ハイエナさん家のお家ご飯
フロイライン、ゲオルグ、アルフレッドが囲む食卓には、こんがりと焼き上がったスコーンが山のように載った大皿が並べられている。その脇には、サワークリームやジャムが入った小さなココット皿が、それをスコーンに塗る用のバターナイフと共に添えられている。
スコーンに合わせる紅茶もセットだ。
「フロイライン、スコーンを食べようじゃないか。もちろんサワークリームとジャムをたっぷり添えてね」
ゲオルグがまずスコーンを一つ手に取り、力を込め手で割るとスコーンはふんわりと裂け、裂け目から湯気がたった。それと同時に小麦の香ばしい香りが部屋に広がる。
焼きたてだ。
その上にゲオルグはたっぷりとサワークリームとジャムを乗っけて、フロイラインに差し出した。白と赤の装飾が施されたスコーンを前に、フロイラインは生唾を一度ゴクリと飲み込んだ。
「いいの?」と尋ねるようにゲオルグを見るものだから、ゲオルグはゆっくり微笑みながら頷いた。
フロイラインは、恐る恐るスコーンを頬張った。
サクリ。サクサク。
その小さな口でフロイラインがスコーンを咀嚼していく。
ゴクン。一口飲み込んだ次の瞬間、その人形のような顔がホッと華やいだ。
「…………!」
どうやらフロイラインは、スコーンをお気に召したらしく、食いつきがいい。ゲオルグに手渡されたスコーンの片割れをあっという間に口の中に全て放り込んでしまった。
「美味しい?」
「(コクコク)」
ゲオルグの問いに、スコーンを頬張ったまま勢いよく何度も頷くフロイライン。
その瞳は感激するようにキラキラと輝いていた。
「よかった、まだいっぱいあるよ」
「…………!」
フロイラインは、ゲオルグのまだいっぱいあると言う言葉に、更に目を輝かせた。
あまりの無邪気さについつい微笑みがこぼれてしまうのは、アルフレッドもゲオルグも同じだ。
「ふふっ、やっぱりいっぱい焼いてよかったね」
「ええ、本当に」
────────
────
──
ことの発端は、簡単な朝食を済ませた後のこと。
ゲオルグは、食器を片付けているアルフレッドに声を掛けた。
「アルフレッド、俺、考えたんだよ」
「はい」
「フロイラインは結構食べることは好きだと思う」
「そうですね、最近はご飯を用意したら何も言わずとも自然と机に座ってくれていますし」
食事を繰り返すたびに自然と食卓の定位置というものが決まっていて、ここのところ食事が並ぶ頃には、ちょこんとフロイラインがそこに座っている。
どうやらそこが自分のための椅子だとわかっているようだ。
「だからね、食に楽しみを見出すことは可能だと思うね」
「まぁ、いいんじゃないですか?」
この国では、食べ物なんてのは、腹を満たせればいいと思っている人が多いけれど、上流階級の者なんかは美食を探求していたりもするし。
何より、毎日、行うことだ。楽しめるものなら楽しめた方がいい。
アルフレッドも異論はなかった。
ただ……。
「この国の美味しい料理といえば、スコーンだろう? フィッシュ&チップス、シェパードパイに、ローストビーフ。それになんと言っても紅茶は外せないね」
ゲオルグはこの国の民間料理を思い浮かべながら指折り名前を挙げていく。
が、一つ問題があった。
「ゲオルグ、貴方料理できるんですか? まさかレストランに行くとか言わないですよね?」
「やっぱ俺が行っちゃまずいかな?」
「そりゃまずいでしょ」
そう、それが懸念だった。
普通ならレストランに行くのもいいと思うが……、ゲオルグは名の知れた快楽殺人鬼だ。そんな輩がノコノコと店にやってくる。営業妨害もいいところだろう。
それができないのであれば、自宅でどうにか用意するしかない。
もしくは運んでもらうか、だが、この時代に料理を上流階級でもない一個人に届けるなんて、そんなサービスはない。
ならば、自宅で用意する他ない。
「食材を切るのはできると思う」
それは当然できるだろう。なにせ、金属すらもナイフ一本で切り分け、投げナイフの軌道を自由に操れるこの男ならば。手先の器用さは他に類を見ない。ならば、あとは他のこと……。
「ただ俺けむくじゃらだからさ、あんまり長時間食材と関わったり、手で捏ねたりとかは向いてないんじゃないかな」
そう、衛生問題。
ゲオルグはハイエナの獣人だ。つまり、けむくじゃら。たとえ手を覆ったとしても、抜け毛はあるだろう。料理にまちがいなく、抜け毛が混入する。
手伝いぐらいはできるかもしれないが、メインで調理をするのには向かない。
それは、ゲオルグ本人にはどうしようもない種族上の問題だった。
「……しょうがないですね」
「うん?」
「私がレシピ調べたり、食材を用意したり、作るのも手伝いますよ」
なら、自分が──アルフレッドが、人肌脱ぐしかないのだ。
だが、別に、嫌なわけじゃない。
この快楽殺人鬼と組んで人殺しの監督をするよりも、よっぽど有意義でやりがいのあることだった。
「頼りにしてるよ」
ゲオルグはポンとアルフレッドの肩を叩いた。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
料理をするにあたり、レシピ本と食材・調理用具を用意し、使っていなかったかまどを掃除し、悪戦苦闘しつつ慣れないながらもどうにかスコーンを焼き上げたのだ。
ちなみにゲオルグは、かまどの掃除と火の番を担当した。
