第15話 暗礁、記録、期待。
昼ごはんのそばは店で出されるものと遜色がなかった。等間隔で切られた麺にはこしがあり、丁寧にこねられたおかげで粉っぽさはない。添えられたねぎは細切りにされ、つゆの甘じょっぱさに彩りを加えている。
(本当に、いただいてばかりでいいのかしら……)
「美世さん、私になにか?」
「い、いえ!? お、おいしい……です」
「それならよかった。私達の味付けですから、帝都の方の口に合うか少し心配だったのです」
「そんなことありません! いつもおいしくいただいています」
そういうと、滝はくすくすと笑いだした。美世が顔を赤らめて座っていると、ちょんちょんと仁花が美世の膝をつついた。耳を傾けると、仁花が内緒話でもするように口元に手を当てる。
「どうしたの?」
「後で書斎の方へ行こうって、智花と話してて。美世さんも来る?」
「書斎?」
「家に伝わる書物とか、絵とか、いろいろあるよ? 見回りだけじゃ、情報は集まらないだろうし」
それは一理ある。清霞も書斎の方を調べたこともあったようだが、決定的な資料は出てこなかったと言っていた。なので、ずっと山を探し回っている。
(旦那様が見つけられないのに、私に見つかるものかしら)
「”山守”について色々知ってほしいんだ。後門様がどれだけ村のみんなのために働いてくれたことも……」
その言葉は深い彩でかたどられていた。
書斎は回廊の先にある渡り廊下を渡り、中庭を横切った先にある蔵のような建物だった。中に入ると湿っぽい臭いがしたので、窓を開ける。明るくなった室内にあるのは整然と並んだ本棚と、それを見るための文机が一台。床は湿気を吸うために畳が敷かれている。
「元は蔵だったんだけれど、お父さんが建て直したんだ」
「お父さん、ああ見えてため込み癖がすごくて。お母さんに怒られてからは、ここに入れるようにしたんだ。ここならいくら入れても大丈夫だし」
本棚は3面を囲ったものではなく、柱を立て渡し板を置いただけの簡素な造りだった。高さは美世の背ほどしかないが、ぎっちりと本が重ねられたものが4棹もある。礼花の部屋とはまた違った重々しさを感じた。
「この棹は日記だから探さなくていいね。だとするなら、こっちかな?」
「美世さん、この辺りからが村の記録だよ」
そう言われても、なにがなんだか分からない。和綴じの本の大きさはまばらで、どれも達筆だった。字は習ってはいるものの、それを解読するのは難しい。
(この中に、旦那様に知らせるものはあるのかしら……)
一冊一冊手に取って開いてみるが、何が書いているのか全く分からない。絵が入っていれば、中身を類推することも可能だろうがそれも叶わない。文字の流れを見ているうちに、自分は何を探しに来たのだろうと思い始めた。
文字がまるで川のように流れて、解読するよりも文字をただ追いかけているような気になってきた。崩されたり、変形されたりしている文字はまさに暗号だ。大昔の人たちはこれをすらすらと読み解けたのだろうか。
(いけない、ちゃんと調べなきゃ)
とはいっても、自分には分からないものばかりだ。筆で書かれた書物は難しい。せめて版木か活版の印刷物であれば……と思いながら本を引き抜くと、何かがひらりと落ちた。拾い上げてみると、新聞の切れ端のようだった。日付は5年ほど前の物で、しみは確かにあるが奥にしまい込まれたせいか思ったよりもきれいで、ちゃんと読める。
「これは……新聞かしら? 新聞なら読めそうだわ」
活版なら自分でも読める。規則正しい版をそろえて印刷する活版なら、美世でも分かる書体だ。難しい漢字はなく、見出しはすぐに読み解けた。しかし、その見出しを見た途端目を疑った。
「…………礼花さんが、誘拐された?」
記事の見出しはこうだった。
”勘解由礼花ちゃん(12)見つかる。35里離れた自宅で“、と。
(誘拐事件なんてあったのね。それに、自宅で見つかった?)
