第22話
「到着しました!」
船長の声とともに、飛行艇が緩やかに着陸する振動が伝わってきた。
カーテンを開け、窓の外を見ると、そこは想像を超える極寒の世界だった。
数時間の飛行の後、俺たちを乗せた飛行艇は、目的地である北の辺境、永久凍土に覆われた大地へと到着した。
窓の外は、見渡す限り白、白、白。雪と氷に閉ざされた、荒涼とした世界が広がっている。
遠くには巨大な氷河が青白く輝き、空には奇妙な形の雲が流れていた。
飛行艇がゆっくりと着陸したのは、雪原の中にポツンと存在する、古代遺跡のような石造りの神殿の前だった。
その神殿は不思議な青い光を発しており、氷と雪に覆われながらも、威厳ある姿を保っている。
飛行艇の扉が開き、外に出ると、肌を刺すような、痛いほどの冷気が全身を襲う。
鼻の中が凍りつき、顔の皮膚がピリピリと痛む。息を吸い込むと、肺が凍りつきそうだ。
「さっっっっっむ…………!!」
俺が思わず身震いした、その瞬間。
なぜか、俺たちの周囲だけ、猛烈に吹き付けていた吹雪が『フッ』と弱まり、まるで温かい透明なバリアのようなものが、俺たちを包み込んでいるような感覚に陥った。
体感温度が明らかに上がり、肌を刺すような痛みが和らいでいる。
「さすがはハル様!」
リルナが目を輝かせて感嘆の声を上げる。
彼女の息も、寒さで白く霧になって消えていく。
「我々を寒さから守るための結界を、瞬時に展開されるとは! なんというご配慮でしょう!」
「いや、俺は何も……」
俺が弁解しようとすると、ラナが割って入った。
「ぐっ……! こ、これも偶然よ、きっと……! たまたま風が止んだだけ……!」
ラナは顔を引きつらせながらも、必死に現実(?)を肯定しようとしている。
その様子は、自分の信念と目の前の現実との間で葛藤しているようだった。
彼女の白い肌はさらに青白く、震える唇は紫色になりかけている。
寒さにも関わらず、髪から汗のようなものが流れているのは、緊張のせいだろうか。
ピノとソフィアは、そんな俺たちのやり取りなどお構いなしに、すかさず魔力測定器のようなものを取り出し、周囲の異常な魔力変動(?)の記録と分析を開始していた。
ソフィアは細かくメモを取り、ピノは小さな装置を飛び回らせている。
頼むから、俺のせいにしないでくれよ……。
「ハル様、神殿に向かいましょう」
リルナが緊張した面持ちで言った。
彼女は既に剣の柄に手をやり、周囲を警戒している。
俺たちが神殿の入り口に向かって歩き出した、その時。
神殿の奥深くから、『ズゥゥゥン……』という地響きと共に、巨大な影が現れた。
まず見えたのは、凍てつく星のような、青白く光る二つの眼だった。
それからゆっくりと、その全貌が明らかになっていく。
白銀に輝く美しい毛皮に覆われた、巨大な狼のような姿。
その体躯は小高い山のように大きく、一つ一つの足跡が池のように雪を溶かしていた。
鋭い爪と牙を持ち、それぞれが人間の身長ほどもある。
背中には氷の結晶のような翼が生えており、その透明な翼が光を通すと、虹色の輝きを放っていた。
頭には青い氷で作られたような角が生え、長く流れる尻尾は雪を掃いていた。
そして、その双眸は、夜空に輝く凍てつく星のように、冷たく、そして深い知性を湛えていた。
見つめられるだけで、魂の奥底まで凍りつきそうな感覚に陥る。
古の神獣、エグザレイン。
その圧倒的な存在感だけで、周囲の空間が歪み、呼吸すら困難になるほどのプレッシャーが、俺たちにのしかかる。
頭が痛くなり、足元がふらつく。
「グルルルルルル…………」
地獄の底から響くような、低い唸り声。
その声は大地を震わせ、雪を舞い上がらせた。
それだけで、リルナとラナは反射的に剣を構え、臨戦態勢に入る。
リルナの剣からは青い光が、ラナの剣からは冷たい氷の霧が立ち上っている。
ピノとソフィアは、恐怖を感じつつも、記録と分析の手を止めない。
むしろ、その眼差しには研究者としての好奇心さえ宿っている。
研究者の鑑だな。
そして俺は……言うまでもなく、完全に腰が引けて、足がガクガク震えている。
心臓が喉まで飛び出しそうなほど激しく鼓動し、冷や汗が背中を流れ落ちていく。
(逃げたい! 今すぐ飛行艇に逃げ込みたい!)