「案外、本格的な料理するのも楽しいものだね」
「美味しそうに食べてもらえると腕によりをかけた甲斐がありますね」
「うん」
フロイラインが一心不乱にスコーンに手を伸ばす姿を見ながら、アルフレッドとゲオルグは安堵の声を漏らした。
フロイラインは食べるのに夢中で、いつの間にか鼻の頭についたクリームに気づいていない。
「ふふっ、フロイライン、鼻の頭にサワークリームがついているよ。慌てなくてもまだいっぱいあるから、ゆっくりお食べ」
ゲオルグは人差し指でフロイラインの鼻の頭についたクリームを取って、ペロリとその指を舐め取ると、フフッと微笑んだ。
何とも微笑ましい家庭の形がそこにあった。
アルフレッドは、その微笑ましい光景に胸を温めながらも、しかしそこに寂寥のような念を抱いていた。その胸の内にあるのは、ゲオルグとフロイラインの約束のことだ。
……これは幸せな家族の姿なんじゃないんだろうか。なのに、いつかはゲオルグはフロイラインを殺してしまうつもりだと言う。
このままずっとでは、ダメなんだろうか……。
それは、この幸福なカタチを自ら壊してしまうゲオルグへの憐れみでもあった。
きっと、ゲオルグだってこの生活は好ましいはず、なのに。
「アルフレッド?」
顔か、視線に出ていたのか。ゲオルグにじっと見てしまっていたことを勘づかれてしまう、が、アルフレッドは首を横に振りながら誤魔化して、席を立った。
「いえ、なんでもありませんよ。フロイライン、実は、スコーン以外にもまだあるんですよ。今、持ってきますね」
「本当に!?」
「ええ」
そう、スコーンといえばアフタヌーンティーだ。本当は、サンドイッチなどの軽食がスコーンよりも先なのだが、初回なためスコーンしか用意できなかった。だが、ケーキはケーキ屋のものを用意してある。
それを取りに行くことを口実に、ゲオルグの追求から逃れる。
(大丈夫、まだきっと先のはずだ。それまでに、俺がなんとかすればいい)
そう思いながら、用意していたケーキを台所でアルフレッドは切り分けた。
この幸せなアフタヌーンティーを、これから何度も行えることを願いながら。
だが、この家庭の終わりはアルフレッドが思うよりも早くやってくるのだった。
けれど、それはまだ別のお話。
オマケ
「この国ってさ、料理不味いってよく言われるけど、結構美味しいものあると思うんだよね」
最初の料理、つまりはアフタヌーンティーの準備が成功した二人は、その晩も『家族会議』を行っていた。
「アフタヌーンティーのサンドイッチ、スコーン、ペストリー(ケーキ)は文句なしに美味しいじゃないか」
確かに、この国のアフタヌーンティーという文化はとても発達している。
アルフレッドも頷くところであった。
「サンドイッチなんて三人でトランプしながらでもつまんで食べられるし、携帯性もいい。今度、サンドイッチたくさん作ってピクニックにでも行こうか」
「ああ、いいですね。遠出の許可なら取ってきますよ」
アルフレッドはゲオルグの監督官として、出先には付き添わなければならないし、快楽殺人鬼を街の外に出すと言うのなら、きっと恐ろしいぐらいの莫大な申請と許可が必要だろう。
だが、フロイラインの為というのなら、全くやぶさかではない。
むしろ、率先して力にはなりたいのだ。
「頼りになるね、監督官どの」
「その為にいますから」
悪人を獣と謀って殺す獣狩りの夜なんかより、アルフレッドは、ゲオルグとフロイラインと三人で、昼間に麗らかなピクニックが行いたいのが本音で。
ゲオルグが人殺しではなく、フロイラインのためにピクニックに行きたいというのなら、多少無茶でも尽力するつもりだった。
さて、申請云々があるからピクニックはまた今度として……。
アルフレッドは、次に何を作るかを考えたかった。
「次、フロイラインに作るもの何がいいですかね」
アルフレッドは、言いながら机の上に置いたレシピ本をパラパラと捲った。
あるページが目に止まる
ハギス(羊の腸に羊の内臓を詰めたもの)、うなぎのゼリー寄せ……。
この国の民間料理であるが、見た目がその、グロテスクで、味も癖がある。
正直、好みが分かれる。
アルフレッドも苦手である。
「…………」
「アルフレッド?」
どうやら渋い顔でレシピ本を眺めていたようで、ゲオルグが一体どうした? という顔をしている。
アルフレッドは、件のページを広げてゲオルグに見せて指差した。
「この国が料理がまずいって印象持たれてるのってゲテモノが有名になってしまったからじゃないですかね」
「あー……」
勿論、どこの国にもその手のゲテモノはあるのだろうが。
この国のゲテモノはとりわけなぜだか有名だ。
「いいとこより欠点だけ目についてしまうものなのかもね」
そう、なのかもしれない。
アフタヌーンティーという文化のために独自発展した菓子の類も、それなりにあるオーソドックスな民間料理も、ハギスやうなぎのゼリー寄せで霞んでしまう。
ワインに一滴の泥が混じってしまえば、クズ酒になるように。
たとえ、どんなに子供に優しくしていても、いずれは殺してしまう快楽殺人鬼のように。
「ん?」
ゲオルグは、アルフレッドの視線に気づいてニコリと微笑んだ。
気づいて、なにも言わなかった。
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