第5話 山守の三姉妹

 ”山守”と言うのだから、美世は何となく山間の平屋でひっそりと暮らしていると想像していた。目の前にあったのは、平屋なのは間違いないのだが、いくつもの回廊があり、蔵も建てられた立派な屋敷だった。

「あの、あの……」

 これのどこが”小さい”なのだろうか。宿と言われてもうなずいてしまう。

(気づいたらお屋敷だなんて、舌切り雀のお話みたい)

「何だ美世?」

「この間会った時、茂治さまは小さい家って……」

「あの人は自分を過小評価するきらいがある。話半分に聞いておかないとこっちが面食らう羽目になる」

「それには同意見ね。私もここに嫁ぐときも”君の部屋を用意できないかもしれないけれど”なんて言ってたけど、ちゃんとあったし」

 腕を組んで二人がうなずいている。

「私は先に戻って、お茶の用意でもしているわ。庭を見て回ってもいいし、すぐに上がってもいいわ。疲れたでしょう?」

「あ、では……お邪魔します」

 ぺこりと頭を下げ、滝の後ろをついて行く。屋敷の入り口を開くと、目に入ったのは丁寧に額に入れられた水墨画の衝立。その奥には台に置かれた生け花、左右に分かれた回廊の天井にはそれぞれランプが吊り下げられている。

 

 これのどこが小さい屋敷なのだろう。履き物を脱ぎ、隅に置く。この屋敷で過ごしたことのある清霞に合わせた方がいいので、辺りを見渡すだけにとどめておこうと美世は思った。

「やっと足がのばせます……」

「あぁ。……来たか」

 顔を右手で覆い、心底あきれたかのように清霞が肩を落とした。それとともに、廊下の先からどたどたと何かが駆け寄ってくる音が聞こえ始めた。駆け寄ってきたのは髪を顎の下で丁寧に切りそろえた少女だった。

 少女は手にした竹刀を大きく振りかぶり、飛び上がった。


「久堂清霞!! 今日こそその首もらったあああ!!」

「だ、旦那様!?」

 少女の大声に全く気付かないとでもいうように、すっと清霞が立ち上がった。そのせいで、少女がもくろんでいた清霞の背が動いてしまい、玄関にしかれたじゅうたんに変わる。

「ふぎゃぁあ!?」

 強くじゅうたんに突っ込んでしまった少女は痛みに耐えるようにうずくまってしまう。背格好からして、12か13くらいだろうか。身にまとっているのは白い道場着に紺色の袴で、竹刀もあるので剣道をしているのだろうか。

「何度言ったら分かる。お前が私に勝とうなど、天地がひっくり返ってもありえんと。いい加減諦めたらどうだ?」

 諦める、という言葉にピクリと少女の背が震えた。そして、打ち付けた痛みが言えたのだろう、うずくまったままゆっくりと顔を上げた。痛みで目が潤んでいるとはいえ、まっすぐに清霞を見上げている。

「ふふ、諦める? そう悠長なのも今のうちだぞ久堂清霞。だが、さすがはうちの終生の好敵手。うちの動きを即座に読むとは……」

 そういってのける表情はどこか滝にも似ていた。もしかしてこの少女が”娘”なのかな、と思っていると清霞がすたすたと屋敷の中を進んでいってしまった。

「だ、旦那様!?」

 いくら不意を突いてきた相手とはいえ、まだ幼い女の子を涙目にさせたまま去るのは心が引ける。けれど、このやり取りに飽きたとでも言わんばかりだ。


「ふふ、強者はああでなくては張り合いがない。それでこそ、うちの好敵手にふさわしいというものだ」

 くくくっと手を口元にやり、にやにやと笑い出した。

 好敵手、という言葉に美世は首をかしげた。よく分からないが、どう考えても相手にすらされていないのは見てわかった。

「あの、大丈夫……?」

「大丈夫って何が?」

「さっき、すごい音がしたような……?」

「大丈夫、”山守”が自分の山でけがをすることはあり得ないから。加護の術をかけたんだよ。……って、お客さんどちらさま?」

「ええっ……」

「久堂清霞と一緒にいたということは、お前が———ひゃっ!?」

「こら、仁花ひとか。お客さんに向かってお前なんて言うものじゃありません。また清霞に喧嘩を吹っかけて、迷惑をかけない」

「けんかじゃあない! !」

 (約束?)

