第十九話【夜を越えて――】



「貫け――浄閃・抜核式ライトライン・エクストラクト



精霊たちの共鳴を肌で感じながら、シノンは願った。

蝶の心に触れるための力を、と。

精霊がその願いに答えるように、虹色の輝きが開いた掌に収束していく。


――そして、空気がきしんだ。


放たれる一筋の光線。

直線しか描けないはずの光が軌道を変えながら、空間そのものを曲げるように走る。


そして、一本、また一本と――

可視光が、虹色の光を拡散しながら、宙に幾重もの“線”を描いていく。

それぞれの波長が幾重にも干渉し合い、虹色の干渉縞が空間全体を縫うように広がった。


――それはまるで星座のラインを結ぶような軌跡だった。いくつも、いくつも。様々な星座を描く。


そして、幾重にも重なる光のラインが、檻の中央に収束していく。


その軌跡が、全て蝶の中心へと吸い込まれていく――


光が、瞬時に――突き抜けた。


すると……その“内奥の核”が、まるで空間に吸い上げられるように浮かび上がった。

蝶の身体は傷付いてはいない。

その魔法はまるで壊れたアルカナの手を引き、救い上げたかのようだった。




シノンは走る速度をさらに加速させる――


そして虹色の光に包まれたまま、核に向かってゆっくりと手を伸ばす。


しかし、それを拒絶するかのように無数の言葉にならない想いが、シノンの胸に流れ込んできた。

怒り、動揺、狂気――あらゆる“拒絶の波”が、実像となって彼を押し返す。

指先が震える。心が、軋む。


だが――


彼は目を閉じ、静かに息を吐いた。


「……わかってる」



その声は、風に乗って、静かに響いた。


波がふっと揺らいだ気がした。


そして――


そっ――と、

核に触れた――


瞬間――


空間が震えた。


――ぶわっ!!


蝶の体から魔力の波が溢れ出し、その奔流にシノンの体は飲み込まれる――


――ナンデ、ソンザイシテルノ


――キエタイ……


――ナンデ……ボクヲ……


――ナンデ、ナンデ、ナンデ

 

たくさんの想いが、シノンの胸に流れ込んでくる。


重い――


だが――彼は目を閉じ、その言葉ひとつひとつを噛み締めていた。

痛く、苦しく、孤独で、どこまでも救いがない、そんな光景を――

今この瞬間、蝶と共有していた。


「……辛いな。こんなの――どうしていいかわからなかったよな。」

これは対話――きっと、自分の力はアルカナという存在と対話するためにある。いまシノンはそう確信した。


壊れたアルカナは意味を渇望する。

だからこそ、唯一、存在に意味を与えてくれる魔力を求め続けるのかもしれない。

それはまるで、居場所を求める本能でもあり、

孤独感を埋める行動と同じなのかもしれないと、

シノンは感じた。


理解るなんて、簡単には言えないけれど――

今確かに心に刺さる、共有しているこの気持ちは嘘じゃない。


「大丈夫。お前はここに在る――俺がしっかり覚えておいてやる」



光が溢れた。


核を中心に、やわらかな光の波が広がる。


断罪ではない。ましてや浄化でもない。


それは、ただ「あなたがここにいてもいい」と、静かに抱きしめ、受け入れる――“受容の光”だった。


 

蝶の翅が、静かにたわむ。


怒りや、絶望が、薄れていく。


蝶の核にあった想いは――ずっと、世界に受け入れてほしかったという“たったひとつの願い”。


 


その願いに、シノンはシノンとして応えた。

世界の代わりにはなれないが、ただひとりの理解者として――


蝶には、

ただ、それだけで、十分だった――



「もう、俺が理解した。お前は独りじゃない――」


 


