姉妹以上、恋人未遂。僕の家族ハーレムは今日も甘い

ヒイラギウタ

第1話 新しい家族と新学期

 雨の匂いが、まだ薄暗い部屋に染み込んでくる。目覚ましが鳴る前に、俺は目を覚ました。窓から差し込む朝の光は、曇り空のせいか淡い灰色に染まっている。四月の雨は、まだ冬の冷たさを引きずっていた。


「よし」


 小さく呟いて、布団から抜け出す。いつもなら少しだけ二度寝を許すところだが、今日はそうもいかない。新学期の初日。それに、今日から本格的に始まる新しい家族との生活。


 階段を降りる足音を、いつもより慎重に抑える。キッチンに立った時計は六時半を指していた。


 まずは朝食の準備だ。


 米を研ぎ、炊飯器のスイッチを入れる。冷蔵庫から卵と野菜を取り出し、包丁を手に取る。まな板に野菜を並べ、リズミカルに刻んでいく。この手順が、どこか落ち着く。母さんが再婚して、家族が増えた今でも変わらない日課。


 ——でも、作る量は増えたな。


 フライパンに油を引き、卵を割り入れる。玉子焼きを巻きながら、ふと考える。これまでは母さんと姉の詩織、妹の美咲。それに俺の四人分だった。でも今は、義理の姉の玲奈さんと義理の妹の小春が加わって六人分。


