第11話 私が舞台に立つ理由

「小学生の頃に、クラス別でやる学芸会があったんだ」


 私はぽつりと語りはじめる。


 当時、家族と一緒に東京へ観に行った演劇が、衝撃的に面白かった。あの劇のストーリーと役者は、今でも鮮明に覚えている。


 あんな演劇を、私も作ってみたい。そう思って学芸会で、主演級の役を演じることになった。でも当時の私は……いや今もそうだけれど、人前で話すのが苦手だった。全くうまく演じることができず、結局、その役は途中で他の子に交代。

 

 私が任されたのは「脚本アレンジ係」。ベースとなったのは既存の昔話で、それをアレンジする役目。


 でも、人前では喋れないけれど不思議なことに、脚本を書くことはすらすらとできた。私の頭にしかなかった妄想が、物語という明確な形となってこの世界に現れ、それがクラスメイトを――ひいては観客を動かしていく。


 全校生徒と保護者達の前での上演。

 そして、体育館に響く万雷の拍手。

 

 きっとあれが、私の人生初の成功体験だった。自分が生み出した物語が他人の心を震わせる。その喜びは志望校に合格したりだとか――そんなものが下らないと思えるくらいにずっと強い。あの時の、脳から汁が吹き出そうな快感。


 あの景色を味わい続けるために、私は舞台に立っている。


 きっと久遠さんにも、彼女だけの舞台に立ちたい理由がある。理由は分からないけれど、それでも、確信をもって言えることがある。


「久遠さん、演劇が大好きだよね」


 二日前の空き教室でのエチュード。さっきの新歓公演。久遠さんの姿は眩しく輝いていた。舞台の上で生き生きしていた久遠さんが、演劇を嫌いなわけがない。


「私は久遠さんともっと舞台を作りたいし、もっと演じる姿を見たいよ」


 久遠さんが、ばっと振り向いた。


「私だって――」


 凛々しい久遠さんの顔は、今にも泣き崩れそうだ。


「私だって、橘さんと一緒にやりたかった! でも、駄目。私の演技は、皆の記憶から忘れられていく。忘れられるための演技なんて、私は絶対にやりたくない……」

「……ねえ、久遠さん。綾瀬凛花あやせりんかって知ってる?」


 彼女はこくりと頷いた。


「……もちろん知ってる。私も医者からよく聞いた。世界で初めて虚構症候群症例が医学的時事緒として認定された患者」

「私も少し調べてみたの。虚構症候群……自分の記憶が周囲から失われていく、世にも珍しい病気。例えその人が、どんなに有名人であっても」


 綾瀬凛花のケースがいい例だ。有名人である彼女は、スタジオで皆に忘れられた。

でも、調べる中で、私は幾つかの例外的なエピソードを発見していた。


「虚構症候群に纏わる患者で、人の記憶から失われなかった事例もあるの。特に、綾瀬凛花の話とか。末期症状の彼女はテレビの生放送に出演した。彼女に纏わる記憶は失われちゃったけど、そのテレビ出演したシーンの記憶は皆から消えなかった。虚構症候群はテレビとか媒体を通した映像でも、記憶に作用するはずなのに。それはなぜか? 一説には、


 久遠さんがはっと目を見開く。


「橘さん、あなたは――」


 脳と記憶は人間のブラックボックス。だから虚構症候群は未だに謎多き病気だ。心に深く刻まれる鮮烈な記憶は、虚構症候群の影響を受けないと主張する研究者もいるらしい。


「久遠さん、私はあなたとの演劇を、皆の記憶に強くしたい」


 誰もが絶対に忘れないような演劇を上演し、それを心に刻みつける。そうすればきっと綾瀬凛花の時と同じで、誰もが久遠さんを忘れない。


「……無理だよ」

「無理じゃない。だって私は演劇の力を信じてる。私は、小学生の時に初めて観た演劇を昨日のことみたいに覚えてる。心に強く刻まれた演劇は絶対に忘れない!」


 久遠さんの瞳に、かすかな光が灯った気がした。


「久遠さんと私で一緒に作り上げようよ」

「……簡単なことじゃない」

「でも不可能じゃない! 私たちなら!」


 私は思い描く。


 全国の舞台――舞台の中央に久遠さんが立ち、私の脚本を演じ、全ての聴衆がそれに目を惹かれる未来。その時に味わうのは、今日の比ではないくらいの快感だ。


 久遠さんはしばらく黙っていたけれど、やがて背を向けて歩き出した。


「もう帰る。病院に行く必要があるから」

「……く、久遠さん」


 階段に足をかけかけて、彼女は立ち止まり、こちらを振り返った。


「あ、橘さん。一つ教えてほしいんだけれど――私は毎週、何曜日に部室に行けばいいの?」

「……!」


 その瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。

 こみ上げてくる喜びをこらえ、大きく息を吸って言う。


「毎日!」




第一幕 上演完了

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