番外編1:リスの研究ノート〈位相熱初期モデル〉

リスは古いノートを手に取り、ページをめくった。端に焦げた跡があり、中央部には薬品の染みが広がっていた。セレナの診療所で徹夜の治療を続ける合間、彼女は過去の研究を思い返していた。今、目の前の患者の症状が、かつての自分の理論と奇妙に一致していることに気づいたのだ。


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位相熱仮説初期考察記録

記録者:リス・エーテリン

帝国暦1677年10月8日


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【概要】


従来の魔術伝達理論では、術式展開中の異常反応と術者身体への負荷について体系的説明が不十分である。本研究では、四大保存則パラメータである⍬(位相角)、ν(リソース次数)、S(エントロピー勾配)、Ω(精神相互量)の相互関係から、新たに「位相熱」という概念モデルを提案する。


予備観測の結果、位相角⍬とリソース次数νの比率がΩに比例する関係が示唆された。すなわち:


Ω = κ⍬/ν 【式1】


(κは比例定数、術式依存値)


この式は、魔術展開中に発生する「熱障壁」の理論的基盤となり得る。本モデルが検証されれば、第六熱障壁規格(帝国学院安全基準S≥0.85)の再構築と、マナ腐熱症候群の治療法開発に応用可能性がある。


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【導出過程と初期仮説】


■基本前提


1. 四大保存則のうち、位相角⍬は術式のエネルギー交換量に対応

2. リソース次数νは質量差に対応

3. 術式展開中の局所温度上昇は、位相角⍬の変動に比例

4. Ωは術者意識の共鳴・干渉度を示す


■観測記録(第1-8試行)


実験条件:

・環境温度:273 velan(定常)

・魔流注入量:2.5 dul-lyr

・L1合成形〈クレフト解析〉を5回連続展開、各終了時の測定値記録

・被験者:応用符術科学生3名(匿名化ID: P23, P57, P92)


試行1:⍬=27.5 phor、ν=1.3 kesel、S=0.73、Ω=0.021、残熱測定値=+1.8 velan

試行2:⍬=30.0 phor、ν=1.3 kesel、S=0.72、Ω=0.023、残熱測定値=+2.0 velan

試行3:⍬=34.6 phor、ν=1.2 kesel、S=0.70、Ω=0.029、残熱測定値=+2.5 velan

試行4:⍬=38.3 phor、ν=1.0 kesel、S=0.68、Ω=0.039、残熱測定値=+3.4 velan

試行5:⍬=45.8 phor、ν=0.9 kesel、S=0.65、Ω=0.053、残熱測定値=+4.7 velan

試行6:⍬=53.0 phor、ν=0.8 kesel、S=0.61、Ω=0.070、残熱測定値=+6.1 velan

試行7:⍬=57.9 phor、ν=0.7 kesel、S=0.58、Ω=0.089、残熱測定値=+7.7 velan

試行8:⍬=63.7 phor、ν=0.5 kesel、S=0.52、Ω=0.117、残熱測定値=+10.1 velan


注1: 試行6以降、被験者に軽度の不快感発生。試行8後、0.2刻の休息を要した。

注2: P92は試行8で微弱な幻視症状を報告。これはΩ > 0.1の典型反応。


相関分析結果:Ωと⍬/νの間に強い線形関係(R²=0.982)が確認された。【図1参照】


■理論モデル展開


位相熱の基礎方程式を以下のように定式化する:


Ω = κ⍬/ν 【式2】


κの値は術式によって変動するが、本実験のL1合成形では0.001±0.0002で安定。

この式から以下の重要結論が導かれる:


1. 位相角⍬の上昇は、Ωの比例的増加を引き起こす

2. リソース次数νの減少も同様にΩを増加させる

3. Ω > 0.1で意識影響(幻視・時間感覚変調等)が生じる確率が上昇

4. 理論上、Ω > 0.8では相変移が発生し、術式暴走リスクが急増


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【残された課題と今後の検証計画】


■未解明事項


1. κ値の術式間変動の理論的説明

2. S(エントロピー勾配)減少とΩ上昇の因果関係

3. 接合ルーンによる位相熱抑制の可能性

4. 魔力適合指数低値被験者への影響差異


■検証実験計画


1. L2折込形〈スパイラル折〉でのΩ閾値検証(※安全限界Ω≤0.2で実施)

2. 熱障壁強化術式の開発と温度上昇抑制効果測定

3. マナ腐熱患者の位相熱パラメータ計測(医療塔との共同研究要請中)


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【結論と展望】


位相熱モデルは術式展開中の異常現象を説明する基盤となり得る。特に注目すべきは、Ω値の上昇が術者への身体的・精神的負荷と強く相関し、これが従来の熱障壁理論の再構築に寄与する点である。


位相熱の制御は熱障壁規格の問題を超え、マナ腐熱症例の治療プロトコル設計にも応用可能性がある。適切な制御手法を確立できれば、治療術式の効率化と安全性向上が期待できる。


他方、位相熱の過度な放置は極めて危険であり、L2折込形以上の高階術式では深刻な相剥離事故の原因となりうる。高Ω領域での実験は慎重な監視体制のもとでのみ行われるべきである。


本仮説は更なる検証を要するが、現時点での予備的結果は非常に有望である。次段階として、レギオン理論との整合性検証および実用術式への応用試験を計画している。


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レギオン先生が戻ったら、この仮説をどう評価するだろう……

S < 0.7でのクレフト解析は規格外。0.6を下回る実験でも反応あり。より低値での試行は中止すべき。

もし医療塔の許可が下りなければ、セレナに相談?連絡が取れるか。

マナ腐熱は解決できる。必ず。


***


「医療に応用できるかどうかは、まだわからない。でも、可能性はある。マナ腐熱で苦しむ人が減らせるなら……」


リスは古いノートを閉じ、書き留めていた部屋から隣を見やった。セレナが治療を終えた青年は、ようやく安定した呼吸を取り戻しつつあった。診療所の簡素なランプの光が、彼の寝台に青白く映っている。


「初期モデルで予測していた通りのΩ値の変動……この治療法が功を奏したのね。彼のマナ腐熱も鎮まったみたい」


リスはノートを脇に置き、寝台のそばへと戻った。

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