第2話 釘打ちのレーゼ
旅を続けるには何よりもお金が必要だ。行商人や配達人の様にたくさんの荷物を抱えて歩き回るのは大変で、王都から離れれば離れる程、人々の生活は貧しく、食料品以外に使うお金は少なくなっていく。
「さてさて……」
手持ちの荷物をベッドの上に並べて、辺りに聞こえない様に静かにお金を数える。硬貨同士を擦らず、重ねない様に、静かに並べる。鉄貨が三十二枚、銅貨が十七枚、銀小貨が二十枚。
「相変わらず六か月分くらいだね」
盗まれたことは無いけれど、銀小貨はショーツに縫い付けた袋の中に入れ直す。硬貨がぶつかって音を立てない様に、隙間にただの麻の布を入れておく。
残りは革袋の中に入れておく。拳三つ分ほどの大きさの革袋の中には余った小麦粉が入れてあり、硬貨が擦れる音は聞こえなくなる。
他には、手帳、木の枝を削ったペン、インク用のベリー、本、数種類の種、芽がでた根菜の残り、折りたたむと拳より小さくなる薄いネグリジェ、トイレ用の苔と葉っぱ、ナイフ、黒曜石のカミソリ、薬になる木の実や薬草。後は動物の胃袋で作った水筒。
水筒と革袋以外は大型の本が五冊ほど入る鞄に全部詰め込むから、他に何か詰め込む余裕はない。決まった場所にそれぞれ詰め直して、歩き始める準備を整えた。
宿の代金は前払いだから、そのまま宿を出ると、先ほど日が昇ったばかりという静かな日中が広がっている。遠くの方から、カンカンと鉄を打つ音が聞こえてくるが、小鳥のさえずりより小さい音だ。
「いい天気だ。散歩日和って感じ。こんな日に外に出ない何て無しだよね」
鉄の音が聞こえてくる方に歩き出す。
商売用の荷物も畑も無い旅人が稼ぐ手段は限られている。
魔術で何かをしてあげる。いいや、そんなことにお金を払う余裕を持っている人なんて先ず居ない。
魔術で作り出した緻密な装飾品や工芸品を売る。先に同じだ。
道中で拾った薬草や鉱石を売る。いいや、そんなに持って運べないし、私の行動範囲で採れるものにお金を払う人はそうそういない。ものすごく大量なら買ってくれるだろうけれど。
モンスターの討伐をしてあげる。人が暮らしている所に危険を冒して近付いてくるモンスターは居ないし、行商人とかに同行するなら需要はあるかもしれないけど、私の旅とは合致しない。
「お邪魔するよ」
建築中の建物の中に入っていくと、追い返そうとした人は私の耳を見て、口を小さく開けたまま考え始めた。
「旅をしているんだ。日銭を稼ぎたいんだけど、何か手伝わせてくれない? 釘を作るのは得意だよ」
どうやら此処に居るのはみんな下っ端らしく、頭をかいて悩み始める人がちらほら見える。気配を感じて右後ろの方を見ると、恰好が少し綺麗で筋肉がしっかりついている大男が居た。
「なんだ?」
「バイト。釘を作るのは得意なんだ」
「足りてる。帰れ」
迷惑そうな感じではない。ただ定型文を言って面倒事から避けたいだけという感じだ。こういう場合、大抵押せば言い合いが面倒になって一本打たせてくれる。
「まあまあそう言わずにさ。一本くらい打たせてもらえるまでここに居座っちゃうよ」
鼻から溜息を吐き、あっちいけしっしっと手で払いながら言う。
「一本でも失敗したら帰ってもらうからな」
「良い鉄なら失敗しないんだけどね。この近くの街でも打たせてもらったから、心配はしてないけど。サジャ鉱山製でしょ?」
今度は腕を組む。
「不思議な奴だな。あっちでやってる。ランクから言われてきたと言え」
「どうも」
インゴットを炉に入れ、取り出してハンマーで叩いて伸ばしていく。細く伸ばして丁度いい太さになったら、一定の長さ毎に叩き割って、先端を一つ一つ尖らせる。最後は逆側を叩いて釘の頭を作り、漸く完成。
身体を強化するような魔法は知らないから、全身を使って他の大男たちと同等の力を出していく。ぴょんと飛び跳ねながらハンマーを振り下ろすとかなり力が出るけれど、インゴットや釘に妙なくびれが出来るからまだまだ未熟な技だ。
この釘打ちの後は必ず全身筋肉痛になる。
そして、幾ら職人技の分野と言っても不真面目な人が多い世界だから、真面目ってのが意外と役に立つ。黙って良いものを作り上げると、現場監督みたいな人からはまあまあ好かれる。
指示された内容が間違っていて狙いの釘の長さが変わると、みんな文句を言う。私は黙って釘を打ち直す。見本通りに作ったのに釘の強度が足りないと返ってくると、みんな文句を言う。私は黙って釘を打ち直す。
まあ、後者はインゴットの質が悪いことが打てば分かるから、作り終える前に言いに行くから、正確には黙っていないけれど。
「早いな」
