第2話 見知らぬ森、見知らぬ身体
「……ん……?」
最初に感じたのは、柔らかな草の感触だった。肌を撫でる微かな風と、どこかから聞こえてくる鳥のさえずり。そして、瞼越しに感じる温かな光。オフィスとは似ても似つかない、穏やかで、生命力に満ちた気配。
ゆっくりと目を開ける。視界に飛び込んできたのは、鬱蒼と茂る木々の緑と、その隙間から降り注ぐ木漏れ日だった。見たこともない植物が生い茂り、空気は澄んでいて、濃密な自然の匂いがする。
「……ここ、は……?」
掠れた声が出た。慌てて周囲を見回すが、オフィスどころか、現代的な建造物は何一つ見当たらない。完全に見知らぬ森の中だ。一体全体、何がどうなっている?
混乱しながらも、自分の身体に意識を向ける。着ているのは、あのくたびれたワイシャツとスラックスではない。麻のような、あるいはもっと素朴な布地で作られた、簡素なチュニックとズボン。足元は革製のブーツのようなものを履いている。ポケットを探ってみるが、いつも入れていたスマートフォンも、財布も、社員証も、何もかもが見当たらない。代わりに腰には、小さな革ベルトのポーチが一つだけぶら下がっていた。
「……嘘だろ……?」
自分の手を見る。徹夜続きで荒れていたはずの指先は、幾分か滑らかになっている気がする。全体的に、身体が軽い。オフィスで感じていた鉛のような疲労感は嘘のように消え去り、むしろ妙な活力に満ちている。鏡はないが、なんとなく、以前の自分よりも少しだけ線が細くなったような……そんな感覚があった。
これは夢か? あのまま過労でぶっ倒れて、都合のいい夢でも見ているのだろうか。いや、しかし、肌で感じる風の感触も、鼻腔をくすぐる土と草いきれの匂いも、あまりにもリアルだ。五感がはっきりと、ここが現実だと告げている。
だとしたら、考えられる可能性は一つしかない。
「……異世界、転生……ってやつか……?」
ラノベや漫画で散々読んだ、お約束の展開。まさか自分の身に起こるとは思ってもみなかったが、状況証拠がそれを示唆している。過労死(多分)して、気がついたらファンタジーっぽい世界の森の中。ご丁寧に、服装まで現地仕様(推定)になっている。
あまりに突飛な状況だが、不思議とパニックにはならなかった。むしろ、心のどこかで「やっぱりな」と妙に納得している自分がいる。もしかしたら、あの限界寸前の状況から解放された安堵感の方が大きいのかもしれない。あるいは、あまりの現実離れした出来事に、脳が現実逃避をしているだけなのか。
いずれにせよ、俺は死んで、そして生まれ変わった(?)。この見知らぬ世界で。
ポケットに何も入っていないということは、現代日本の知識以外、俺は完全に丸腰ということになる。スキルもなければ、特別な力もない。あるのは、ブラック企業で培った(役に立つか分からない)プログラミング知識と、しがない社会人としての常識だけ。
「……これから、どうすればいいんだ……?」
途方に暮れて呟いた、その時だった。
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