「おはよう、悠真くん」


 背後から聞こえた声に、思わず肩がビクッと跳ねる。振り返ると、制服姿の玲奈さんが立っていた。長い黒髪を一つに結び、儀式のように丁寧に前掛けを身につけている。


「お、おはようございます、玲奈さん」


 思わず敬語が出る。一つ年上の義姉は、いつも完璧で。その佇まいには、どこか近寄りがたい空気がある。


「手伝おうか?」


「いえ、大丈夫です。もう少しで」


 玲奈さんは、少し間を置いて頷いた。そして、静かにテーブルの準備を始める。お椀や箸を並べる仕草には無駄がなく、それだけで彼女の几帳面さが伝わってくる。


「いつも朝食、作ってくれるんだね」


「ああ、まあ…習慣みたいなものですよ」


 俺の言葉に、玲奈さんは少し首を傾げる。


「敬語、使わなくていいのに」


「あ、すみません…いや、その…」


 言葉が詰まる。どう接すればいいのか、まだ手探り状態だった。春休みの間に同居は始まっていたけれど、お互いの距離感が定まらない。


「ゆーま兄ぃ〜、おはようぉ」


 甘ったるい声と共に、小春が現れた。中学三年生なのに、まるで小学生のような無邪気さで俺の腕にすり寄ってくる。


「お、おはよう、小春」


「今日から新学期だねぇ。ゆーま兄と一緒に登校できるの楽しみだったんだぁ」


 上目遣いで俺を見上げる小春に、どう反応していいか分からず、思わず一歩引いてしまう。


「小春、朝から騒がしいわね」


 玲奈さんの静かな声に、小春は頬を膨らませた。


「もう、お姉ちゃんったら。小春、ゆーま兄と仲良くなりたいだけなのにぃ」


「朝から何の騒ぎ?」


 眠そうな声と共に、詩織が現れた。俺の実の姉は、髪を軽くとかしながら、まだ少し眠たげな表情でキッチンに立っていた。


「おはよう、詩織姉さん」


「おはよう、玲奈。それに…小春ちゃん、朝から元気ね」


 詩織の視線が、俺の腕にまとわりついている小春に向けられる。そこには、微かな違和感が漂っていた。


「姉さん、味噌汁できたから運んでくれる?」


 俺の言葉に、詩織はすぐに反応してくれた。彼女がそばに来ると、小さく囁く。


「あんまり甘やかさないように」


「わかってるわよ」


 詩織は微笑みながら、さりげなく小春と俺の間に入り込み、味噌汁の椀を受け取る。そのまま流れるように食卓へと運んでいく。


「悠真、ちゃんと起きてるじゃん」


 階段から降りてきた美咲は、制服のリボンを直しながら俺を見た。俺の実の妹は、いつもの通り素直に甘えることなく、少し突き放すような物言いをする。


「当たり前だろ。新学期初日だぞ」


「へぇ、偉いじゃん」


 軽くあしらわれて、少しムッとする。でも、それが美咲との日常的なやり取り。


「おはよう、みんな」


 最後に母さんが現れ、家族全員が揃った。彼女は九条家の玲奈と小春を優しく見つめ、それから俺たち篠原家の子どもたちにも同じ視線を向ける。


「今日から新学期ね。みんな、良いスタートが切れるといいわ」


「いただきます」


 六つの声が重なり、少しだけずれる。まだぎこちなく、でも確かに一つの食卓を囲む家族の朝食が始まった。


 ---


「靴、どこに置こうかな…」


 玄関で俺は立ち止まる。これまで、篠原家の靴は決まった位置に置いていた。でも今は違う。九条家の靴も並ぶようになり、玄関の景色が変わっていた。


「ゆーま兄の靴は、小春の隣がいいなぁ」


 背後から小春が現れ、自分の靴を指差す。その隣に空きスペースがあった。


「あ、ありがとう」


 言われるまま靴を並べようとした時、美咲が割り込んでくる。


「何言ってんの。お兄ちゃんの靴はいつも通りここでしょ」


 美咲は少し強引に、俺の靴を別の場所—篠原家の靴が並ぶ列—に置こうとする。


「あら、美咲ちゃん。みんなで仲良く使う玄関なんだから、どこに置いてもいいんじゃない?」


 小春の声には、無邪気さの下に微かな挑発が隠れている。美咲の顔が少し赤くなる。


「そうじゃなくて、ただ習慣的に…」


「美咲」


 詩織の静かな声が、二人の間に入る。


「新しい家族なんだから、古い習慣にこだわる必要はないわ」


 詩織は穏やかに言うが、その言葉には微かな緊張が含まれている。


「…わかったわよ」


 美咲は小さく息を吐き、俺の靴から手を離す。


「みんな、遅れるわよ」


 玲奈さんの声に、一同は我に返る。確かに、もうすぐ始業の時間だ。


 結局、俺の靴は九条家と篠原家の靴が混ざり合う中間地点に置かれることになった。それは、まるで俺たちの新しい家族の関係性を象徴しているようで。


「行こうか」


 玲奈さんの静かな促しに、みんなが頷く。


 玄関を出ると、予想通り雨が降り始めていた。四月の雨は、冷たくも新鮮で、どこか期待を含んでいる。


「傘、持ってきた?」


 詩織が俺に尋ねる。


「ああ」


「もう、しっかりしなさいよ」


 言いながらも、詩織は俺の髪を軽く撫でる。高校三年生の姉らしからぬ仕草に、少し照れる。


「ゆーま兄、小春と一緒に傘さそっか?」


 小春が俺の腕に触れようとした瞬間、玲奈さんが彼女の肩を軽く抑える。


「小春、自分の傘があるでしょう」


「もぅ、お姉ちゃんったら…」


 小春は不満そうに頬を膨らませるが、素直に自分の傘を広げる。


 雨の中、五人で並んで歩き始める。傘の間から見える空は灰色で、それでも新学期の始まりを告げるように、どこか明るさを含んでいた。


「悠真」


 美咲が俺に近づいてくる。


「なに?」


「…別に」


 言いかけて、何も言わない妹。その視線の先には、俺たちの前を歩く小春の姿があった。


「大丈夫だよ」


 小さく呟くと、美咲は一瞬だけ驚いた顔をする。そして、すぐに表情を取り繕った。


「何が?べつに何も言ってないじゃん」


 そう言いながらも、少し安心したように見える。


 雨音の中、俺たちは駅へと向かう。まだぎこちない距離感で並ぶ五人の傘。それでも、確かに一つの家族として歩き始めていた。


 ---


 教室の窓から見える空は、午後になっても晴れる気配がない。雨は小降りになったものの、灰色の雲が低く垂れ込めている。新学期初日の授業が終わり、帰り支度を始める生徒たちの間を、俺はぼんやりと見ていた。


