第3話 餌
「ちょっと、聞いてくれているかな白上君?」
「ええ、 もぐもぐ 聞いていますとも新崎教授 もぐもぐもぐ」
「夕食遅くなったんですけど、よくホテルの方が用意してくれましたね?こういうのって特別料金いるんじゃないですか?」
三者三様の言葉が飛び交う。
あれから新崎の車に乗り込み高速を使って後輩の高崎直人が待っているホテルへと直行した。
とっくにホテルの夕食の時間を回っており、空腹で倒れそうになっている直人と俺だったが、ホテル側の計らいで遅い時間でも懐石料理を用意してくれていた。実にサービスが良いように見える…のだが、実は新崎がその分追いの料金を払っているのは感ずけた。
(まあさんざん直人の件で教授に言ったからな、俺が!)
自分の手柄なんだぞ?と言いたげに直人を見るのだが、そんなことは汁知らずで刺身を口に入れている。
「本当に聞いているかな白上君?」ともう一度新崎が俺に問いかけるのだが、
「はい、聞いていますよ勿論?もぐもぐ」と適当に返事をしておいた。
「じゃあ私が今何と言っていたか分かるかな?君の口から説明したまえ」
と少々詰め寄るように言ってきた。
ご飯を飲み込みお茶を流し込んで口を開いた。
「ですから新崎教授は今回の研修旅行について配慮が足りていなかったことがあったと言いたいのですね?特に直人の大学の出席のことを、って話ですよね?」と適当な内容を言っておいた。
呆れた顔をした新崎は
「いや、微塵も言ってない。私は今、そんなことを微塵も言っていないぞ?いやちょっと掠った感じではあるが…ふ~…悪いが高崎君、白上君に説明してやってくれないか?私もゆっくりご飯が食べたいのだが?」と言いながらタコの酢の物の小鉢を手に取り食べ始めた。
指名された直人は箸を置き俺に向いて今話していた内容を説明し始めた。
「了解しました教授。では説明します。私、高崎直人の明日の行動はB班の先輩たちと合流し善通寺方面へと向かいます。その際B班の【榊 薫(さかき かおり)】先輩と入れ替わります。ですのでA班は榊先輩と白上先輩と新崎教授になります。それと私の専攻教科及び一般教養の出席については限度がある為今週一週間のみの参加となります。以上でよろしいですか?」
直人は新崎に向かって内容に相違がないか確認をした。
「エクセレント!うむ、どこかの食う事に集中しすぎて私の大切な話を聞いていない生徒とは違うね!」
と嬉しそうに日本酒を口にしていた。
(絶対この嬉しそうにしている顔は、直人の出席の事を後出ししたのに直人が怒らなかった事への喜びだぞこのクソ教授…)
などと思いながら俺もタコの酢の物を口にした。
「ねえ大和ぉ?この胡散臭い男の首、捻じ曲げていいかなぁ?マジでむかつくんだけれど?」
俺の横で狐はニヤニヤしながら耳元に囁いて来る。俺は「OK!今すぐやれ!許す!!」と言いたいところだが、単位が出なくなるのは拙いので止めておけと命令するのだった。
新崎は何か悟ったのか俺の方を向いてニヤッとしている。本当に勘のいい人物だ。俺は一旦箸を置き、直人に話しかけた。
「なあ直人。なんで新崎教授の『歴史民俗学』に興味が沸いたんだ?」
今まで聞いた事が無かった事だが、今日の時点で『今後覆ることない不合格』をもらった後輩に新崎(の研究)のどこが気に入ったのか聞いておきたかった。それも新崎の目の前で、だ。
すると直人は右手を拳にして口元に少し当てながら話しだした。
「俺、歴史民俗学って内容は、実は興味がありません」
目を線にしながら表情を能面の様に硬直させる新崎だったが、直人はそれを気にせず口を動かし続ける。
「どちらかというと、新崎教授の真摯な姿勢に憧れました。何か常に見逃すまいと観察する姿勢。その中に真実があるような気がしたんですよ。だから俺もそれを見てみたい。そう思ったんです新崎教授が求める真実を、です」
「お前、神か仏かよ…」と呆れる俺と
「パーフェクト!素晴らしい生徒だ!」と一気に破顔する新崎。
そして俺は、「拙いなあ、これ絶対教授の長話が今から始まるパターンだ」と感じて耳栓をポケットから取り出そうとした。
「よく言った高崎君!君には私の歴史民俗学を専攻する資質がある!(資格はないが…ね)」
新崎は声高らかに直人を褒めた言葉と裏腹に口が少し右上に吊り上がっていた。
(今絶対心の中で『資格は無いのだが…ね』とか思ったなこの教授!)
