第4話 ダンジョンのある日常


 オーガキングが霧となって消え失せ、しばらくしてから警戒していた百太郎が刀を鞘に納める。

 同時に三体の動物達も役目を終えて、光の粒子となって消えていった。


「……ふぅ。」

 残心を解いた瞬間、思わず息が漏れた。

 傍目から見れば楽勝に見えたかもしれないが、百太郎の背中は冷や汗でびっしょり濡れていた。

 自分の命を脅かしかねない強敵。死線のすぐ間近を走り抜けるような難行。試練とも言い換えられる先の戦闘は、精神をすり減らすには十分な出来事だった。


「大丈夫か!?」

 頬を伝う汗や、僅かに息を切らせる様子に、正義が心配そうに声をかけてくる。


「……大丈夫です。怪我もありませんし、少し疲れただけです。」

「そうか、ならよかった。」

 小さく笑みを浮かべる百太郎に心底安心した顔を見せる三人を見て、その善性に感心した。自分の命が助かって最初に浮かぶのが助かったことへの歓喜ではなく、助けてくれた者への心配というのは、今時珍しい程の善人だ。

 だからこそ百太郎も助けることが出来てよかったと心から思えた。


「いやでも本当に凄かったですよ!こう、ズバーって、バサーって!」

「うん、最期の方なんて目で追うことも出来なかった。」

「あれが本物の上級者の戦いなんだな。すっげよな!マジでヒーローだったわ!」

 今更ながらに安堵と興奮が込み上げてきたのか、三人ともテンションが目に見えて上がっていた。


「……いえ、本物のヒーローは犬山君の方だと思いますよ。」

「え?」

 思いもよらない一言に、ポカンとした表情を浮かべる正義。

 その様子を心の中でおかしく思いながら言葉を続ける。


「他人を守るために命を懸ける。漫画の中では有り触れてますけど、実際に行える人はそうそういないですよ。英雄的行動と言ってもいいです。

 心から尊敬します。」

「そうだよ!彼にはもちろんだけど、犬山君にも本当に感謝してる!」

「うん。本当にありがとうございます。」


 :マジでかっこよかったぞ!

 :感動した!

 :他人を見捨てる人間なんて履いて捨てる程いるってのに、マジヒーロー!

 :男だけど推せる!

 :外見も中身もイケメンとか……妬ましい(ぼそっ


 百太郎達の言葉を皮切りに、コメントもこぞって正義を褒め称えた。

 限りない称賛に、正義は頬が熱くなっていくのを自覚する。

 ピンチに颯爽と現れたヒーロー、小さく憧れすら抱いた百太郎の賛辞が特に嬉しかった。


「……あれ?そういえば、何で犬山君の名前知ってるの?」

「ボク達のことも知ってたみたいですけど……。」

「そういやそうだった。」

 今更過ぎる疑問に首を傾げる正義達を見て、思わず笑いが零れそうになるのを堪える。


「……もしかして気が付いてなかったんですか。」

 影薄いのかな、なんて小さく溢す姿を見て、何か失礼なことをしてしまったのではないかと、正義達の心中に焦りが浮かぶ。


「あ、あの――――。」

「狸穴です。」

「え?」


「ですから――――クラスメイトの狸穴百太郎ですよ。」


 一拍。


「「「…………ええええぇぇぇぇ~~~~!?」」」


 洞窟内に驚愕の三重奏が響き渡った。


「……あはははははははっ!」




 ◇―――――――――――――――――――――――――――




 PiPiPiPiPi――――!


 目覚まし時計の甲高いアラームが響く。

 大音量で鳴るそれは、その存在意義を主張するかのように、ベッドの上で横たわる人物を、はよ起きんかい!とばかりに脅しつける。


 アラームが鳴り始めてたっぷり五分以上が経過した時、ベッドの上の毛布の塊がもぞもぞと動き出した。


 PiPiPバチン!