三個目のインゴットの処理をしていると、さっきの大男が来てそう言ってきた。流石に一個は出来ただろうと見計らって来たのだろう。釘を一本手に取って、隣で作業していた人の釘も手に取って、何とか欠点を見出そうと真剣に見比べる。
「どうよ」
「申し分ない」
笑みを隠そうとしていたけれど、私を見る目が変わっているからバレバレだ。
「でしょ」
作業を再開すると、私が作った釘を一本持って他の鍛冶屋の所に行く。こう作るんだぞと見本を見せているような感じだったが、注意がインゴットの方に向いて本当にそういう感じだったかは分からない。二度三度、その後も釘が一本持っていかれたから、多分そうなんだろうけれど。
半日の半分もするとへろへろになってくる。他が作業する中、運び込まれた煉瓦の上に座って水を飲み、少し余分に休憩を始める。先ほどまでの、何も考えず、ただ決まった動きをするのが楽しいというか、楽だった。
考えなければならない事が多いのかもしれない。だから、何も考えないのが心地良いのかもしれない。
「私は誰なんだろうね。レーゼニーニャ・リーンベルクとは何者か。何をしたのか。そして、地球人であった私の名前」
声に出すと、不思議と頭の中が晴れていくような気がする。無数にある疑問の霧から大事な所だけを抜き出していくと、想定より疑問の数は少ない。そんな感じの明快さを得られる。
「地球時代で覚えていること。炭酸飲料、ゲーム、毎日決まった時間に起きて、天気に関わらず部屋の中に閉じ込められる。それが社会ルールだから」
「今の私は、散歩したい時に散歩できる。じゃあ、地球に戻ろうとしなくて良いのかな。そもそも、ずっとこうなのかな。レーゼニーニャ・リーンベルクの魂が目覚めたら、私はどうなるんだろう」
私が気になっているところはそんなところで、自分の本を燃やす理由とか、杖が無くなった理由とかは、そんなに気になっていないことに気付く。
「レーゼニーニャ・リーンベルクの二重人格。いや、じゃあこの世界に存在しない物を思い出せる理由が無いか」
少し怖くなってきたところで、煉瓦の上から飛び降り、作業に戻っていく。無心で鉄を叩くと、更に心の中が晴れていく。ただ目の前に集中する快感の様な気がする。
カンカンと鉄を打つ音の流れを乱さない様に、疲れても一定の間隔でハンマーが振り下ろされていく。私自身がそうしているのだけれど、そうじゃない感じもする。
お腹が減ったという合図が出るまで、時間はあっという間に過ぎて行った。
現場監督みたいな大男の名前はもう忘れてしまっていた。その人が近付いて来て、気付いていたけれどもう少しで区切りが良いから釘を打つ手は止めず、釘の本数を数え始めた大男の手の横に最後の一本を置き、雑談を始める。
「それ熱いよ」
「知ってるよ」
「あ、そうだった?」
「エルフなのに珍しいな」
「エルフにいい仕事ってある?」
「……無いな」
鼻で笑われながら鉄貨五枚を受け取って、他の街だと銅貨一枚だったけどなと文句を言ってみる。
「そりゃ良い家を作る時だろ。ただの小屋は質より量なんだ」
小屋にしては作業する人が多い。多分、何かの倉庫にでもするつもりだろう。
「じゃあ、明日から雑に打っても良い?」
「どのくらいここに滞在するつもりなんだ」
「十日は此処に居るつもり。五十本で銅貨一枚。最高品質だよ。ま、やるのは半日だけだけど。女の子だからね」
「女だから体力が続かないってか?」
「女の子だから体力が続かないんだよ」
「……分かったよ」
嫌そうな顔では無かった。お互いに利益のある取引が成立した感じ。
「じゃ、また明日」
銅貨一枚を貰って、昼食を如何しようかと考え始める。疲れ切っているから、適当にレストランみたいな所に入って済ませたいとは思うけれど、そんな豪華な施設があるほど裕福な街ではなく、パンやパンを切って中に肉を挟んだだけのサンドウィッチとか、齧りつける野菜そのままとか、根菜類を蒸かしたものとか、簡単なものばかり。落ち着いて食べるというより、ただの補給という感じで、どこも慌ただしい。
のんびり食べていたら出て行けと追い出されそうな雰囲気を感じる。
街の中に、パンを齧りながら歩く人たちが増えていく。適当に集まって、何か他愛のない話をしている人たちもいる。
「甘いものが食べたいな……炭酸飲料が飲みたい」
後者は不可能だけれど、前者は探せば何とかなる。
とりあえず空っぽの胃袋を水で少し埋めて、次々に露店を覗き見していく。店主から声を掛けられるが、聞いていないふりをして全部無視する。そうすると、店主は他の客の方に声を掛け始める。
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