第30話 帰路の置き土産

「おねぇ! 美世さんが来たぞ!」

「お姉ちゃん、挨拶しようよ」

 門の近くで、妹たちに囲まれている礼花が見えた。滝と別れた後、荷物をまとめ送り出しのために門まで来た二人を見て、子どもたちがやってきた。

「あの……久堂様……」

 おずおずと見上げる礼花に、清霞はやれやれとため息をついた。そして、手にしていたカバンから封書を一通出すと礼花に差し出した。

「これは?」

「お前宛だ。中を確認しろ」

 有無を言わせない雰囲気に、驚きつつも礼花は封書を開封した。そして、その文面を見ていくうちに小さく震えだした。

「あの、久堂様。これは一体?」

「見て分からんか、請求書だ」

 せいきゅうしょ、と美世は心の中で疑問符を浮かべる。請求書というのは金銭のやり取りを証明するものだ。でも、今回に限っていえば請求書が発生するとは思えない。あったとしても、彼らが宿代を美世たちに請求するのだと思っていたので、その逆があるとは思えなかった。

 顔を上げた礼花の顔は青ざめていて、心なしか目が潤んでいるようにも見えた。


「あの、何かの間違いでは?」

「たわけ。この私を誰だと思っている。特務隊の隊長だぞ。それを4日間も私用でこき使ったのだ。これくらいもらわねば困る」

「は、はい……」

「百円だ。これでも安く上げたつもりだぞ」

「…………」

 さらりと言われて、美世も言葉を失った。途方もない金額だ。金の価値が分からない美世でさえ、その額面に圧倒されるほどだ。軽く半年くらいの食費が賄えてしまう。場合によっては車ですら買えるかもしれない。

「これでお前のやったことを手打ちにするんだ。お前がやったことは場合によっては異能の越権行為、国家反逆罪にも該当しかねない」

「……っ!?」

「茂治さんにも話は通してある。期限は設けない」

「……でも。百円ですよね?」

 だとしても百円を返していくなんて、どうやってもできない。それもまだ学生でしかない彼女ができるわけがない。顔がどんどんと暗くなっていく礼花を見て、さすがの清霞も気まずくなったのか、咳払いをした。

「だがな、特務隊に入ればすぐに返せる」

「!? で、でも、私の……”山守”の異能は……」

 驚きと恐怖の入り混じった何とも言えない表情を礼花が向けてきた。

「特務隊の給料であれば百円などすぐに返せる。それに、お前の言う”山守”の異能も、問題ないだろう」

「え? え?」

 頭に疑問符が浮かんで止まらないのは礼花だけではなかった。その場にいた3人も同様だった。その表情を見て、清霞は深くため息をついた。

「お前は帝都に行きたいんじゃないのか?」

「それは。もう……いいんです」

「いいのか? お前に会いたがっている者は特務隊にも少なくない、あの五道も私が行くといった時にお前のことを話していたぞ」

 五道、という名前を聞いた途端礼花の顔がぱっと朱に染まった。険しい顔から、少女の顔になっていく。

「ご、ご、五道様が……私のこと……を? え、えええええ……」

 封筒を持ったまま、顔を赤らめて困惑している。うれしさと恥ずかしさに塗り替えられていく様を見て、美世はあら、と不思議に思った。

「どうした? 顔が赤いぞ?」

「な、なんでも、ありません! ありません、から!!」

「なぜそう声を荒げる? 五道がまたやらかしたか?」

『そうだぞ! 山から追い出したのに、また性懲りもなく登りおったあの小僧のことなど、なぜ構うのだ!!?』

 地面から聞こえてきた声にその場にいた全員がはっと視線を礼花の背後に向けた。

『あの小僧め、某をただの犬と言って撫で繰り回すだけでは飽き足らず、礼花にべたべたとなれなれしいことこの上ないわ!』

「ご、後門様っ!?」

 確かに後門の声だ。それがなぜか礼花の影から聞こえてきた。あの時、礼花と一緒になって消えたというのに、どうしてここにいるのだろうか。その場にいた全員が礼花の影に視線を向けた。


