第三節 黒い森の人
「……」。無言。
「えーと……きみは、この森に住んでるの……?」あり得ないとは思ってはいても、なんとなくそんな気がしたので、わたしは聞いてみた。
「……」
無言は続く。もう息は切らしてないけれど、無表情でこっちを見たままだ。
あれ? なんか怒ってる? いや、警戒するよね……そりゃ……。
警戒……?
――あ。
ここでわたしは、ようやく自分が迂闊だったことに気づいた。そう、わたしが今日ここに来た理由はヴァンの依頼があったからで、例えば、ヴァンにこの森の情報を流した人がいたとして……もし、その人がまた別の人にも情報を流していたとしたら……いまここで会ったわたしたちは遺物を狙う者同士。つまり、敵になる。でも、実際どうなのか分からない。ヴァンはどうやってこの森のことを知ったのか教えてくれなかったから。あいつはっ!
そして、もうひとつ。さっきわたしが聞いたように、本当にこの人がこの森に住んでいるとしたら、わたしはよそ者でしかない。
ねえ! 問題しかないっ! 空腹の欲に負けて動き回るものじゃないね! それで、どうしよう、この状況。相手は木の杖を持ってる。こんな体勢でも、わたしの魔力の形成速度なら、やれなくはないけど。
「……問題は……ないんだな?」
おっ? むこうから声をかけてきた。
――あれ? 心配してくれてる?
「うん! 見ての通り!」
「はあ……なら、よかった」。最初のため息はなに?
相手――いや彼は、手をふるような動作をして、魔力の杖を消した。
わたしは、藪から出ることにした。
そして、服とズボンについた葉くずとかを手で払いながら、まず、彼に聞きたいことがあって、
「色々聞きたいことがあるんだけど、とりあえずさ……」目を合わせる。
「さっきから、このお肉の焼けるにおいはなんだろう……?」さっそく欲に負ける。
「は……?」
彼はきょとんとした。
「ああ……はあ」。またため息。
「よくわからないが……来るのか?」
彼はくるっとして、わたしに背を向けて歩きだした。
「うん! いくっ!」
そうだった! よく考えたらこの人、悲鳴を聞いて駆けつけてきてくれたんだよね。
いい人だよ、きっと。
……息を切らして……うん、申し訳ないね……。
――そうだ! 聞かなきゃならないことがあった。
「きみ、名前は!」
「……ランド」
*
黒い木の隙間の道を、ランドのあとをついて歩いている。
「ねえ、この森に住んでるの?」と、またわたしは聞いてみた。
ランドは前を向いたまま、
「この森に住んでる……か。ここに家があるかどうかで言ったら、そうだな」
素っ気ないね……。でも、やっぱりこの森に住んでた。理解が追いつかない。だけど、そうなると色々と聞きたいことが出てくる。
――質問攻めだ。
「ひとり?」
「……そうだな」
「この森って、結構変わってるんだよね。それは知ってた?」
「とても黒い」
「おかしいって気づいてたでしょ。いままでだれも森に入ってくる人がいなくて」
「黒くて暗いからな」
歳は同じぐらいに見えるのに、なんだろう、このけだるそうな感じ。これは、森にずっといるからって感じじゃないよ。生粋のものだね、きっと。
「お肉焼いてるってことはさ、この森には獣がいるの?」
ああ。とランドはこれまた短く答えた。
「……じゃあ、獣を狩って暮らしてるんだねえ。大変そう」
でも、格好とか見ると小綺麗にしていて、森住みとは思えないんだよね。
金色の髪は無造作っぽいけれど、少なくとも鏡の前には立ってそうに見えるし。フード付きの上着に何個かついてるニコニコマークの刺繍は、わざと継ぎはぎに見えるようなデザインなのか、または自分でやったのか。
「あ」と、ランドは言った。「一応、言っとくけどな、近くの街に出かけたりはするからな」
「ふむ……」たしかに。そうだよね。生活成り立たないもん。
……ん?
いま、街って言った?
「……あれ? 近くの街って、もしかして街道沿いのリガってところ? ここから結構距離あったけど」と、わたしは気になったことがあったので聞いてみる。
たぶんな。とランドは言った。
「やっぱり。わたし、その街に泊まってきたよ……そこそこ人のいるあんな街でどうやってこの森を隠してきたの?」わたしの止まらない探求欲。
「……隠す……? そんな気はないが、そこまで人と関わらないだろ。いや……なんとなく話がかみ合わない時はあったか……」
「そっかぁ」
なるほど。
人の認識から外れていて、なおかつ、住んでる人がいたとしてもその本人の外への興味のなさ。それでずっと隠れ続けてきたんだ。ぎりぎりのところで。
わたしはいま通ってきた道を振り返って、
「獣を狩るっていっても、全然いる感じしないよ。……というか、住むところあるの?」
「いや……あのな」と言ったランドは、口調からして笑ったのだろうけど、前を向いたままなので顔は見えない。
「あんたは、なんつうところから来てんだ?」
「エッ!」
沈黙。
*
なんて、そういつまでもノリで黙っているわけにもいかない。聞きたいことがたくさんあるんだから。
でも、なんか、大事なことを聞けてない気がするんだよね。なんだろう。聞かなきゃならないこと。そもそも……そもそも? 黒い森……うーん。
そんなことを考えていると、いきなり視界が開けた。ランドが案内してきたのはこの場所だと、すぐに分かった。
そこはちょっとした円形の広場のようになっていた。木は生えていなくて、地面には――やっぱり黒い――芝生が広がる。そして、上を見るとぽっかり開いていて、そこには、久しぶりの空があった。
「まぶしい……」と、わたしはつぶやいた。そして、目の前の光景に呆然としてしまっている。
それは、さっきの道の出処のわからない木漏れ日ではなく、正真正銘の光の情景。黒い木を撫でて、斜めに降り注ぐ数多の光の軌跡。まるで何者かの手が介在したかのように整えられた、黒い闇の中の安寧の場所。束の間の休息地――。
「なんというか……言葉にならないね」こういう時に使うんだ、この言葉って。頭の中にいろんな言葉がよぎったけれども、結局こうなる。
「まさに、おあつらえむきって感じ!」と、わたしは続けた。
ああ。そうだな。と言ったランドは、まだ上を見たままのわたしを、じっと見ていたような気がする。だけど、何も言ってこなかった。
わたしが視線を戻したとき、ランドは広場の真ん中にある、焚き火のあたりにいた。
「ああ。やっぱりな……焦げてる」と、ランドは言った。
――あっ! そうだった!
わたしの目当て――あっ……いや……。
「焦げちゃった? わたしのせいでごめんねっ! でも大丈夫!」と、わたしは言った。
「いちばん焦げてるやつちょうだい!」
しゃがんで焚き火と向き合っていたランドは、ちらっとこっちを見て、笑った。
ん? わらわれた?
「やっぱり、そうくるのか……」と、ランドは言った。
あれ? なんかおかしかった? 話、噛み合ってなかった?
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