第28話

 王都の上空で、空間そのものがガラスのようにミシミシと音を立ててひび割れていく。

 まるで見えない巨人が天空に拳を叩き込んだかのように、夜空に無数の亀裂が走り、その隙間から異世界の光が漏れ出している。

 亀裂の間から垣間見える光景は、人間の目で見ることを想定されていない色彩と形で構成され、直視するだけで目が痛くなるような禍々しさがあった。


 空の亀裂は徐々に広がり、その向こうから、言葉では言い表せないほどの圧倒的なプレッシャーと、神々しいとも禍々しいともつかない、計り知れない存在感を放つ「何か」が降臨しようとしていた。


「何が起きてるんだ……!?」


 俺の声は、雷鳴に掻き消されて届かない。


 嵐が吹き荒れ、地面が揺れ、耳をつんざくような轟音が王都を包み込む。

 建物のいくつかが崩れ落ち、市民たちは恐怖に震えながら逃げ惑っている。

 しかし、多くの者たちは、ただ呆然と立ち尽くし、空を見上げ、恐怖と畏敬の念に打たれ、身動き一つ取れずにいた。


 俺の隣に立っていたリルナは、震える手で俺の袖を掴んでいた。

 彼女の細い指が、布地を通して俺の腕に食い込むほど強く握りしめている。

 いつもは凛々しい彼女の顔が、蒼白になっていた。


「ハ、ハル様……こ、これは……」


 彼女が言葉を続ける前に、突如、亀裂の中心から眩い光が放たれた。

 まるで太陽が突然、夜空に浮かび上がったかのような強烈な光に、思わず目を閉じる。


 光が収まると、そこには一柱の「神」が降臨していた。

 それは……形容しがたい。


 神の姿は、見る者によって異なって見えるのかもしれない。


 リルナにとっては、輝く甲冑をまとった、威厳と慈悲に満ちた騎士王。

 ピノには、古代の魔導書を抱えた、全知の老賢者。

 ソフィアには、知の光に包まれた、叡智の女神。

 国王陛下には、王冠と王しゃくを持つ、絶対的権威を象徴する存在。


 だが、俺の目に映るそれは、どこかひどく面倒くさそうで、疲れたような表情を浮かべた、ただの「おっさん」にしか見えなかった。


 中年と老年の間くらいの年恰好で、いでたちは質素な灰色のローブ。

 不精ひげを生やし、少し禿げかけた頭に、垂れ下がった眼には明らかな疲労の色が見える。

 姿勢は少し猫背。

 とても創世神とは思えない、どこにでもいそうな疲れたサラリーマンのような風貌だ。


 この世界の創造主、オリジンだ。


 オリジンは地上を見下ろし、人間サイズに縮小して降り立つと、やれやれといった感じで、俺を指差した。


「あー、いたいた。ったく、静かに惰眠を貪(むさぼ)ってたっていうのに、世界がやけに騒がしいと思ったら……全ての元凶は、お前か、バグ」


 バグ。

 その一言が、創世神の俺に対する評価らしい。

 ひどい言われようだ。


 オリジンはふわりと地上に降り立ち、俺の目の前に立つ。

 その存在感だけで、周囲の空間が歪んでいるように感じる。

 彼が踏みしめた地面には、草花が一瞬で成長し、枯れ、また生まれ変わるという奇妙な現象が起きていた。


「ふむ……」


 オリジンは俺を上から下まで眺め、小さくため息をついた。

 その呼気が風となって、周囲の建物をかすかに揺らす。


「ああ、そうそう、思い出したぞ。大昔に異世界人転生システムなんてものを作った時だ。最後にポチポチっと設定をいじっててさ、うっかり『観測者』フラグと『案内人』適性の項目を、間違って最高値(S+)で設定しちゃったんだよな。たしか……マウスが滑って」


 オリジンは、まるで昨日の晩飯の話でもするかのように、あっけらかんと衝撃の事実を告白した。

 彼の表情には、「ああ、コピー機の設定間違えちゃった」くらいの軽い後悔しか見られない。


「それで、お前を転生させる時に、そのバグだらけの設定を適用しちゃってな。観測者の力を持つ案内人なんてのは、本来存在しちゃいけないモノなんだが……」


 その言葉に、静寂が訪れた。

 重すぎる事実に、誰も言葉を発することができない。


「マウスが滑ったぁ!?」


 この世界の、そして俺の人生(?)を根底から揺るがしてきた超常現象の原因が、まさかの「神様のマウス操作ミス」だったとは!


