きゅんって鳴っても、ないしょだよ? 〜 恋色こまりんココロころころダイアリー

一文字一(いちもんじはじめ)

ふわふわ放課後、ひみつの図書室

季節はね、春と夏が、えっと、かくれんぼしてるみたいな、そんな感じ。ぽかぽかしてるのに、風はまだちょっとひんやりするの。そんな日の放課後の図書室は、しーん……としてて、まるで世界にわたしと本だけみたい。わたし、小鞠鈴こまり りんは、窓際の席で、ぶあつーい歴史の本とにらめっこ中。……ううん、にらめっこっていうか、文字の行列に、ただただ、あっけにとられてる、かな? むずかしい漢字さんたちが、みんなでわたしを「こーら♪」ってからかってるみたいなんだもん。これはもう、わたしの完敗……ってコトなのかなぁ?


「おやおや、こんなところで奇遇だねぇ、小鞠ちゃん。そんな難しそうな本を読んで、さては世界征服でも企んでるのかな?」


ふわっ、と背中に降ってきた声に、わたしの心臓が、ぴょーん!って、びっくり箱みたいに飛び跳ねた。この声、この、ひょうひょうとしてて、でも、わたしの耳には、なんだかとっても心地よく響いちゃう(ときどき、ちょっぴり意地悪にも響くけど!)声は、絶対、絶対……!


「せ、せんぱい……っ!」


ふりむくと、やっぱり。斜道誠はすみち まこと先輩が、そこに立ってた。にっこり、って言うよりは、にやり、って感じの、いつものいたずらっこみたいな笑顔で。先輩はね、わたしの隣の椅子を、ことわりもなーく、するんって引いて、すとんって座っちゃうんだ。ち、近いよぅ……。物理的な距離も、心の距離も、先輩はいつも、わたしの「ここから先はダメですー!」っていう線を、ぴょーんって飛び越えちゃうんだもん。


「せ、世界征服だなんて、そんな……! わたし、歴代の将軍さまの政策について、お勉強してるだけ、ですぅ」

「ふぅん? 政策ねぇ。将軍サマが、か弱き民からどうやって上手にアレコレ取り立ててたか、そのテクニックを研究中、と。なるほどねぇ、実に小鞠ちゃんらしい、黒〜い探求心だねぇ」

「ち、違いますってばぁ! そんな、悪い見方じゃなくってですね、もっとこう、みんながハッピーになるような……?」


うぅ、もう、どうして先輩は、わたしの言うことをいっつも、くるんってひっくり返して解釈しちゃうのかなぁ。わたしのささやかな知的好奇心が、なんだか悪いことみたいに言われちゃうの、ひどいよぅ。先輩の前だと、わたしの言葉は、いつもふにゃふにゃになっちゃって、全然、ちゃんと伝わらないんだ……。迷子の仔猫みたいに、しょんぼりしちゃう。


「ハッピー、ね。例えば?」

「え、えっとぉ……たとえば、普通の人たちの暮らしが、もっと良くなるような、あの、工夫とか……です」

「ほう? それって、徳川吉宗さんの享保の改革あたり? お米の値段を安定させたり、目安箱を置いたり、とか。……ってことはだよ? 小鞠ちゃんは、現代社会に目安箱を復活させて、そこに匿名で僕への日頃の恨みつらみを書き連ねようと、そう企んでるわけだ。いやはや、手が込んでるなぁ」

「してません! してませんったら! どうしてそんなお話になっちゃうんですかぁ!」


きゃっ、わたしの声、静かな図書室に響いちゃったかも。あわてて、お口に手をあてる。司書の先生に、しーっ!てされちゃうかな。……ううん、それよりも、先輩の楽しそうな顔。あー、また、からかわれてるぅ。分かってるのに、毎回、ちゃーんと同じように、あたふたしちゃうわたしって、もう、先輩専用のびっくり箱みたい。 条件反射で、ぽーんって反応しちゃうんだもん。く、悔しいけど……ちょっとだけ、嬉しいなんて思っちゃうわたしも、いるんだよね……。困っちゃうなぁ。