神獣が俺たちを睨みつけ、まさに攻撃を仕掛けようとしたかのように見えた、その時。
神獣の巨大な背中から、ひらりと一人の人物が飛び降りてきた。
緑と黒の渦巻き模様の刺繍が施された、古風なローブをまとった老人だ。
長く白い髪と髭が風に揺れ、背筋はピンと伸びている。
手には捻くれた形状の杖を持ち、その先端に埋め込まれた青い宝石が怪しく光を放っている。
その顔には深い皺が刻まれており、長い年月を生きてきた賢者の風格があった。
しかし瞳には狂信的な光が宿り、それが老人の全体的な印象を不気味なものにしていた。
「クックック……待ちわびたぞ、世界を惑わす偽りの神、ハルとやら!」
老人は、杖を俺に向けて、甲高い声で叫んだ。
その声には知性と狂気が同居していた。
「我こそは、偉大なる神獣エグザレイン様の真の代行者にして、古(いにしえ)の魔法の正統なる継承者、バルド・グライドなり! 今日こそ、その化けの皮、剥いでくれるわ!」
彼は俺に向けて、剥き出しの敵意をぶつけてくる。
どうやら、俺のことを、偽物の神様だと決めつけているらしい。
まあ、その通りなんだけど。
(ようやく俺を普通(?)に敵視してくれる奴が現れたか……って、状況は最悪だけど!)
「貴様のような偽物が、神の名を騙り、世界を惑わすなど、許されようはずがない!」
バルドの声には、心底からの怒りと侮蔑が込められていた。
彼の眼からは、世界の真理を知る者としての誇りと、その真理を冒涜されたことへの怒りが感じられる。
「エグザレイン様! あれが噂の偽神です! 我々の世界を混沌に陥れようとする存在を、ここで終わらせましょう!」
バルドは、俺たちの返事を待たずに、杖を天に掲げ、呪文の詠唱を開始する。
彼の声が変調し、古代語らしき言葉が虚空に響き渡る。
周囲の空気がビリビリと震え、気温がさらに低下し、呼吸するたびに肺が凍りつきそうになる。
膨大な魔力が彼に集まっていくのが分かる。
杖の先端の宝石が青白く輝き、周囲の空気中の水分が凍結して、無数の細かい氷の結晶が宙に舞っている。
「喰らうが良い! 古の絶技!」
バルドの体が青白い光に包まれ、杖から強烈な魔力が放たれる。
「『絶対零度・氷槍乱舞(アブソリュート・ゼロ・アイシクル・ダンス)』!!」
バルドが叫ぶと同時に、上空に無数の巨大な氷の槍が出現した!
一本一本が家屋ほどの大きさで、鋭い先端は光を反射して青く輝いている。
次の瞬間、それらが一斉に俺たち目掛けて降り注いでくる!
「きゃっ!」
「くっ……!」
リルナとラナが防御魔法を唱えようとするが、間に合いそうにない!
あんなもの喰らったら、即死間違いなし!
絶体絶命かと思われた、その瞬間。
俺は、極度の寒さのあまり、『ズズッ……』と、思い切り鼻をすすっていた。
生理現象だ、仕方ない。
その音がこの極寒の空気の中で、妙に響いた。
すると、どうだろう。
その、何の変哲もない鼻をすする音。
それが、何らかの形で世界の法則に干渉したのだろうか。
俺たちに降り注がんとしていた無数の巨大な氷の槍が、全て、空中で輝きを放ち、粉々に砕け散ったのだ!