「俺の、この波乱万丈で迷惑千万な異世界生活の原因……ただの、マウス操作ミスかよぉぉぉぉ!」


 俺は全身の力が抜け、その場にへたり込みそうになった。

 これまでの経験が走馬灯のように頭を駆け巡る。

 森の主、ゴブリン、ドラゴン、王様、魔王……。

 全部、全部、神様の操作ミスが原因だったのか!?


 まるで就職活動のエントリーシートで、うっかり「志望動機」欄に前の会社用のコピペを貼ってしまったような、そんな人為的ミスが原因で、俺の人生が根本から変わってしまったなんて……。


「てめえ、ふざけんなよ……」


 これまでになく低い声が、俺の喉から漏れ出た。


「お前のミスのせいで……俺は……」


 日本での挫折と絶望。

 それを引きずったまま異世界に放り込まれ、何もしていないのに「神」扱い。

 周りから崇められる居心地の悪さ。

 そして、ようやく見つけ始めた居場所と温かさ。

 それらが全て、神様の操作ミスから始まったなんて……。


「俺は……俺は……」


 言葉が続かない。

 何を言えばいいのかわからない。

 怒りか? 悲しみか? 呆れか? 諦めか? 様々な感情が渦巻いて、何一つ形にならない。


 脱力感が半端ない。


 オリジンは、そんな俺たちの反応など全く意に介さず、周囲をぐるりと見渡し、面倒くさそうに続ける。


「まあ、お前というバグのおかげで、停滞していたこの世界が妙な方向に活性化したのは、予想外に面白かったけどな」


 彼は流れる雲を眺めるような気軽さで言う。


「だが、放置しておいたバグは、ちゃんと修正しないと後が面倒だ。というわけで、悪いけどこの世界、一度『リセット』しまーす。綺麗さっぱり初期化して、俺がもう一回作り直すから」


 軽い。あまりにも軽い口調で、世界の終焉が宣言された。


「そ、そんな……!」

「世界を……リセット!?」


 オリジンの言葉に、その場にいた誰もが絶望に顔を染めた。


 リルナは俺の腕をさらに強く掴み、無意識のうちに身体を寄せてくる。

 彼女の身体が小刻みに震えているのが伝わってくる。


 ピノは空中で呆然と羽ばたきを止め、まるで機能停止したかのように落下しそうになっていた。

 ソフィアは大切な古文書を胸に抱きしめ、立ちすくんでいる。


 国王陛下も、大臣たちも、そしていつの間にか駆けつけていたラナや、俺のストーカーと化したバルドまでもが、信じられないという表情で創世神を見上げている。


 重く、絶望的な沈黙が場を支配する。


 俺は立ち上がろうとして、膝が震えて力が入らないことに気づいた。

 前世でも今世でも、こんなに絶望したことはない。


(これでおしまいなのか?  せっかく見つけた……この居場所……みんなとの繋がり……全部……?)