光が、世界を包んだ。


蝶の身体から、すう……っと何かが光に溶けていくように、

粒となって空へ昇っていく。


まるで夜空へ帰る魂のように――静かに、静かに。



そして、シノンの手の中では、

ようやく居場所を見つけたかのように、紫色の翅が静かに折り畳まれていた――



“壊れたアルカナ”と一匹の蝶が、癒された。



それは、討伐ではない。



ただ――ようやく、“願い”が叶った。


それだけ……


 

空に、光の粒が舞っていた。

神社の天井から差し込む星明かりと重なって、まるで流星群のように。


誰も、声を発さなかった。


ただ、見上げていた。


呼吸すら、忘れるように。



パティが、ぽつりと呟いた。


「……聞こえたよ。ちゃんと……」


 


リオは、ふと空を見上げたまま、眼鏡の奥で目を細める。


「……こういう終わり方も、あるんですね」


 

境内にいたすべての村人が、今ようやく目を覚ましたように顔を上げた。

幻影はもう、なかった。


恐怖も、幻覚も、今はもう――流星に溶けていた。


 

ミュンドは、杖をついたまま、その光景を見つめていた。


「……あやつが、やったのか……?」


小さく、呟く。


 

「シノン……ぬしは、一体――何者じゃ……?」


 


 

答えはない。


ただ、あの夜、あの神社で――確かに、ひとりの青年が“奇跡”を起こしたという事実だけが、静かに残った。


 


風が吹いた。


光が消えていく。


そして、静寂。


けれど、そこにいた全員が、確かに“なにか”を受け取っていた。




――世界は、変わった。


 


その夜のことは、村の誰もが語り継ぐ。


“月影に降りた陽光”として。




そして、そこに現れた“名もなき救い手”のことを――


 


“影を灯せし勇者”と呼ぶようになった。



* * *




朝靄に包まれたムーンシェイドの北端――。

パティの家、兼ギルド詰所の前には、小さな桟橋と、控えめに揺れる舟がひとつ。


その舟の脇で、パティとミュンド長老が向かい合っていた。


 

「おじいちゃん……」

旅支度を終えたパティが、ぽつりと声を落とす。


「いってくるね。たぶん、もう……そう簡単には戻ってこられないと思う」


ミュンドはしばし何も言わず、ただ目を細めていた。


そして、震える手でそっとパティの頭を撫でると――


「……お前は――わしの誇りじゃよ、パティ」


堰を切ったように、老いた瞳から涙がこぼれる。


「お前はずっと、ここに居場所を作ろうとしとった……じゃが、その居場所はこの村ではなかった。お前はもっともっと広い世界に行くんじゃ……ここは、わしらが守る。お前は、お前の道を行け」


「……ありがとう」

涙を堪えながら、パティはしっかりと頷いた。


「育ててくれて、ほんとうにありがとう。……大好きだよ」


 

ミュンドは何も言わなかった。ただ、もう一度だけ、その小さな背を抱きしめた。



「パティ姉ちゃん、行っちゃうの?」


 

振り向けば、マシュウをはじめ、子供たちが並んでいた。


手を振りながら、どこか寂しげな笑顔を浮かべて。


 

「うん。またね」


パティが笑い返すと、小さな声が続いた。


 

「ちゃんと帰ってきてねー!」


「パティ姉ちゃん、がんばってー!」


「おにーちゃんもー!」


 

その隣にいたのは、あの長老会の一人――ゆでだこ頭の男だった。


 


「……まず、青年。礼を言う」


 

シノンに向かって、深く頭を下げた。


「君のおかげで、村は救われた。本当に……ありがとう」


 


そして、顔を上げると、パティを真正面から見据える。


 


「……そして、パティ。長年……本当にすまなかった」


その声音には、確かな悔いと痛みが滲んでいた。


「お前を、恐れ、避け、見ようともしなかった。それでも……守ってくれたこと、忘れん。わしらも変わらねばならんと、ようやく気づかされた」


 

パティは驚いたように瞬きし、それから、少しだけ目を伏せて呟く。


 