「まぁ、いいけどさ。歴史のお勉強も大事だけど、小鞠ちゃんの場合、まずは現代文の点数をどうにかする方が、よっぽどハッピーに繋がるんじゃない? この前の小テスト、赤点スレスレだったって、風の噂で聞いたけど?」


ぐさっ。矢みたいに正確な指摘が、わたしのハートに、ちくーんって刺さった。ど、どうして先輩は、そんなことまで知ってるの!? 先輩の情報網って、どうなってるんだろう? 忍者さん? それとも、おしゃべりな小鳥さん? どっちにしても、わたしの秘密なのにぃ。ぷんすか! ……したいけど、本当のことだから、なにも言い返せないよぅ……。うぅ、ってなって、しょんぼり俯いちゃったわたしに、先輩はにこにこ(意地悪な方の!)しながら、さらに追い打ちをかけてくるんだ。


「そんな、世界の終わりみたいな顔しちゃって。もしかしてぇ? 分かんないことだらけで、この天才的な僕に、泣きついちゃいたい、とか?」


先輩は、えっへん!って感じで、わざとらしく胸を張るの。その仕草、いつもの飄々とした先輩とはちょっと違ってて、なんだか……あのね、ちょっとだけ、かわい……なんて! きゃー! わたしったら、何を考えてるの! 先輩にかわいいだなんて、そんな、そんなこと、あるわけ……ある、かも……? ううん、ダメダメ!


「そ、そんなこと、ない、ですもん……! じ、自分で、できますから……っ」


本当はね、教えてほしいところ、いーっぱいあるんだ。先輩は、いっつもわたしをからかうけど、頭がいいのは本当なんだもん。わたしが苦手な国語とか、すらすら解いちゃうんだ。でもね、「教えてください」なんて素直に言ったら、またどんな風にからかわれるか分かんないし……。それに、そんな風にお願いしちゃったら、なんだか、負けちゃったみたいで、やだなぁって。先輩に対する、この、もやもやした気持ちの勝負に、ね。


わたしが、うー……って唸りながら口ごもってると、先輩は、ふぅ、って小さく息をついたの。そして、わたしのノートを、ひょいって、優しく取ったんだ。


「あ、せんぱ……」

「……ふむ。この問題、ね。ここは、作者さんが一番言いたいことの根っこになる部分を、ちゃんと見つけないとダメなんだよ。……小鞠ちゃんの答えは、惜しいけど、ちょっとだけ方向が違うかな」


え? って、わたし、びっくりしちゃった。だって、急に、すっごく真面目な声なんだもん。さっきまでの、にやにやした雰囲気はどこかに行っちゃって、先輩は、わたしのノートに書かれた、へなちょこな答えを、きらきらした真剣な目で見つめてる。そしてね、赤ペンを取り出して、わたしの答えの横に、とーっても分かりやすい言葉で、解説を書いてくれ始めたの。


「この『でも』っていう言葉が、大事なヒント。これが反対の意味を表してるから、前の文章と比べて考えてごらん? そうすると、作者さんが本当に言いたいことは、こっちの段落にあるって、見えてくるでしょ?」


先輩の声はね、いつものからかう声とは違って、すごく落ち着いてて、優しい響きなの。その声と、分かりやすい説明が、すーっ……て、わたしの頭の中に染み込んでくるみたい。もやもやしてた霧が、ぱぁって晴れていく感じ。


「あ……」

「それから、ここの言い方。例え話の意味を聞かれてるけど、小鞠ちゃんは、言葉の表面だけ見ちゃってるね。この例えが、お話全体の中で、どんな役割をしてるのかなーって、そこまで考えてみると……」


先輩はね、ただ間違いを指摘するだけじゃなくて、どうしてそうなるのか、どう考えたらいいのか、その道筋を、ゆっくり、丁寧に教えてくれるんだ。その横顔は、いつものイジワルな先輩とは全然ちがって、すごく真剣で、頭が良さそうで……そして、えっと、その……すっごく、かっこよかった、なんて、思っちゃったりして。


どきんっ!