 誰もが、絶対的な神の決定に、抗うことなどできないと諦めかけていた、その時。


「お待ちください!」


 凛とした、しかし震える声が響いた。

 リルナだった。


 彼女は俺の腕から手を放し、恐怖に震えながらも、一歩、また一歩と、オリジンの前に進み出る。

 彼女の薄紫色の髪が風にそよぎ、震える唇を必死に動かして言葉を紡ぐ。


「どうか、お待ちください!」


 彼女の小さな背中が、オリジンという絶対者に向かって立ち尽くす姿に、俺の胸が痛んだ。


「ハル様……いえ、ハルさんは、決してバグなどではございません!」


 リルナの声は震えていたが、次第に力強さを増していく。


「彼がこの世界に来てから、確かに世界は大きく変わりました! でも、それは破壊ではなく、むしろ……!」


 リルナは必死に言葉を紡ぐ。

 彼女の瞳には、恐怖よりも強い、俺への信頼と、この世界への想いが宿っていた。


「彼は、多くの人々を救い、魔王とすら和平を結び、世界に新たな希望をもたらしてくださいました! それは、バグが生み出した偶然などでは、断じてありません!」


 リルナは、オリジンの圧倒的な存在感の前でも、真っ直ぐな瞳で訴える。


「彼こそが、この世界に必要な御方なのです!」


 彼女の声は、最後に力強く響いた。

 その姿は、いつもの「ハル様」に心酔する少女ではなく、自分の信じるもののために立ち上がる、一人の強い女性だった。

 リルナの勇気ある言葉が、他の者たちの心にも火を灯した。


「そうだ!  神よ!  彼はバグではない!」


 ピノがリルナの隣に飛び出し、翼を勢いよく広げ、オリジンを睨みつける。

 小さな妖精の瞳には、これまで見たことのない決意の光が宿っていた。

 彼の服の下から、普段は隠している鮮やかな青い文様が浮かび上がり始めている。


「彼こそ、貴方がた神々すら忘れていた、この世界の安定に不可欠な存在! 世界の理を観測し、確定させる『観測者』であり、人々を正しい道へと導く、真の『案内人』なのですぞ!」

「古代文献にも、その存在は明確に記されています!」


 ソフィアもピノに続き、背筋を伸ばして前進した。

 彼女の手には、大切な古文書が握られ、レンズ越しの瞳は冷静ながらも強い光を宿している。

 彼女は証拠となる古文書(の写し)をオリジンに示す。


「この世界は、観測されることによって初めてその存在を確定させる、不安定な構造を持っているのです! かつての世界崩壊は、観測者の欠如が原因であり、長らく不在だったその役割を、彼こそが担う資格者なのです!」


 リルナ、ピノ、ソフィア。

 そして、彼らの言葉に勇気づけられた国王や、他の多くの人々が、次々とオリジンに異議を唱え始める。


 それは、まるで小さな波が、やがて大きなうねりとなって、絶対的な存在に立ち向かっていくかのようだった。


 オリジンは、予想外の反論の嵐に、少しだけ驚いたような、しかしやはり面倒くさそうな表情を浮かべた。

 彼は眉を持ち上げ、顎に手をやり、しばらく考えているようだった。


「へぇー、そんな設定、あったっけかなぁ?」


 彼は首を傾げる。


「まあ、昔のことすぎて忘れちゃったよ。……ふむ」


 オリジンは腕を組み、少し困ったように空を見上げた。


「まあ、いいや。そんなに言うなら、そいつ本人に選ばせようじゃないか」


 オリジンは、再び俺に視線を向ける。

 その瞳は、太古の星々の光を宿しているようで、まるで宇宙の深淵を覗き込むような感覚に襲われる。


「おい、そこの『案内人』。お前の選択に、この世界の運命を委ねてやる」


 え?  俺が決めるの?


 心臓が早鐘を打つような音を立て始め、口の中が乾いていく。

 これまで何一つ自分で決断してこなかった俺に、世界の命運をかけた選択を委ねるというのか?


「選択肢は二つだ」


 オリジンは淡々と言葉を続ける。

 嵐は止み、不思議と声だけがクリアに響き渡る。


「一つは、俺がこの世界を綺麗さっぱりリセットして、完璧な世界をもう一度作り直す。お前はその過程で消滅するか、あるいは元の世界に送り返してやる」


 元の世界……日本に戻れる?

 すべてをなかったことにして、あの、努力しても報われなかった、退屈で、でも平和だった日本に?


「もう一つは、お前がこのバグだらけで面倒くさい世界を、『観測者』であり『案内人』として、丸ごと引き継いで、責任を持って面倒を見るか。さあ、どっちがいい?」


 世界の運命が、完全に俺一人の肩に、ズシンとのしかかってきた。

 重い。重すぎるだろ、その選択!

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