第二十三話(前編)『使者江東』

曹操そうそうの、恐るべき数十万と号する大軍に追われ、十数万の民衆と共に、泥水にまみれ、飢えと病、そして極度の疲労困憊の中で、あまりにも苦難に満ちた撤退行を続けていた劉備りゅうび玄徳げんとくの元へ、荊州けいしゅう南部の武田勝頼たけだかつよりからの使者が、幾多の困難と死地を掻き潜り、ついに到着した。

劉備一行は、もはや絶望の淵に立たされており、いつ曹操軍の、恐るべき速さの追撃に追いつかれ、無惨に滅ぼされるか、まさに時間の問題であった。しかし、勝頼からの使者がもたらした書状の内容――辺境の、そして異邦の将である武田勝頼からの、「劉備殿と、今こそ同盟を結び、共に力を合わせ、あの暴虐なる曹操と戦わん」という、あまりにも力強い、そして時宜じぎを得た申し出――は、劉備にとって、まるで漆黒の闇の中に差し込んだ、あまりにも眩い、一筋の、そして唯一の光明であった。

「おお…! 武田殿が…! 我らに…我ら、この落ちぶれた劉備に、加勢を…と申されるのか…!? まこと…まことに有難き…有難き申し出じゃ…! 天は、まだこの劉備を見捨ててはおられなかったか…!」

劉備は、泥水にまみれ、疲れ果てた顔に、驚きと、そして心の底からの、言葉にできぬほどの感謝の念を浮かべた。彼は、勝頼からの使者を、自らの、粗末な、しかし精一杯の礼をもって丁重に迎え入れ、勝頼の、そのあまりにも時宜を得た、そして力強い同盟の申し出を、一瞬の迷いもなく、深い感謝と共に快く受諾した。

劉備は、かつて下邳かひで、呂布りょふに敗れ、愛する夫人たちを人質に取られた際、敵対する立場にあったはずの武田勝頼が、危険を顧みず、自らの夫人たちを丁重に保護し、後に無事、彼の元へ送り届けてくれたという、文字通り命を救われたにも等しい、大きな恩義を、片時も忘れてはいなかった。また、荊州南部に、武田勝頼という「仁」を掲げる異邦の将が旗揚げしたという噂にも、深い関心と、そしてある種の期待を抱いていた。この異邦の将は、あるいは、信頼に足る人物かもしれない。そして、彼と今、この絶体絶命の窮地で手を結ぶことこそが、この危機を脱する唯一の、そして最後の道かもしれない、と。

軍師・諸葛亮しょかつりょう孔明こうめいもまた、この、天佑とも言うべき武田勝頼からの同盟の申し出を、心から歓迎した。彼は、軍師・陳宮ちんきゅうという、当代屈指の、そして底知れぬ知略を持つ稀代の軍師に率いられ、日本の独自の戦術や、張遼ちょうりょう文遠ぶんえんという、呂布軍時代からその武勇を天下に轟かせていた猛将を擁する武田勝頼・陳宮軍の、その見かけの兵力によらぬ、侮りがたい潜在的な戦力を、誰よりも高く評価しており、これならば、あの曹操の、百万と号する大軍とも、あるいは、何とか渡り合える可能性が出てきた、と冷静に判断したのである。

「我が君、これで、ようやく一筋の光明が見えてまいりましたな。武田殿の、この時期におけるご加勢は、誠に、誠に大きゅうございます。しかし、これだけでは、まだ、あの百万と号する曹操の大軍には、到底及びませぬ。残るは、この長江ちょうこうという、天が与えたもうた天然の要害に守られた、江東こうとうの地を治める、若き虎、孫権そんけん殿を、我らの味方に引き入れることでございます。彼こそが、あの曹操に、正面から対抗しうる、もう一人の、そして最後の『天』でありましょう」

諸葛亮は、その若さに似合わぬ、冷静沈着な、そして確信に満ちた口調で、劉備に語った。

時を同じくして、江東の若き君主、孫権の元にも、北の曹操からの、あまりにも傲慢で、そして侮辱的な降伏勧告の使者が到着していた。曹操は、荊州北部と中部を、ほぼ手の中に収めたその圧倒的な勢いに乗り、孫権に対し、もし即座に降伏しなければ、百万の大軍を率いて長江を越え、江東の地を、一片の焦土と化し、攻め滅ぼすと、一切の容赦ない、恫喝に近い言葉で迫ってきたのである。

呉の朝廷は、この、あまりにも衝撃的な報に、まるで嵐に翻弄される一艘の小舟のように、大きく、そして激しく揺れた。張昭ちょうしょうをはじめとする、曹操の、その圧倒的な勢いを恐れる多くの文官たちは、「曹操の兵力は、もはや我らが抵抗できるような規模ではない。もし戦えば、この豊かな江東の地は焦土と化し、民は塗炭の苦しみを味わうであろう。ここは、降伏し、曹操に臣従することで、江東の民の安泰を図るべきである」と、涙ながらに、そして強く主張した。

一方、若き大都督だいととく周瑜しゅうゆ公瑾こうきんや、腹心の魯粛ろしゅく子敬しけい、そして血気盛んな若き武官たちは、「曹操に屈すれば、父君、兄君が、血と汗で築き上げた、この独立した江東の国は失われ、我らは曹操の奴隷となるのみ! 断固として抗戦し、江東の自由と誇りを守り抜くべきである!」と、一歩も引かずに猛反対し、両派の意見は、評定の場で激しく対立した。

若き君主・孫権自身もまた、父・孫堅そんけん、兄・孫策そんさくから受け継いだ、この江東の独立を守るという、あまりにも重い責務と、曹操という、あまりにも圧倒的な力の前に、降伏か、それとも抗戦か、その人生における最大の、そして国の命運を分けるであろう、あまりにも苦しい決断を迫られ、日夜、深く、深く思い悩んでいた。その若々しい眉間には、その苦悩の深さを示すかのように、深い皺が刻まれていた。

そこへ、まるで天が計ったかのように、二人の、今や天下にその名を知られつつある、稀代の知恵者たちが、相次いで、江東の都・柴桑さいそうへと到着した。

一人は、劉備の使者として、荊州から長江を下って派遣された、あの若き天才軍師、諸葛亮孔明であった。彼は、劉備の全権大使として、孫権との、呉蜀同盟交渉という、あまりにも重い任務を担うべく、この江東の地へやって来たのであった。

そして、もう一人は、荊州南部の、武田勝頼の使者として派遣された、かつて呂布の軍師として、そして今は勝頼の右腕として、その知略を天下に示しつつある、あの陳宮公台であった。勝頼は、軍師・陳宮こそが、自軍の、まだ知られざる力と、そして何よりも、自らが掲げる「仁」の理念を、若き江東の君主・孫権に、正確に、そして力強く理解させるに、最も相応しい人物であると、深く信頼し、この重要な外交の任務を託したのであった。

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