罪行為を働く者が後を絶たないのだ。

 頭を悩ませるギルドにとって、百太郎のような自警団ヴィジランテ的行動をしてくれる探索者は貴重だ。腕の立つ者なら特に。

 そんな彼を、今回のようなつまらないことで罰したらどうなるか。人助けをしたのに罪に問われるとなれば、犯罪行為を見て見ぬふりする者が増えるのは想像に難くない。

 最悪の場合、ダンジョンが犯罪の温床になってしまう可能性だってある。


 かといってお咎めなしというのも問題だ。

 心情的には表彰したいのに、規則的には罰しなければならない。

 様々な思惑が入り交じった結果、百太郎に与えられたのは今後のダンジョンでの優遇措置と、形だけに近い罰則イエローカードだったという訳だ。

 だが、百太郎はやり過ぎたことを反省し、ギルドの沙汰におとなしく従っているのだ。



 ◇………………………………………………………………………


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