「後門様の声?! これはどういうことですか、旦那様!?」

「後門様がどうして私の影の中に??」

「おねえ、後門様! 後門様の声だよ!」

「後門様? どうして……?」


 4人の視線をなぜか集めてしまった清霞は、不可解だと言わんばかりの顔をした。しばらく考え込むと、もしかすると、とつぶやいた。

「あの時、後門は完全に消滅したわけではない。礼花、お前の儀式が美世によって中途半端になってしまっただろう。その為、後門の魂の一部が礼花の中に残ったのだろう。私達にも言葉が淀みなく聞こえるのは、礼花を通しているからかもしれない」

「……」

「”門番”と融合した、ということですか? なら、私は一体……」

「それは分からない。専門家の意見を仰ぐほかないな」

「でも、だとしても”山守”の異能は……」

「それも問題ないだろう。”門番”が入っているのだ。それは山そのものがお前に宿っていることにもつながるだろう。ならば、帝都だろうがどこにいようがその異能をふるうことはできる」

「……そ、それでも……」

「礼花さん、言ってたじゃないですか。私は、私のままで皆さまを守りたいって」

「美世、さん?」

 くるくると表情が変わる少女を前に、美世は笑みを浮かべた。初めて会った時は、あまり感情を表に出さない子なのだろうと決めつけていた。でも、それは”門番”にならなくてはいけない、という思いがあったから。

 でも、それがなくなった今目の前の少女はその枷を取っ払って、あらわになった感情を惜しげもなくさらしている。それを少しだけ羨ましい、と思うけれど。

「今、それができるではありませんか?」

「そう、です、ね。そうです、ね……っ!」

 ふわっと、礼花の目が開いたかと思うと、くしゃりと顔をゆがめて泣き出した。

『だ、だめだぞ礼花!! 帝都に行くなぞ! お前は山にいる方がいい! あんな緑がない所など、某は!! そ、それに某は!』

「後門様、諦めて。それにその科白せりふ、お父さんのだから」

「そうだぞ、諦めて都会の風に吹かれてくるのだ。いい運動になるぞ」

 後門の形になった影に向かって仁花と智花が膝を抱えて呟いた。その言葉に、毛を逆立てて後門が何か反論していたが、泣きじゃくった礼花の声で美世には聞こえなかった。


「返事は?」

「はい。はい、時期が来れば……いずれ!」

 そういって顔を上げた礼花の顔は涙にぬれていながらも、確かな光を帯びていた。その顔を見て、美世もようやく心のつかえがとれたような気がした。後から合流した茂治と滝にも礼を言って、美世たち二人は来た時と同じように山を下りた。



「教主様。今回の件、不十分な結果に終わりましたね」

 美世たちが下りた方とは逆の山の高台に二人の男が立っていた。遠眼鏡を掲げた男が、背後にいた男に語り掛ける。二人とも黒を基調とした目立たない服装をしていた。

「いや。後門自体の回収は不可能でも、奴らがやっていた魂を異形に近づける方法についての見解は一通りそろった」

「やはり、”門番”は魂の異形化で間違いないと?」

 背後の男は満足げに顔を歪めた。笑みのはずなのに、底冷えするような冷たさだった。

「あぁ、それで間違いないだろう。これで実物を見るのは2度目だ、研究の論拠にも確信が持てた」

「前回はちゃんと”門番”になっていたので、処理も簡単でしたが。拠点にすることはかないませんでしたね」

「そうでもないさ。どのみち”門”の呪いで、山から出られなくなるんだから、どちらにせよ同じことだ。まぁ、あいつらは”門”を破壊したわけだけど、どうなるかは知ったことではないね」

 そう言い残し、男たちは興味を無くしたかのようにその場を立ち去った。彼らには、これからするべきことが残っているからだ。


「あぁ、早く行かなければ」

 笑みを浮かべたままの男は、息をついた。


「”娘”にふさわしい世界にするために」


 その言葉には押しつぶされそうな感情が塗りこめられていた。

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