【第三十三話.メル先生、元気になる】

 私は走ります。

 雨上がりの水溜みずたまりを飛び越えて。

 大通りからスラム街に入って。

 どんっ。


「おい、気をつけろ」


 おじさんにぶつかります。

 でも、そんなのに気をつかえないほどに、あせっています。


『みなさん。今日は新しいお客様ですよ。蒔苗まきなメルさんが営む孤児院こじいんの、蒔苗まきな愛さんです』


 あの優しい声、優しいひげのおじさん。

 何もありませんように。

 怖いことになっていませんように。


 お願いします、神様。

 お願いします。



「本日休館」


 そう書かれた看板をかかげて、歴史資料館の扉は閉まっています。中からは歌声はもちろん、人の気配は全くありません。お客さんの多い日曜日に閉じているなんて、考えられません。


 何か、良くないことがあったのでしょうか。

 あの優しい歌声の、優しい人たち。

 あの人たちに何かあったと考えると、気が気でありません。


 ──どうか、なにもありませんように。

 ──どうか、明日はやっていますように。


 私は、肩を落として帰りました。



 半日前。


 朝ごはん後のダイニングで。


 メル先生のエネルギー核は、残り二分三十秒のところで男子たちによって再セットされました。そして、翔馬が仕掛けたタイマー通り、二分三十秒後に、メル先生は無事、再起動さいきどうを果たしました。


「んー!」


 メル先生はまるで寝起きのお姉さんのように、高く伸びをしました。


「メル先生、気分は、どう……?」

「どうかなあ?」

「どうー?」


 来人が、翔馬が、かおるんが、不安そうに聞きます。

 メル先生は、バレリーナみたいにくるくると回って、ひらひらのスカートを回してみました。


「んー……! なんか、こう……。久しぶりにパワーあふれる感じがしますねえ!」

「本当っ? どうかな、先生! 元気になれた?」


 男子たちみんな、目をキラキラさせて聞いています。

 メル先生は、二十じょうはある部屋の端から端までひとっ飛びでしゅんかん移動すると。


「元気……うん、そう言っても差し支えはありませんねえ!」


 嬉しそうにウインクをしました。そして、男子たちが何にえても欲しかった一言を、伝えます。


「じゃあ、じゃあ、廃棄処分はいきしょぶんは……?」

「なしに……しますかねえ」

「……ぃ」


 男子たちはお互いを見合った後。


「やったー──!」


 抱き合いながら喜びます。

 それはそうだ、と思います。

 半月前は、みんな絶望のふちに立っていて。

 そしてそれがくつがえされたのですから。


 でも私は、そんな彼らの姿を見ても、心が晴れません。


「どうかしましたか?」


 メル先生が私のそばに来て、しゃがんでのぞき込みます。


「ううん」


 私は、大好きなメル先生から目を背けて、ダイニングから逃げるように立ち去りました。


「よかったね、メル先生」


 その言葉をひとつ、残して。

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