一つ咳払いをしながら新崎は歴史民俗学について語りだした。酒の力もあって初心者には分かりずらい説明もつらつら口から出てきていた。直人はワクワクしながらその話を聞いているのだが、俺はうんざりだ。直人ではないのだが、俺も歴史民俗学なんぞ微塵も興味がない。
耳栓を装備して黙々と夕食を食べ始めたのだが、
「こんなものが美味いと思うお前達が、私は気持ち悪いんだけれどねぇ」
と狐が口元を動かしていた。
「食わなきゃいいだろ?俺の夕飯食うんじゃねぇよ」
と一言小声で返すと
「食べるわけないでしょう?この私が」
と咀嚼音を立てながら口を動かしている。
(ああ、『家の物』を食ってんのか)
距離にして数100キロ離れているのに本当に奇妙なやつだと思った。そんなに俺の家に憑りついて何の得になるんだ?などと思うのだが、もう10数年繰り返してきた問答を今ここでする気にはなれなかった。
「以上だ!どうだ高崎君!これが私の追及するものだ!」と胸を張って説明を終えていた。
「凄いです教授!全然言っている意味が分りませんでした!」と直人も直人で何が凄いのか分からない返答をしていた。
その珍紛漢紛の回答にウンウンと新崎は頷きながら
「それが探求の一歩というものなんだよ。土地の思念や信仰が形作った物、その痕跡、そのすべてに意味があるんだよ。私の短い説明で分かる訳がないんだ。それでいい。これからもっと励みなさい!」
『分からないことが良い』とは、確かにこの新崎は教授にまで昇りつめた人だ、その言葉を使えるのはその立ち位置に居る人間にしか言葉の効力がない。そこは同意する。
だが俺はやはりこの新崎教授という人物は信用する気はない。
自分の目的の為には人を道具程度にしか思っていないのだ。今この時点でも新崎にとって高崎は野良犬がなついてきたので頭を撫でている程度なのである。実に気持ちが悪い。
隣を見ると狐は食べ終わったのか満足している様子で胡坐をかいて肩肘をついている。
「流石は幸子が育てた物だ。たったこれっぽっちの量で十二分の満足が得られるなぁ」
狐の吊り上がった目が幾分か垂れているように見えた。
「おっと、露天風呂の時間がそろそろ男性の時間になるかな?私は酔い覚ましに入ってくるが、高崎君、どうだい?入りにいかないか?」
「良いですね!俺もお供します!」
と二人はレクチャー第二回戦を始めるノリで露天風呂に行こうとしている。
直人は俺に向かって「先輩も行きましょう!」と行ってくるのだが、
「食ったら眠くなった。酒を飲んでる教授の世話を頼む」と体よく回避するのであった。
二人がノリノリで部屋を出て行った後、俺は狐と部屋の縁側に出て月を眺めていた。正確には狐が勝手に許可もなく横に座っている。
夜の狐は本当に獰猛だ。獰猛というよりも俺の命令をあまり聞かない。『絆』があるのでかろうじて他人に危害を加えないと言った方がいいだろう。常に何かを狙っているような鋭い目つき、どす黒い長髪、赤が混じったような黒衣。可視化したのであれば誰が見ても死神や悪魔にしか見えないだろう。
だが、その黒い狐が月を見ながら一瞬口を開く、それも驚いたような上ずった声で。
「大和…奇妙で珍妙な奴が『私達の住処』に近づいてるんだけどぉ?うわ…何こいつ…気持ち悪い雨を携えて、吐きそうになる…」
そう言った狐は全身の毛が逆立ったような、一瞬ビクッとしたような反応を示していた。
「おい!どういうことだ狐!」
思わず俺は大声が出てしまった。
「家よ家。『今の私』にとってぇ…大敵。ちょっと、住処と繋がりを一次的に切らなくちゃ、私がもたないわぁこれは…うぷ!」と盛大に吐きそうになっている狐が居た。
俺は混乱したが直ぐに冷静になった。
つまり『夜の狐にとって大敵』と言ったのだ。