 軽く頭を小突かれた少女、仁花は不満げな表情を父である茂治に向けた。

「いらっしゃい美世さん。何のもてなしもできないけれど、しばらくの間よろしくお願いします。ほら、お前からも挨拶なさい」

 父親に肩をつかまれ、仁花はしゅんとした。

「勘解由仁花です。はじめまして」

 先ほどの勢いがそがれ、くりくりとした目がおどおどとこちらを見上げている。はじめはどうなるかと思ったが、これくらいかわいいものだ。

「こちらこそ、初めまして。仁花ちゃん」

「はい!」

 ぱっと表情が明るくなるのも子どもらしい。美世の手を取って、仁花がどんどん進んでいく。左側の回廊がいつも使っている方なのだろうか。回廊に入ると、ガラス張りの戸の向こうから中庭が見えた。

 表とは違って、中庭は枯山水だった。形よく整えられた松の木の根元から、ごつごつした岩がいくつも積まれ、その先から柔らかい苔でおおわれた丸石が繋がり、そして波を描く白い玉砂利。


(こんな素敵なところがあったなんて……。雀のお宿に来たみたい)


 回廊の突き当りを開くと、そこは大広間だった。宴席でもするかのような大きな台があり、その上には一人一人膳が用意されていた。数は7つあり、そのうちの一つに清霞が座っていた。その隣に促され、美世が座ると、茂治が手を打った。

「改めて紹介しよう。俺がこの山の”山守”の勘解由茂治。そして、こちらが俺の妻の滝さん。滝さんは式の扱いが上手で、俺の術を支えてくれている」

「初めまして……」

「で、こちらが娘の……」

 そういって、茂治がさしたのは美世たちの丁度真向かいに座っている三人娘だった。

「はい! 勘解由仁花ですっ!」

 真ん中に座っていた仁花が大きく手を上げて自己紹介をした。

「年は12で、尋常小学校の6年生です! 久堂清霞の好敵手です!」

「…………」

「すみません、うちの子の中でこの子が一番元気で……」

「で、こっちが妹の勘解由智花ちか! うちと同じ尋常小学校の4年生で、歳は10歳だよ! ほら、智花。あいさつあいさつ!」

「ち、智花……です。花が好き、です。初めまして……」

 あぁ、なんだか心が落ち着く気がする。智花は髪を二つに分けておさげにしている。うつ向きがちだけれど、急に現れた客人に好奇心が抑えきれていないのだろう、ばれないようにちらちらとこちらを見ている。

(かわいいわ)

「はい、はじめまして。智花ちゃん」

「で、こっちがお姉の———」

「勘解由礼花れいか。高等女学校4年生で、歳は17。よろしくお願いします」

「初めまして……」

 すっと、視線をそらされた。長い髪は癖がなく、妹たちとは雰囲気がまた違っていた。どこか初めて会った時の清霞を連想させた。

「お前たち、今日からしばらくの間内で過ごしていただく斎森美世さんだ。失礼がないようにしなさい。この方は清霞の婚約者殿だからね」

 父の言葉に、娘たちがはぁいと元気よく返事をした。ただ、一人を除いて———。その人物は斎森、と小さく呟いた後、すっと膳を盆にのせると立ち上がった。

「お姉?」

「礼花、どうしたんだい?」

「今度の試験に集中したいから、一人で食べたいの。お客様、私のことは気にせずゆっくり過ごされてください」

「あ、あの……」

 美世が言うよりも早く、礼花は盆を持ったままどこかへ行ってしまった。

「すみません。丁度反抗期、ってやつでして……。美世さん、気を悪くしてしまったなら申し訳ありません」

「い、いえ!! そちらの事情も知らずに伺ってしまったのはこちらの方ですから……」

 そうですか、と茂治がため息をついた。

「そうだよ、おねぇのことは気にしないで。いつものことだもん! それより、美世さん! あとで帝都の話を聞かせて!」

「え、えええ??」

「こら、食事中は静かに」

 母親である滝にたしなめられ、仁花はペロリと舌を出す。おどけた表情に、美世はくすっと表情を和らげた。


「あの方が……そうなのね。後門様のためにもあの方には協力してもらわなきゃ」

 そうつぶやく声も、家族の大笑いにかき消されたまま。

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