 毛布の端から伸びた手が目覚まし時計を殴りつけると、ようやくアラームが止まった。

 まるで理不尽に自分を叱りつけてくる相手に裁きを与えるかの如き乱暴さであったが、無事暴力によって目覚まし時計てきたいしゃは沈黙することとなったので良しと言えよう。

 戦果に満足したベッドの主は、しばしもぞもぞとのたうった後、のそっと毛布から頭を出した。

 そこにいたのは、普段から眠たげな目を十割増しで眠たそうにした百太郎だった。


 瞼は今にも落ちてしまいそうな程に重々しく、艶のあった髪はぼさぼさで鳥の巣のようにあちこちに跳ねている。

 目覚めたものの意識の大半は未だ夢の中を漂っているようで、焦点の合っていない目で虚空を見つめたまま動かなかった。


 起床をセンサーが感知し、閉まっていたカーテンが自動的に開いていき、朝日が百太郎を照らし出す。

 まるで世界が祝福するような、もしくは母親が寝坊助を叱るような日の光に盛大に顔を顰めた百太郎が外を見ると、そこには透き通るような青空が広がっていた。



 ◇………………………………………………………………………



「……ふぁふ。」

 抗いがたいベッドの誘惑に打ち勝った百太郎が身支度を整えてリビングの扉を開くと、トーストの焼ける香ばしい香りが鼻腔を擽った。

 誰かが朝食を用意してくれているようだった。

 胃が空腹を訴えるのを感じながら香りの元を辿ると、その先にいたモノに朝の挨拶を行う。


「……おはよう、カニマル。」

「キキッ!」

 そこにいたのは猿だった。

 器用にトーストを皿に乗せると、返事をするように短く鳴いた。


 その猿は、先日百太郎がダンジョンで召喚した三体の内の一体だった。

 サイズこそ一回り小さくなっているものの、姿形は変わらない。


「キキ。」

「……ありがとう。」

 トーストを受け取ってテーブルに着くと、足元に犬がじゃれついてきた。


「ワン!」

「……ポチタロウもおはよう。」

 その犬も三体の内の一体だ。

 されどダンジョン内での、正しく闘犬といった雰囲気とは打って変わり、今のポチタロウは室内犬そのものだった。

 もふもふの毛並みを撫でながらトーストを齧る百太郎の前に、雉が停まり銜えていた新聞を置いた。


「……おはようウリハル。ありがとう。」

「ケェン。」

 ウリハルは一声鳴くと、いつの間にか用意していたフルーツの盛り合わせを食べていたポチタロウ達の下へと飛んでいった。


「……あ、やっぱり一昨日のこと載ってる。」

 地方紙特有の地域ネタを流し読みしていた目が、一つの欄で止まる。そこに載っていたのは、二日前に百太郎自身が関わったダンジョンイレギュラーに関する記事だった。

 結局あの後、無事ダンジョンを脱出出来たものの、脱出後すぐに保護され病院に直行。検査や事情聴取、ついでに翌日ダンジョンの見回りにまで駆り出されて、折角の休日が潰れてしまった。

 元々予定などはなかったし、正義達を助けられたことは喜ばしいが、どこかモヤっとしたまま昨日は床に就いた。


 それ以外に目ぼしい記事もなく、適当に流し読みしながら食事を終えて時計を見ると、ちょうど家を出る時間だった。


「じゃあ行ってくるね、みんな。」

「ワンッ!」

「キキッ!」

「ケェン!」

 いつも通りの、騒がしくも暖かい鳴き声を背に受けて、百太郎は家を後にした。



 ◇………………………………………………………………………



「おっはよー!」

「ねぇ、昨日のさ……。」

 百太郎の住む町は海辺にあり、通学路に指定された道からは青々とした海が望める。

 百太郎は学校へと続くやや上り坂気味の海岸線の道路を、その眠たげな目を黒縁眼鏡で隠しながらのそのそと歩いていた。

 同じ道の上では、彼と同じ制服に身を包んだ少年少女が、朝っぱらだというのに元気いっぱいといった様子で談笑している。

 朝が弱い百太郎からすれば、どうしてそんなにテンションを上げられるのかと、気だるさと感心を綯い交ぜにした気分だった。


「……おっと。」

 海から吹き込んだ風が、百太郎の髪をかき上げた。

 一本に纏めた長い髪がバサバサと靡くのを押さえながら、海へと視線を向ける。

 そこには生まれてこの方、毎日のように見てきた光景が広がっていた。


 穏やかに波打つ青々とした大海原。


 空と海が交わる水平線。



 そして、その先に――――天にも届く塔のような巨岩が聳え立っていた。



「……今日もいい天気だ。」




 ◇―――――――――――――――――――――――――――




 時は2000年代初頭に遡る。

 人口増加、環境汚染など、様々な問題を抱えていた人類は、それらが比較にならない程の未曽有の危機を迎えていた。

 地球に向かって、百を超える大型隕石が迫っていたのだ。

 すぐ間近に迫った滅亡に、人類はありとあらゆる抵抗を試みた。

 映画よろしくロケットを飛ばしたり、ミサイルを飛ばしたり、果ては核を用いたりまでした。


 その全てが失敗に終わった。

 結果は散々なもので破壊は愚か、軌道を1ミリたりとも変えることが出来なかった。


 もはや万策尽きた人類。

 混乱が生じぬよう秘匿された中で、大半の人間は何も知らない内に運命の日を迎えることとなった。


 だが、人類は死滅しなかった。

 地球に落下した隕石のどれもが大規模な災害を齎すことはなく、表皮のほんの一部、正に薄皮一枚だけ削り取って停止したのだ。

 物理法則を完全に無視した動きだった。

 それを目撃した人々はしばし唖然とした。


 ことを理解した事情を知る一部の人間は、この事態に混乱した。

 また、隕石の落下を目撃した人々もそれ以上に混乱した。

 全世界で混乱が巻き上がり、各国がその対応に追われる中、それを加速させる出来事が起こる。


 突如として空間に穴が開くという異変が、世界中で発生しだしたのだ。


 それはまるで世界に出来た罅割れのようで、山に、海に、森に、果ては街中にまで出現した。

 あまりにも突然の出来事過ぎて、政府機関はそれに対応することが出来なかった。

 隕石の混乱すら収まっていないというのに、超常現象まで対応する余力はどこの国にも残っていなかったのだ。


 そしてその時が訪れる。


 とある国で、興味深そうに穴を覗き込んでいた少年が、躓いて穴に向かって倒れ込んだ。

 転んだ拍子に擦りむいた膝を押さえながら体を起こした少年は、目の前の光景に言葉を失った。

 数瞬前まで彼がいた場所は、間違いなく見慣れた近所の公園だった筈だ。

 だというのに少年の目の前には、地平線まで続く見渡す限りの大草原が広がっていた。

 それが、世界で初めてダンジョンが認識された瞬間だった。


 それから200年以上の年月が経過した現在。

 世界に大いなる混沌を齎したダンジョンは、今や厳格な国際ルールが取り決められ、法の下で管理されている。

 一時は限られた人間しか入ることの出来なかったダンジョンは、今では一般に公開され、多くの者が入れるようになっていた。


 その中でもモンスターが多く発生する、危険が蔓延るランク指定ダンジョンを探索する資格。

 第一種特殊隔離区域探索免許証。

 通称ダイバーライセンスを取得してダンジョンに挑む者達のことを、迷宮探索者ダンジョンダイバーと呼ぶ。




 ◇―――――――――――――――――――――――――――



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