第29話

 俺は混乱した。頭の中が真っ白になる。

 手のひらに汗がにじみ、心臓は今にも飛び出しそうなほど激しく鼓動している。


 リセット?  そしたら、元の世界に帰れる……?

 あの、努力しても報われなかった、退屈で、でも平和だった日本に?

 単調だけど、少なくとも「神」扱いされることも、世界の命運を背負わされることもない世界に戻れる。


 それは、魅力的かもしれない。


 でも……。


 頭の中に浮かぶのは、この世界での思い出の数々だ。


 リルナが初めて俺に跪いた時の、キラキラと輝くあの目。

 ピノが「バグだろこれぇ!」と絶叫する滑稽な姿。

 ソフィアが古文書に熱中する真剣な横顔。

 ラナがライバル心を燃やす強気な態度。

 バルドがなぜか俺を崇拝し始める謎の展開。


 迎賓館での豪勢な食事。

 焼き芋屋で買った甘くホクホクの焼き芋。

 花火の夜に二人きりで過ごしたリルナとの時間。


 もし世界がリセットされたら、リルナは? ピノは? ソフィアは? ラナやバルド、国王や村の人々、焼き芋屋のおっちゃんは……?

 俺がここで出会った、たくさんの人たちは、どうなるんだ?

 俺が(意図せず)救ったり、変えたりしてきた、この世界は?

 俺が少しだけ「悪くないかも」って思えるようになった、この居場所は?


 全てが、消えてなくなる……?


 それは、嫌だ。

 元の世界に帰りたい気持ちもある。

 でも、この世界で出会った人たちとの繋がり、ここで感じた温かさ、ここで見つけた、ささやかな日常の喜びを、失いたくない。


 俺の視線が、リルナの姿に固定された。

 彼女は今、震える足でなんとか立ち続け、不安そうな表情で俺を見つめている。

 その碧い瞳に映るのは、神への怯えではなく、俺への信頼だけだった。


(どうすれば……どうすればいいんだ……!?)


 俺は、人生で(二度目の人生だけど)最大の葛藤に、心を苛まれる。

 過去の、努力しても報われなかった挫折の記憶と。

 今の、何もしなくても周りが勝手に進んでいく、奇妙で、でも少しだけ心地の良い現状とが、頭の中でぐるぐると交錯する。


 俺が答えを出せずに悶々としていると、隣でピノが痺れを切らしたように叫んだ。


「おいハル! ぐずぐずするな! 早く決めんか!」


 ピノは小さな拳を振り上げ、空中で激しく羽ばたきながら叫ぶ。

 その顔は、珍しく真剣そのものだ。


「まさかとは思うが、我々はただの"小説"の登場人物で、今がクライマックスの選択シーンだというのか!?  そんなメタな展開はお断りだぞ!」


 ピノの、あまりにも場違いでメタすぎる叫び。

 その突拍子のなさに、俺は思わず、


「へっくしゅん!!」


 と、盛大なくしゃみをしてしまった。


 すると、その瞬間。

 ピノが証拠としてオリジンに突きつけていた、「世界の真実に関する調査記録書」の羊皮紙が、フニャリと奇妙な光を放ち、なぜか「ドキドキ☆異世界! 落ちこぼれ聖女と無自覚神様の王道ラブコメディ!」とかいう、ふざけたタイトルの小説の原稿に変わってしまった!


「だーーーーっ!  だからなんでだよぉぉぉ!!」


 ピノの小さな身体が激しく震え、両手で頭を抱えて絶叫する。


「俺の血と汗と涙の結晶が、こんな安っぽいラブコメにぃぃぃ!!!」


 ピノの悲痛な絶叫が、世界の命運がかかった緊迫した場面に、虚しく響き渡った。

 ……うん、まあ、ラブコメ要素は否定しないけどさ。


 究極の二択を迫られ、悩み抜き、葛藤し、そしてピノのメタ発言とくしゃみで若干場の空気が変わった(?)俺が出した、結論(?)。


 頭の中の思考が、ふと停止した。

 代わりに感じたのは、腹の底から湧き上がる、ある感覚。


「うーん…………どっちも、なんか大変そうだしなぁ…………」


 俺は、困った顔でポリポリと頭を掻きながら、創世神オリジンに向かって、真剣な顔で尋ねた。


「あのー、すみません。とりあえず、お腹が空いたんで、昼飯を食べてから考えてもいいですかね?」


 シーンとした静寂が場を支配する。

 時間が止まったかのようだった。

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