第18話 聖夜の狐と不埒なサンタ? 後編

 五


 ドキドキしながら待っていると、やがて、カチャリ、と隣の部屋のドアが開く音がした。そして、ゆっくりと俺の部屋のドアが開かれる。そこに立っていたのは――


 息を呑むほど美しい、九美さんだった。

 あの扇情的なサンタコスではない。代わりに、彼女が身にまとっていたのは、深い赤色の、少し体にフィットするニットワンピースだった。普段のだらしない格好とは違う、上品で、それでいて彼女のグラマラスな曲線を際立たせるデザイン。髪は緩やかに巻かれ、耳元には小さなパールのイヤリングが揺れている。化粧もいつもより少しだけ念入りなのだろうか、月明かりの下で見た時とはまた違う、華やかさと艶っぽさがあった。

「……メリークリスマス、はるくん」

 少し照れたように微笑む彼女に、俺は完全に言葉を失っていた。


「わぁ……すごい! お店みたい!」

 部屋に入ってきた九美さんは、俺が飾り付けた部屋と、テーブルに並べられた料理を見て、素直に感嘆の声を上げた。その反応に、俺は準備した甲斐があったと、胸が熱くなる。

「さ、座ってください。まずは乾杯しましょう」

 俺は九美さんをテーブルに案内し、奮発して買ってきたスパークリング日本酒のボトルを開けた。ポンッ、と軽快な音がして、グラスに淡い金色の泡が注がれる。


「はるくんが頑張ってくれた聖夜に……かんぱーい!」

「か、乾杯!」

 グラスを合わせると、カチン、と心地よい音が響いた。二人きりの、特別なクリスマスパーティーの始まりだ。


 六


「ん! このチキン、皮がパリパリで美味しい!」

「こっちのスープも、優しい味であったまるねぇ」

 九美さんは、俺が慣れない手つきで作った料理を、本当に美味しそうに食べてくれた。その笑顔を見ているだけで、俺は満たされた気持ちになる。奮発した日本酒も気に入ってくれたようで、ご機嫌でグラスを重ねていた。

 キャンドルの揺れる灯りの下、他愛のない話をする。大学のこと、バイトのこと、最近見た映画のこと……。そして時々、九美さんが昔の話を少しだけ(もちろん、年代が特定できないようにぼかして)してくれることもあった。いつもより穏やかで、親密な空気が流れる。酔いが回ってきたのか、九美さんの白い頬はほんのりと上気し、瞳はとろりと潤んで、俺に向けられる視線が妙に熱っぽい気がする。心臓が、さっきからずっとうるさい。


 食事が一段落し、ケーキを食べる前のタイミングで、俺は意を決した。

「あの、九美さん」

「んー?」

「クリスマスプレゼント、なんですけど……」

 俺がそう切り出すと、九美さんは「え? 用意してくれたの?」と嬉しそうに目を輝かせた。

「はい。でも、その、物じゃないというか……」

 俺は少し照れながら、ポケットから一枚の紙を取り出した。それは、俺が手書きで作った、一枚の「券」だった。

『九美さん専用 なんでもお手伝い券(期限:無期限)』

「……えっと、日頃の感謝を込めて、というか……。九美さんが何か困った時とか、面倒なことがある時に、俺が代わりに何でもします、っていう……その、しょぼくてすみませんけど……」

 顔から火が出そうだ。もっと気の利いたプレゼントもあっただろうに。でも、これが今の俺にできる、精一杯の気持ちだった。


 九美さんは、その券をじっと見つめていたが、やがて、くすくす、と笑い出した。

「ふふ、なにこれ、可愛い」

 そして、とても優しい顔で俺を見た。

「……ありがと、はるくん。すっごく、嬉しい。今までもらったどんな宝物より、嬉しいかも」

 その言葉に、俺は胸がいっぱいになった。よかった、伝わったんだ。


 七


「じゃあ、今度はあたしからね」

 そう言って、九美さんはどこからか、少し不格好な、でも温かそうな毛糸の包みを取り出した。

「はい、これ」

「え? これって……」

 受け取って広げてみると、それは手編みのマフラーだった。色は落ち着いたネイビーブルーで、俺にも使えそうだ。ただ、よく見ると、編み目は少しガタガタで、端の処理も若干怪しい。

「……九美さんが、編んだんですか?」

 驚いて尋ねると、九美さんは少し顔を赤らめて、そっぽを向いた。

「べ、別にぃ? はるくん、いっつも寒そうにしてるから……。ちょっと、暇つぶしに編んでみただけだし……」

 照れ隠しなのか、ぶっきらぼうな口調だ。でも、その気持ちが嬉しくて、俺は胸が熱くなるのを感じた。

「ありがとうございます! すっごく嬉しいです! 大事にします!」

 早速首に巻いてみると、手編みならではの温かさと、そして、微かに九美さんの匂いがするような気がして、顔がにやけてしまうのを止められなかった。


 プレゼント交換を終え、俺たちは買ってきたクリスマスケーキを食べた。甘いケーキと、辛口の日本酒。不思議な組み合わせだけど、今の俺たちには、それが最高の組み合わせに思えた。

 二人の間の空気は、さっきよりもさらに甘く、親密になっている気がする。酔いも手伝って、九美さんは俺の肩に寄りかかったり、「ねぇ、はるくん……」と甘い声で囁きかけてきたりする。俺の理性は、もう限界突破寸前だった。


 八


 パーティーもそろそろお開きの時間かな、と思った、その時。

「あ、そうだ。もう一つ、プレゼントあったんだった」

 九美さんが、悪戯っぽく笑って立ち上がった。そして、一度自分の部屋に戻ると言って、部屋を出て行った。

(もう一つ?)

 何だろう、と思っていると、数分後、ドアが再び開かれた。

 そこに立っていたのは――


「メリークリスマス、アゲイン♪」

 あの、扇情的なサンタコスの九美さんだった。手には、小さなベルを持っている。

「はるくんへの、特別サービスだよん」

 リンリン、とベルを鳴らしながら、妖艶な笑みを浮かべて近づいてくる。

「きゅ、九美さん!?」

 俺は完全に不意を突かれた。もう、心臓がもたない!


「……やっぱり、こっちの方が、はるくんは嬉しそう?」

 俺の顔を覗き込み、九美さんはくすくすと笑う。

 もう、どうにでもなれ。俺は、覚悟を決めた(何の?)。


 その夜、俺たちのクリスマスパーティーが、いつ、どのようにお開きになったのか、俺の記憶は少し曖昧だ。ただ、手編みのマフラーの温かさと、甘いケーキの味と、そして目の前の不埒なサンタさんの姿だけが、鮮明に焼き付いている。


 一人になった部屋で、俺は窓の外の静かな夜空を見上げた。特別なクリスマスの夜。九美さんへの想いは、もう誤魔化しようがないくらい大きくなっていた。この関係がどうなるかは分からないけれど、確かに、俺たちの絆はまた少し、深まったはずだ。

 首に巻いたマフラーを、そっと握りしめる。そこには、彼女の温もりが残っているような気がした。

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