「じゃあ家は問題ないな。サッサと俺の体に戻れ」というと「そうするわぁ…ウプッ!」と吐き気を堪えながら狐は左手首に戻っていった。こうすることで狐は住処と一次的に繋がりが切れる。
(これが、俺がやっちまった失敗…いや、役目だな。これで家族が護られるなら問題もない…)
などと過去の行為に理由付けをして捕らわれそうな悪い念を振り払った。
それはさておき奇妙なことが起きているようだ。俺は今の狐の反応を落ち着いて言語化してみた。勿論整理のためだ。
「つまり『俺の家の付近で人間ではない善性の高い者が雨を携えて徘徊している』ってことか?…どういうことだ?」
口にしてみたが、そんな者が現れる理由が思いつかない。
俺の問いかけに反応したのか左手首から カリカリ と引っ掻く音が聞こえる。どうやその解釈で間違いないらしい。
本来なら善性の高いものが現れることは実に喜ばしいことなのだが、これでは今夜『夜に狐』を容易に表に出すことが出来なくなるともいえるだろう。
「…そいつに居座られると少々厄介だな。だが今は四国だ、俺から手出しできない…そうなるとそいつが家周辺を彷徨っている間、夜は『狐面』を常に使わざるを得ないか。爺さん、俺が帰るまで家族を見守っててくれよ」
当面の対策は自分の中で出した。
だが、実家の周りを徘徊する得体の知れない善性なる者に一抹の不安を覚えた。
『夜の狐を存在だけで引かせる善性』とは、経験上自然から逸脱しているのだ。それがどれほどのモノかは朝に狐に聞いてみればわかるのだが…
「直接的な害は無いだろうが…家族に何かしてみろ、必ず、俺が、消す…!」
俺はそう呟き、赤い月を睨むように見上げてた。
・・・・・・・・・・
「おはようございます先輩。そろそろ時間ですよ?」
安眠妨害装置の代わりに安眠妨害野郎が俺の眠りを妨げてきた。
「なあ、朝飯までもうちょっと寝かせろって…」
「ダメですよ!そろそろ榊さんが到着するんですから。俺入れ替わりになる前に朝飯食べたいんですって」
と直人は一人で朝食を食べに行けばいいのにわざわざ俺を起して一緒に食べに行こうと誘ってきた。
眠い目を擦りながら布団から体を起す。俺の隣の布団には新崎が大の字でいびきをかいていた。その状況を見て、ぼんやりした頭で直人に反論する。
「おい…教授を置いて飯は食いに行けないだろ…」と正論で反撃するのだが
「でも教授、昨日露天風呂で『私は朝ごはんは食べない生活なんだ』と言ってましたけど?それを聞いておいて起したら…怒られますよねきっと」
と俺だけを起した理由を説明した。それなら仕方なしと重い体を起して着替え始めることにした。
だが、いつから朝飯を食わない主義になったんだこの人は…と疑問に思った。
(つまるところ、俺達がここを離れた後に何かするってことか)
と納得してもう一度チラッと新崎をみるのだが、やはり本腰で寝入っている様にも見えた。
再度確認の為に、
「じゃあ朝ごはん食べてきますね教授」と小声で言うと新崎は一瞬ニヤリと笑った。
(狸が狸寝入りですか、さいですか)
とため息をつきつつ朝食が用意されている大広間へと直人と向かった。
やっぱり朝は納豆やら味噌汁やらの和食が一番である。そしてここは瀬戸内海に面している土地。海産物が故郷とレパートリーが違いなかなか美味い。
「先輩…朝からそんなによく食べられますね…」とこちらの食欲にげんなりしている直人が引きつった笑いをしていた。
「馬鹿ものめ!朝は食べないと元気が出ないだろう!お前、こんなにうまい瀬戸の幸を食いっぱぐれるぞ!」とおかわりをしながら後輩を説教するのだが、俺の意見は無視され席を立って部屋へと帰っていった。ちょっと悲しいですと思いながらも、おひつが空になる程度に食べ続けるのであった。
