<9・イジワル。>
その場面に遭遇したのは――蓮花の希望で、彼女を伴って書庫へ向かっていた時のことだった。その日もその日とて、唐突に「面白い小説をなんでもいいから紹介しろ」と映子に無茶ぶりしてきたという流れである。昼餉のすぐ後で忙しいのにこの人は!なんて文句を言う気も最近は起きなくなっていた。はっきり言って、この程度のワガママにはすっかり慣れてきてしまったのもあるし、歌と舞を丁寧に教授して貰っている身であるので文句が言いづらくなったというのもある。
「ええ、貴女も花舞台に出るの?休んだ方がいいのではなくて?」
これみよがしに、他の妃達の前で晒し挙げるような物言い。この甲高くて高飛車な声は、と映子はげんなりした。中庭の階段の前、小柄な女性に延々と文句を垂れている派手な赤い着物の女性がいる。じゃらじゃらと黒髪に高価な簪を挿しまくり、着物と同じ赤味がかった瞳を吊り上げ、やたら彩度の高い紅を差したあの人物は――。
「この間に花舞台、見させて貰ったけれどまあ……どこかの素人芸人でも見るような有様だったわねえ。ああ、もしかしてわざと滑稽に振舞ってあたくし達を楽しませてくれていたのかしら?だとしたらごめんなさいね、気づかなくて!もう最高に笑える見世物だったわよ!でも、同じ方向性はちょっと飽きるというか、今年はもう少し妃の地位に恥じぬものを見せて欲しいと思うわけ、分かる?」
よくもまあ、ああもべらべらべらべらと口が回るものだ。底意地悪く絡んでいるその人物こそ、第二妃の秀花その人である。蓮花が入るまでは、第一妃として贅沢の限りを尽くしていたと聞いている。まあ、残念ながら彼女も現在子供がいる身ではないのだが――。
――絡まれてるのは……ああ、やっぱり縁花様か。
手摺の横で小さくなっているのは、予想通り縁花その人だった。視線を彷徨わせ、どうにかこの時間をやり過ごそうとして失敗しているのが見え見えである。そしてそんな、ろくに反論もできない縁花の姿勢が秀花は愉快でならないらしい。
「あら、何も言うことができないの?相変わらず、貴女は妃としての自覚が足らなすぎるわねえ」
馴れ馴れしく縁花の肩を叩く秀花。
「そうそう、今度の花舞台は帝のみならず、西方に出張に出てらっしゃった金家のご子息なども特別に見にいらっしゃるそうよね。あのお方、遠目からちらりと見たことがあったけれどなかなかの美男子でらっしゃったわ。さぞ将来はこの国を背負って立つお方になるのでしょうね。今でも西方の部隊で充分すぎるほど軍師として活躍なさっているそうだし……。ああ、張家の一族もいらっしゃるとかなんとか。大変だわ、本当に帝を支えてくださっている素晴らしい殿方ばかりじゃないの」
「は、はい、そう……ですね」
「そのような方々の前で、前の花舞台の時のような舞を見せたら……どれほど失望されることかしらね。いえいえ、あたくしはいいのよ、ああいった滑稽な見世物も嫌いではないもの!でもねえ、だからといって妃ともあろうものが着物の帯が突然ほどけて転んで、お尻まで丸出しになるような恥ずかしい姿を見せるなんて……きっとそのような演技、帝はもちろんあの方々はお好きではないと思うの。だから今度は、道化ではなくきちんとした舞を見せて殿方を楽しませた方がいいと思うのよねえ」
でも、と彼女は縁花の耳元に口を寄せる。囁いているつもりなのかもしれないが、元の声量が大きいために映子には丸聞こえだった。
「貴女には、無理かしら?……とてもドジで、間抜けで、鈍くて頭も悪いものね。うっかり、帯がほどけそうになっていても気づかないような人だものね?……自信がないのなら、辞退されるのがいいのではないかしら。妃の晴れ舞台と言えど、帝の機嫌を損ねることになれど……ええ、病気なら仕方ないわ。皆さん、諦められると思うの。貴女もそうするべきよ、そうすれば恥を晒さずに済むでしょう……?」
その言葉に、映子は察してしまった。どうやら前の花舞台の時、縁花は帯が解けて、衆人環視の前で肌を晒すという失態を犯したらしい。それを、秀花にずっと詰られているというわけだ。だが。
この物言いからして、それを仕組んだのは秀花ではないのか。
妃は順位が高いほど、命令権も強い。それこそ第二妃ともなれば、帝と第一妃に次ぐ位置である。女官たちに対しても、命令を下して細工をさせるくらいは充分可能なのかもしれなかった。それこそ、この場で最も地位が低いのはその女官たちなのだから、無理やり命じられたら逆らいようもなにに違いない。
――な、なんて卑劣な……!
