焚書のエルフ

@ioe_hondo

第1話 3年目のレーゼ

 手帳に正の文字を書き、今日燃やした本を書き加えていく。

 日本語に訳すと、サルでも分かる基礎魔術学という本を今日は二冊焼いた。そこそこの進捗に満足して、あと九千冊くらいだなと気が遠くなる。

「ま、エルフなんだから時間はたっぷりあるからね」

 ぱさぱさと崩れる生地を咀嚼しながら、百数十メートルほど先を見る。

「お姉ちゃん。待って」

「どうした小娘。足が短いから目に見えない速さで足が動いているわ」

 姉妹の様な二人のアテレコをした後、ふふっ、と笑みを零して太陽の位置を確認する。真上にあった太陽が地平線の方に傾いていた。昼食を済ませたらどうしようか。拳ほどの冷めたパンを齧りながら午後の予定を考えていると、建物の陰に姉妹は消えていき、私は次のネタを探し始める。街の中に居る人たちは皆、それぞれ生きている。

「暇だな……って思ったら本を読もう」

 鞄から持ってきた本を取り出して、干し肉を挟んでいた頁から読み始める。街外れの丘にはよく風が吹き、私の髪を振り子の様に揺らしている。

 この世界の魔術の仕組み。魔術は大きく三種類に分類される。

「……この頁は他の本で読んだな」

 魔力は水のようなもの。グラスの中に水が注がれていき、溢れた水は飲むことが出来ない。

「……この頁も似たようなのを他の本で読んだな」

 確か、その時は火で例えていた。

 気付けば、日は僅かに夕日に変わっていた。本を読み始めるのは嫌な癖に、本を途中で閉じることが出来ない。

「どうしようかな……」

 左の方を向くと、王都が見える。今居る場所は帝国の領土であり、その中にある王国それぞれに王都がある。だから、一番の大都市って訳じゃない。一番大きいのは帝都。

 右手の指先を三本束ねて頬に当て、うーん、と唸る。そんなことをしても答えが出る訳ではなく、そのままただ王都を見つめるだけだった。

「ま、何とかなるかな。頑張って王宮図書館に忍び込んでみよう。わたし」

 サルでも分かる基礎魔術学という馬鹿な本とか、三日でマスター最強の攻撃魔法という怪しい本とか、全部詰まっている使える詠唱魔術の全てという浅い本とかを焼くために、命懸けの潜入をする何て頭空っぽだ。

 数歩歩いて、水筒を忘れていたことに気付いて戻り、再び歩き出して、後ろを振り向く。忘れ物がないのを確認して、私は一つ目の王都を漸く目指し始めた。この世界に来て三年目のこと。

 下り道、いや道と言える道はないけれど、の方には進まない。辺りには足首程の高さの雑草が広がっていて、所々、背の高い育ちの早い雑草が群れを作っている。草を食む小動物たちの背中が見えたと思った瞬間には消えている。多分、そこら中に居るのだろう。

 なるべく丘の高い所を進んでいく。その方が景色が良いから。

 風が吹いて、髪の毛が私の視界を塞ぐ。そんな時は風が吹く方に顔を向けて、後ろ向きに歩いていく。街から一歩出れば人なんて殆どいない。だから、後ろ歩きでも怖くはない。

 意味もなく小走りになって、すっと屈んで薬草を千切り取り、歩みを止めないままその薬草を眺める。芽が出たばかりで、慣れない土地の水を飲んだ時に良く利く感じがする若葉色だ。胃薬ってやつ。

 足の裏が痛くなってきたら、黄色い花が咲いている場所を見つけて周囲に魔術をかける。虫が嫌だから一人分のスペースだけ焼き払って、自分で作った折り畳み椅子の上で胡坐をかく。揺れ動く花を見つめ、街の灯りが見えてくるまで待つ。

 灯りを頼りに街の方に行き、今日の宿を見つける。一番安い部屋を借りて、夜は適当に街中を歩いて夕食を見つけ、公衆浴場で身体を洗い、一畳より僅かに広い宿の部屋に戻って眠る。

 隣のいびきがうるさいし、隣の荷造りの音もうるさい。行商人か配達人かと考えながら、炭酸飲料が飲みたいなと夢を見る。

 今日はどんな夢だろうか。

「そっか、じゃあこの本は燃やさないでおくよ。でも、手放さないでほしいな」

 そう、髪の先端だけ三つ編みにした若い妊婦に話しかけた夢を見た。本の表紙を地面で擦り、タイトルが読めない様にしている自分が居る。これが夢なのか、過去の現実なのか、未来予知なのか分からない。にっこりと笑った妊婦の顔はよく思い出せない。

 偉そうに本を作って、後悔して本を回収していたけれど、その人にとっては大事な一冊だったのかもしれない。だから燃やさなかった。今のところ、偉そうに本を作っていたのか、後悔して本を回収しているのか、その人が本を大切にしていたのか、何も分からない。

「杖……」

 夢の中に居ないことを思い出し、私は隣室の人たちが私の独り言に迷惑そうにしていないかと耳を澄ます。どうやら寝ているらしく、右腕で両目を塞ぎながら、夢の中で持っていた杖をどこに持って行ったのかと思い出そうとする。

 思い出せなかった。

 何か大事な記憶だったはずだけれども、いつも、そう、思い出せない。身の丈程ある大きな杖を無くす何てことは考えにくい。

 起きようと決心してから三十分ほどして、漸く上半身だけ起こして胡坐をかく。

 ぼーっとしながらまた思い出そうとしてみる。頭の片隅でどうせ思い出せないと思っているせいか、思い出せない。

 一先ず、手帳に杖と一言だけ書き記す。その言葉の横に、レーゼ、レーゼニーニャ、リーンベルクと書き記されている。私の名前だ。

 レーゼニーニャ・リーンベルクが過去に何をしたのかはよく分からない。街の人たちは私の事は知らない。ただ一万冊の本をこの世界に出した事だけは事実として残っている。そして私は、その痕跡をこの世界から消そうとしている。やはりその理由は分からない。

「よし」

 立ち上がって、今日を始めていく。

 理由なんて分からないけれど、ただ散歩して生きていく理由としては十分だった。

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