砕け散った氷の破片が太陽の光を受けて、一瞬、空中にダイヤモンドのような輝きを描き出した。
それらはまるで、最初から存在しなかったかのように、キラキラとした氷の粒子となって消滅していく。
「な、な、な、なっ!?」
バルドの目が限界まで見開かれ、口がパクパクと魚のように動く。
「ば、馬鹿な!? 我が究極魔法が……!」
彼の杖が震え、顔が青ざめていく。
「鼻すすり一つで霧散しただとぉぉぉ!? ありえん! ありえんぞぉぉぉ!!」
バルドは、信じられない光景を目の当たりにして、腰を抜かさんばかりに愕然としている。
その顔は驚愕と混乱で歪み、老人らしからぬ絶叫をあげた。
俺だって驚いてるよ!
なんで鼻すすっただけで魔法が消えるんだよ!
一方、神獣エグザレインは、バルドの魔法が破られたことなど意にも介さず、ただじっと、俺のことを見つめていた。
その凍てつく星のような瞳が、俺の魂の奥底、その在り方、俺が無意識に纏っている奇妙な空気(世界の法則への干渉力)を見透かしているかのように感じられる。
少しの間、神獣は完全に静止していた。
まるで千年の歴史を目の前で回想しているかのような、深い沈黙。
その瞳には人知を超えた英知と、古の記憶が宿っているように思えた。
やがて、エグザレインの意識が、テレパシーのような形で、全員の脳内に直接響き渡った。
その声は深く、古く、しかし澄み切っていた。
『…………間違いない…………』
神獣の声は、氷河が動くような重厚さと、冬の風のような冷たさを持っていた。
『この御方こそ…………我が真の主、初代創世神オリジン様が、永きに渡り待ち望んでおられた…………「観測者」…………!』
「なっ!?」
「まさか……!」
「観測者だと!?」
ピノ、ソフィア、そしてバルドが、同時に驚愕の声を上げる。
彼らの顔は青ざめ、口は半開きになっていた。
リルナとラナは意味が分からず困惑している。
リルナは剣を握ったまま硬直し、ラナは疑わしそうに眉をひそめていた。
バルドは動揺しながらも、必死に叫ぶ。
彼の権威が根底から揺らいでいるようだった。
「エグザレイン! 何をたわけたことを言っている!」
彼の声は震え、杖を握る手が痙攣している。
「そやつは偽りの神だ! 早く、早くあの偽神を滅ぼすのだ!」
バルドは必死に神獣に命令する。
彼の顔には焦りと恐怖が浮かび上がっていた。
長年信じてきた世界観が、目の前で崩れ去ろうとしているような表情だ。
しかし、エグザレインは、そんなバルドを、冷ややかで威圧的な視線で一瞥しただけだった。
命令には、全く従う気配がない。
むしろ、バルドなど眼中にないような態度だ。
神獣の視線は、ただ俺一人に向けられていた。
その瞳には、千年の孤独と、ようやく見つけた希望の光が映っているようだった。
そして、エグザレインはゆっくりと俺の方へと向き直ると、その山のように巨大な身体を、ゆっくりと折り曲げ始めた。
氷と雪が、その重量でミシミシと音を立てる。
巨大な前足が雪を踏み締め、膝を折り曲げる。
周囲の空気が震え、凍った塵が舞い上がる。
そして、信じられないことに、恭しく前脚をつき、俺の目の前で、完全にひざまずいたのだ。
神獣の頭が、俺の目の前に下がる。
その巨大な顔は、今なら手を伸ばせば触れるほどの距離だ。
暖かい吐息が、霧となって俺の顔を包む。
『我が主たる「観測者」よ…………。』
神獣の声は、より深く、より敬虔になった。
まるで神に祈りを捧げるような調子だ。
『このエグザレイン、再び貴方様にお仕えできる日を、永劫とも思える時の中、ただひたすらに待っておりました』
その思念は、深い、深い敬意と、絶対的な忠誠心に満ち溢れていた。
神獣の眼から、氷の雫のような涙が零れ落ち、雪の上で小さな穴を開けた。
「……………………え?」
俺は、目の前で起こっていることが、全く理解できなかった。
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