わたしの心臓が、今度は、びっくりじゃなくて、きゅんっ!って、大きく鳴った。顔が、ぽかぽか熱くなってきたのが分かる。きっと、りんごさんみたいに、真っ赤になっちゃってるんだろうなぁ。さっきまでの悔しい気持ちとか、反抗したい気持ちは、ふわふわってどこかに飛んでいっちゃって、ただただ、先輩の優しさが、胸いっぱいに広がっていくのを感じてた。


「……ほら、これで、少しは分かった?」


解説を書き終えた先輩が、顔を上げた。わたしは、まだ心臓が、どきどき、ばくばくしてて、上手く言葉が出てこないの。ただ、こくん、こくんって頷くのが、精一杯だった。


「な、なんだよ、そんな顔して。別に、小鞠ちゃんのために、特別に教えてあげたわけじゃないんだからね? た、たまたま、僕が暇だっただけなんだからっ」


先輩はね、ぷいって、ちょっとだけ顔を逸らしちゃった。でもね、その先輩の耳が、ほんのちょっぴり、赤くなってるの、わたし、見ちゃったんだ。もしかして、照れてるのかな? だとしたら、それは、どうして……?


「……ありがとう、ございます、先輩」


やっと、しぼりだせた感謝の言葉は、自分でもびっくりするくらい、小さな小さな声になっちゃった。でも、先輩にはちゃんと届いたみたいで、ちらってこっちを見て、「……別に」って、またちっちゃな声で呟いたの。


あ、いつもの、意地悪で、天邪鬼な先輩に戻っちゃった。でもね、さっき見せてくれた、突然の優しいところは、ちゃんと、わたしの心に、きらきらした宝物みたいに、しまわれたんだよ。


先輩は、いっつもこうなんだ。たくさんからかって、突き放すみたいことを言ったかと思うと、ふとした瞬間に、びっくりするくらい、優しい顔を見せるんだもん。そのギャップに、わたしはいつも、ふわふわ、くらくらって、翻弄されちゃう。まるで、甘ーいキャンディと、ちょっぴり刺激的なスパイスを、交互にもらってるみたい。そしてね、困ったことに、わたしは、そのどっちも、嫌いじゃないの。ううん、むしろ、そのギャップが、先輩の素敵なところなのかなぁ、なんて思っちゃうくらいには、わたし、先輩のこと、大好きなんだ。


窓の外を見たら、夕焼けのオレンジ色の光が、図書室の床に、ながーい影を作ってた。もうすぐ、閉館の時間だ。


「……そろそろ、帰ろっか」

「……はい」


帰り支度を始める。しーんとした図書室に、教科書やノートをカバンに入れる音だけが、ことことって響く。ふと、先輩と目が合った。先輩は、すぐに目を逸らしちゃったけど、わたしは、目を逸らせなかった。先輩の瞳の奥に、なにか、キラキラしたものが見えないかなって、探しちゃう。でも、やっぱり、なにも分かんないや。先輩が、わたしのこと、どう思ってるのかなんて、わかるわけないもんね。


「じゃ、また明日な」

「……はいっ。また、あした」


先に立ち上がって歩き出した先輩の後ろ姿を、わたしはちょっとだけ、じーっと見つめてた。「また明日」。それは、昨日も、一昨日も言った、普通の挨拶のはずなのに。今日の「また明日」は、なんだか、いつもより、あったかくて、特別な響きに聞こえたの。先輩の、突然の優しさのせいかな? それとも、この、先輩と二人きりで過ごした、静かで、ほんのり甘酸っぱい、ひみつの時間のせいかな?


理由なんて、どっちでもいいのかも。ただ、明日もまた、先輩に会える。それだけで、わたしの心は、春のお日様みたいに、ぽかぽか、ふわふわって、あったかくなるんだ。……たとえ、明日もまた、先輩にからかわれて、わたしの顔が、真っ赤なトマトさんになっちゃうとしても、ね!

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