流石に映子も憤りを感じた。縁花に関しては、夜の散歩のときに少し話した程度の仲である。お世辞にも親しいと言えるほどの間柄ではない。が、短い時間でも、彼女が彼女なりに信念のある生き方をしてきたであろうことはわかる。誠実で、嘘をつくのが得意ではないのだろうということも。
そんな女性が、何故このような辱めを受けなければいけないのか。
自分は女官だが、ここはガツンと言ってやらねば気が済まない。憤慨するまま映子が一歩前に踏み出した、まさにその時だった。
「おいおい秀花殿!私が言いたかったことを、全部先に言ってしまうのはやめておくれよ!」
「!?」
思わず口をあんぐり開ける羽目になった。隣にいた蓮花がつかつかと歩み寄り、いきなり横から縁花をどついたのである。縁花はふらついて、そのまま尻もちをついてしまう。
――ちょ、何してんのあんた!?
縁花を助けるどころか、どついて、しかも秀花に加勢するようなことをするなんてどういう了見なのか。唖然とする映子の前で、蓮花は縁花の髪飾りを引き抜き、髪の毛をぐしゃぐしゃにしてしまう。縁花はぽかん、としたままされるがままになっている。
「はっはっはは!見て見ろ秀花殿!縁花殿の髪の毛、まるで火山でも噴火したようだぞ。滑稽だなあ!」
「え、ええ……そうですわね、蓮花様」
「まったく、縁花殿もその女官殿の腕も残念であるなあ。寝癖くらい直さないと、他の皆も心配してしまうであろうに。おっと、帯の結び方も何やら間違っておられるぞ、なかなか縁花殿はどじっこであるな!」
「そ、そうよね。もっとしっかりしてほしいものだわ」
あまりにも派手に蓮花が縁花をイジるので(髪の毛に至っては完全に、たった今蓮花がぐっちゃぐちゃにしたせいだというのに)、さっきまで縁花をいじめていたはずの秀花が完全に置いてけぼりになっている。
自分より地位の高い立場の妃が出てきたので、余計なことを言えなくなってしまったのだろう。しかも、己と違って口だけではなく、髪の毛を露骨に乱すと言う一種の物理的暴力を働いている始末。あれもあれでやりすぎでは、なんて思っているのかは定かでないが。
「なんともみっともない。私自ら、もーっと素敵に髪を直してやらねばなるまい。イロクジャクの翼にようにしてやろうか?それとも植物の方がいいか?楽しみであるなあ~。ほらほら、いつまでも座り込んでいないでさっさと立たんか。貴様は第一妃の私と第二妃の秀花殿の前で、いつまでも座り込んでいて許されると思ってか?」
「ご、ご、ごめんなさい!す、すみません!」
蓮花にぐい、と腕を引っ張り上げられ、慌てて立ち上がる縁花。その腕をぐいぐい引いて、蓮花は来た道を引き返そうとする。
「え、あ、ちょっと蓮花様!?その女をどこに連れていくつもりなの!?」
まだ自分の話は終わってない、と言いた気に秀花が声を荒げる。が、蓮花はどこ吹く風とばかりに振り返ると、にやりと笑って告げるのだ。
「なあに、『先輩』である秀花殿の手を煩わせるまでもない。縁花殿は、私がきつーくお灸を据えてやろうと思ってなあ?ああ、花舞台を辞退した方がいいと思うのは私も秀花殿に賛成だ。出てもどうせ、縁花殿には荷が重すぎるだけであろう?なあ、ここは私に任せておくれよ」
第一妃の蓮花に後宮での先輩であることを立てられた上、そのように頼まれてしまっては秀花も追及しようがなかったのだろう。しかも、明らかにこれから縁花を苛めてやるのだと宣言しているようなもの。秀花は少し納得がいかない様子だったが、それでもややぎこちなく笑みを浮かべて頷いた。
「そ、そうですわね。お願いしようかしら」
「ああ、そうしてくれ。ほら、部屋に戻るぞ映子」
「へ!?は、はい……!」
完全に放置されていたのは映子である。これは一体どういう状況なんだ、と混乱せざるをえない。縁花は髪の毛ぐっちゃぐちゃの状態のまま俯いて震えているし、それで蓮花に腕を引っ張られるままされるがままになっているし。
確かに、秀花の悪口攻勢は止まったようだが、状況が良くなっているとはとても思えない。
――というか、貴女は縁花様と実は仲良しってわけじゃなかったの!?なんでさらにいじめるような酷いことばかり言うのよ!
やっぱり、自分が一言言ってやらなければ駄目か。蓮花が縁花を部屋に連れ込み、一緒に入室したところで映子は口を開いた。
「ちょっと、蓮花様!?何をなさるおつもりなんですか!いくらなんでもそんなっ……」
しかし、そんな映子の言葉は一瞬にして掻き消されることになる。
「すみません、すみません、すみません蓮花様……!」
その縁花が。蓮花の胸に顔を埋めて、泣き始めたからだ。
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