驚きつつも記事を読んでいくと、礼花は3日間ほど行方不明だったらしい。しかも、帝都で姿を消したにもかかわらず、見つかったのは自宅付近の山だった。本人に何があったか聞いてみてもショックのあまり何も言えない状況ではあるが、目立った外傷はなく、無事に家族の元に帰ることができてよかった、と記事は締めくくっていた。
「これは……」
拾い上げ、読み上げた美世が二人の方を見ると言ったろう、と仁花がつぶやいた。
「礼花おねぇは帝都にいたとき攫われたことがあるんだ。でも、家に帰ってきたんだ。絶対、絶対後門様が送ってくれたに違いないんだっ!」
「じゃなきゃ、帝都からここまで来れるわけがないから」
「…………」
美世はゆっくりとうなずいた。帝都からここまで来るために、いくつもの電車を乗り継いでやっと辿り着いたぐらいだ。
「旦那様はこれをご存じですか?」
「あぁ、知っている。お父さんからもそんな話が出ていたしな」
「…………この日から、なの」
「智花ちゃん?」
智花がうつ向きながら言葉を繋げる。小さく震えながら、服の裾をつかみながら吐き出す言葉は泣きそうだった。
「この日から……礼花お姉ちゃんが見つかってからなんだ。後門様が今のように暴れるようになったのは……。それまでは、私達とも毎日のように遊んでくれたし、”山守”の修行にも付き合ってくれていたのに……」
もう、何も話せない、と智花が泣きだした。わぁわぁ、と子どもらしい感情を丸出しにした泣きかただった。あふれる涙をぬぐおうともせず、顔を赤らめながら大声で泣きだす姿に、美世は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
「あぁ、きっと礼花おねぇを攫った奴は後門様が狙いだったんだ。”山守”の危機に”門番”が現れるのは”山守”の一族を調べれば出てくる話だ。だから、おねぇが狙われたんだ……! なんという卑怯な真似を!」
智花につられたのか、仁花もまた涙声で話し出した。智花を慰めるように手を繋ぎ、悔しそうに顔を歪ませている。姉に慰められた智花は何度も目をこすって、それからじっと美世を見上げた。
「だから、仁花お姉ちゃんは見つけに行くんだって……」
「何を?」
その問いかけに、キリッと仁花のまなざしが鋭くなった。
「決まっている! 礼花おねぇを攫った犯人を、だ! そいつが後門様を乱心させたに決まっている! 絶対とっ捕まえて、後門様を乱心させた報いを受けてもらうんだ! だから、帝都に行く許しもらわなきゃいけないんだっ!」
「それで……旦那様に挑んで……?」
こくり、とうなずいた。それを見た途端、美世の心が大きく揺れた。なんて姉妹思いの子だろう、と。
(憧れじゃなくて……礼花さんと、後門様のために……。)
清霞の言葉に何の疑問もなく賛同してしまった自分が恥ずかしい。自分も帝都にあこがれる小さな女の子、としか思っていなかった。でも、本当は姉を攫った犯人を見つけに帝都に行きたいと思っていたのだ。
(だから茂治さまも……)
それが分かっているから、父である茂治は無謀でしかない条件を突きつけたのだろう。無謀であるから、いずれは諦めるだろうという父の思惑に反し、娘の復讐心は膨れ上がっている……。
怖いだろうに、格上である相手に挑みかかっているその勇気を蛮勇だと嗤うことはできない。それほどの覚悟を感じたからだ。
「仁花ちゃん、智花ちゃん……」
そういう事しかできない自分の無力さが恨めしい。もし、これがゆり江なら優しく説得しただろう、葉月なら二人を慰める機転のきいた言葉を言えただろう。自分にできることは……何だろう。
「お願い、美世さん!」
先ほどまで泣きじゃくっていた二人が叫んだ。
「後門様を助けてっ!」
そういって腕に抱きついてくる。そう言われても、自分に何ができるだろう。それに、清霞や茂治は後門を倒すことで意見が一致している。自分に彼らを止めることなどできっこない。後門が暴れ、ふもとの住民が困っているのは紛れもない事実だ。礼花が攫われたことと後門が暴れるようになったことの関連が見えない今、やみくもに主張するわけにもいかない。
(私に……いえることは……)
お願い、と言われても美世にはどうすることもできない。二人分の重みが、まるで巨石のように感じた。
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