ご飯が胃の中に入り終わる頃、向こうからショートカットの女性が近寄ってきたが、俺は只管その女性の存在を無視をして食後のお茶を堪能することにした。その女性どかどかと俺の隣に来るなり文句をたらたらと言い始めた。
「やっぱり大和はまだ食べてるし。何してんのよサッサと食べ終わったら部屋に戻ってきてくれないと困るんだけど?」
しまったな、耳栓をリュックに入れたままだと後悔した。食後のまったりタイムを邪魔されるのはかなり不快だ。
「おやぁ?育ちの悪い女中が何か騒いでおるぞ大和?返事はしてやらんのかえ?」
とくすくす上品に笑う狐が隣に立っていた。その姿は白装束で髪も純白、目元には紅を引いた姿だった。
「ああ、無視でいい。お前も食うか?」と五月蠅い女性を無視しつつ狐に話しかけた。
「ちょっとちょっと大和、人前でその変な影と話すのやめなさいって。本当に周りから見たら気味悪いわよ。そして私は食べないわよ、コンビニで済ませてきたわ」と小声でその女性は俺にこっそり注意してきた。
(相変わらずこいつは狐の存在には気が付いても見えてないし声は聞こえないのな。非常に助かる、面白くて!)
少し笑いながら「ああ、悪いな、癖だ。ところで薫、教授は起きたか?」と聞いた。
「教授も今身支度をしてるわよ。ほら、高崎君も入れ替わりの予定があるんだから部屋に戻ってあげてよね?私も直ぐに部屋に行くから」と少しだけ優しめに俺に告げ大広間を出て行った。
榊薫、数少ない『合格者』だ。生まれが生まれだけにその類の力はあるのだろう。その合格者と不合格者を急遽入れ替えると新崎は判断した訳だが、何を焦っているのだろうと思わせる采配だとは思った。B班は3人。その内、榊は合格者で残りの二人は『保留中』という立場である。普通なら『榊以外』をA班に連れてくるなら分かるのだが…
などとぼんやり考えながらお茶を飲み終え席を立ち部屋へと向かった。
廊下を歩いている最中、背後の狐は
「大和、あの女中の気持ちにいい加減答えてやってはどうか?少しは態度も変わろうよ」
と昼間の狐らしいアドバイスをしてきた。
「その気はねーよ。俺は俺の事で手一杯だからな。お前の気持ちだけは受け取っておく。…ところでお前の方は飯は食えたか?」俺は頭を少し掻きながら話をはぐらかした。すると狐は俺の本当に聞きたい問いかけの部分に重い内容を返してきた。
「ふふ…これは実に実に面白き者が来ておるな私達の住処周辺に。実に愉快。害は無し、『今は』ね。ああ朝餉かえ?しっかり朝餉は食べさせてもらったとも。されどこうも連日食べさせてもらうと、幸子が少々不憫ではあるな」
とくすくすと狐は笑っていた。『過分な善の先』を知っている俺は全身に鳥肌が立ち声が漏れる。
「マジで、何者だそいつ…」
自分の耳に届いた自分の声は震えていた。
正直侮っていた。善性と言っても昼間の狐ならば無視する程度だろうと高を括っていた。…いや、そうじゃない、『そうであってほしい』と俺は祈っていた。
夜の狐を引かせ、昼間の狐を笑わせる、それは最早化け物の類だ。『この人の世に居てはならない意思の塊』と言っていいだろう。
すぐさま昨晩考えた警戒レベルを一段階引き上げ、素早く携帯からメールを送った。
(全力で今の研修旅行を終わらせて直ぐに帰らなくては…)
自然と両手は拳になり背中に冷たい汗が流れる。だが今俺に出来ることは離れた土地の裕也と夜風に何事もないことを祈るばかりだった。
(もしもの時は兄ちゃんが必ずお前らを護ってやる。だが今は少しだけ頑張ってくれ!)
そう強く強く祈りながら今日の『任務』へと向かうのだった。
カサが要る日は雨が降る 外伝 「兄の務め 参」 終
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