「篠原、帰るの?」


 クラスメイトの声に振り返る。


「ああ、これから」


「そういえば、家族が増えたんだってな」


「ま、まあな」


 思わず目を逸らす。春休み中に母さんが再婚して、義理の姉妹ができたことは、親しい友人には話していた。


「義理のお姉さん、美人なんだろ?」


「……普通に」


「いいなぁ、四人姉妹の真ん中で」


 冗談めかした言葉に、曖昧に笑うしかない。確かに、四人の姉妹に囲まれた生活は、外から見れば羨ましく思えるのかもしれない。でも実際は——


「ゆーま兄〜」


 教室の入口から、甘ったるい声が響く。小春だ。中学生なのに高校の校舎まで来て、しかも堂々と俺の名前を呼んでいる。教室内の視線が、一斉に俺と小春に集まる。


「お、おい、小春……」


 慌てて教室を出て、廊下で小春を止める。


「どうしたの?」


「一緒に帰ろうと思って迎えに来たの」


 無邪気に微笑む小春に、どう対応すればいいか迷う。


「でも、中学校と高校、別々じゃないか」


「大丈夫だよぉ。玄関で待ち合わせしてるから」


 小春の言葉に、少し驚く。


「玄関で?誰が?」


「みんなだよぉ。お姉ちゃんも、詩織姉さんも、美咲も。みんなで帰ろうって」


 そんな約束をした覚えはない。でも、考えてみれば自然なことかもしれない。同じ方向に帰るのだから、一緒に帰るのは当然だ。


「わかった、荷物まとめるから少し待ってて」


 教室に戻ると、さっきのクラスメイトが意味ありげな視線を送ってくる。


「義理の妹?」


「ああ……」


「かわいいじゃん」


 照れ隠しに軽く咳払いをして、急いで荷物をまとめる。


 廊下に出ると、小春は嬉しそうに俺の腕に抱きつこうとする。反射的に一歩引いてしまう。


「ゆーま兄ったら、恥ずかしがり屋さんだねぇ」


「い、いや……学校だし」


 言い訳がましく言うと、小春は小さく笑う。


「じゃあ、家ではいいんだぁ?」


「そういう意味じゃ……」


 言葉に詰まる俺を見て、小春は満足そうに微笑んだ。


 校舎を出ると、玄関前で三人の姿が見えた。詩織、美咲、そして玲奈さん。三人とも傘を持って立っている。


「お待たせ」


「遅いよ、お兄ちゃん」


 美咲が少し不機嫌そうに言う。


「ごめん」


「小春が呼びに行くって言い出したから」


 詩織が説明する。その視線には、少しだけ心配が混じっている。


「迷惑だった?」


 玲奈さんが静かに尋ねる。


「いや、全然。ちょうど帰るところだったし」


 雨は小降りになったとはいえ、まだ傘が必要な程度には降っている。五人で並んで歩くには、少し窮屈だ。


「じゃあ、行きましょうか」


 玲奈さんの言葉に、みんなが頷く。


「ゆーま兄、小春と一緒の傘にしよ?」


「え、でも……」


「小春、自分の傘があるでしょう」


 玲奈さんが静かに諭す。


「もぅ、お姉ちゃんったら」


 小春は不満そうに頬を膨らませるが、素直に自分の傘を広げる。


 五人で並んで歩き始める。雨音が、微かな沈黙を埋めていく。


「悠真、今日はどうだった?」


 詩織が話しかけてくる。


「普通かな。クラス替えあったけど、知ってる顔も多いし」


「そう。良かったわね」


 詩織の言葉には、いつもの優しさがある。


「ゆーま兄のクラスメイト、かっこいい人いた?」


「え?」


 小春の唐突な質問に、思わず足を止めそうになる。


「なんでそんなこと聞くんだよ」


「だって、気になるもん。ゆーま兄が女の子と仲良くしてたら嫌だなぁって」


 冗談めかした口調だが、その目は真剣だ。


「小春、そういうのはやめなさい」


 玲奈さんが静かに制する。


「冗談だよぉ」


 小春はそう言いながらも、まだ俺の反応を窺っている。


「悠真は、そういうの苦手だから」


 詩織が微笑みながら言う。


「姉さん、余計なこと言わないでよ」


 思わず反論すると、詩織は小さく笑った。


「だって本当でしょう?中学の時だって、告白されても全部断ってたじゃない」


「それは……」


「え、そうなの?」


 美咲が驚いたように俺を見る。


「なんで知ってるんだよ」


「だって、同じ中学だったもの。噂くらい入ってくるわよ」


 詩織の言葉に、思わず顔が熱くなる。


「ゆーま兄ってモテるんだぁ」


 小春の声には、好奇心と何か別の感情が混ざっている。


「そんなことない。姉さんが大げさに言ってるだけだ」


「そうかな?」


 玲奈さんが静かに言う。その視線が、一瞬だけ俺に向けられ、すぐに逸らされる。


「玲奈さんまで……」


 言葉に詰まる。雨の中、五人の傘が微妙な距離を保ちながら並んでいく。


 駅に着くと、雨は完全に止んでいた。傘を畳みながら、俺は思う。これから毎日、この五人での登下校が続くのだろうか。まだぎこちなさはあるけれど、少しずつ距離が縮まっていくような気がする。


「あ、傘」


 美咲の声に振り返ると、彼女が自分の傘を閉じるのに手間取っている。


「貸して」


 俺が手を伸ばすと、美咲は少し躊躇ってから傘を渡す。


「ありがと……」


 小さな声で言う妹に、軽く頷く。傘を閉じながら、ふと玲奈さんの方を見ると、彼女はそんな俺たちの様子を静かに見ていた。目が合うと、玲奈さんは小さく微笑む。


「優しいのね」


 その一言に、どう返せばいいのか分からず、俺は曖昧に頷くだけだった。


 帰りの電車に乗り込むと、五人は自然と一つの車両に集まる。まだ距離感は定まらず、会話も途切れがちだけれど、確かに一つの家族として帰路についていた。


 窓の外では、雨上がりの街が夕日に照らされ始めている。新しい家族との生活は、まだ始まったばかり。これからどんな日々が待っているのか、期待と不安が入り混じる。でも、今この瞬間は——悪くない。


 そう思いながら、俺は窓の外の景色に目を向けた。雨上がりの街は、どこか新鮮で、これからの日々を予感させるように輝いていた。

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