「……うん。変わってよ。ちゃんと、未来のために」


 

静かな一瞬。


やわらかな空気を風が凪いだそのとき、リオがふと口を開く。


 


「……この街にも、光が灯ったみたいですね」


 


やさしい微笑みとともに放たれたその言葉は、まるで旅立ちを祝福するように、差し込む朝日に溶けていった。


 


舟がゆっくりと離岸する。


シノンが、慣れない手つきでオールを漕ぎ、舟を滑らせる。


 


岸から離れていくパティとシノン、そしてリオを、子供たちと村人たちの声が、そっと見送っていた――




* * *




舟が静かに進んでいく。


水面は鏡のように滑らかで、洞窟のランタンの光が反射して、まるで空に星を浮かべているようだった。


ムーンシェイドの街並みが、ゆっくりと遠ざかっていく。


岩肌に抱かれた幻想の里。紫に淡く光る鉱石、壁に絡まるヒカリゴケ、宙を舞う蝶の群れ――。


まるで夢の中にいたような日々が、少しずつ、後ろへ流れていく。


 


舟の先端で、パティが振り返った。


「……綺麗だね」


その声は、別れと感謝の入り混じったものだった。


 


「でも、きっと……ここがすべてじゃない」


 


その隣で、シノンはオールを漕ぎ続けていた。


言葉はない。ただ、静かに頷く。


水音だけが、ゆったりと響く。


 


そして――。


 


舟が、洞窟の裂け目を抜けた。


 


 


――光が、射した。


 


 


眩いほどの朝日が、三人を包む。


目の前には、草原が広がっていた。


そよぐ風が髪を撫で、野花が咲き、虫が鳴く。


世界は、こんなにも広くて、美しかった。


 


ムーンシェイドの夜が終わった。


新しい一日が、始まる。


 


馬車が待っていた。


少し先の小道に、リオの手配した輸送車が止まっている。


荷物を積み直し、三人は乗り込んだ。


 


 


揺れる車輪の音。


草の香り。


世界の音が、違って聞こえた。


 


「なあ、先生」

シノンが、ぽつりと口を開く。


「本当に……俺らが魔物討伐管理組合ギルドに所属できるのか?」



「なに言ってるんですか」

リオが笑う。

「――あんなもの見せられて、スカウトしないわけにいかないでしょう! それに――」


「それに?」

パティが首をかしげる。


 

リオは、ふたりを交互に指差す。


「あなたたちには、今度新設される予定の新しい部署を任せます!」


「……は?」

「……え?」


「その名も! 異象解明局いしょうかいめいきょく! 略して――」




「イカ局!!」


 

突然の宣言に、シノンとパティは目を見開いた。


 

「この世の不思議、都市伝説……!」


リオは立ち上がって、馬車の揺れもものともせずに、勢いよく手を振り上げる。


「それを、その素晴らしい力で――」


 

パティを指差す。「直感と!」


シノンを指差す。「精霊を駆使した調査力で!」


 

「すべて解体していく!」


胸を張って、最後に――


 

「それが……イカ局です!!!!」


 


馬車の中が、しん……と静まり返る。


あっけに取られたシノンとパティが、顔を見合わせた。


 


「……何言ってんだ、この人」


「でも、ちょっと面白そう……かも」


 


「ごほん」

リオが咳払いをひとつ。


 

「まあ、詳しくは港街フィーンベルについてからお話ししましょう。さあさあ、世界が二人を待っていますよ!」


 


馬車は走り続ける。


太陽の下、新しい物語が、静かに始まっていた。


 


 


――この旅の終わりに、何が待つのかは、まだ誰も知らない。


 


 


ただ、確かに、あの夜――

ムーンシェイドという名の影に、ひとすじの光が差したのは間違いない。


 


そして今。


 


その光は、世界へと向かって、走り出したのだった。






【都市伝説FILE-CASE01.ぬるぬる様――解体完了】

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