第3話 復讐への序曲

「お前の家、凄い金持ちなんだな!」


「あるところにはあるってことよね」


 放課後、俺はリラと和人を連れて都心にそびえ立つ五十階建てのタワーマンションへ入った。


 オニキスの床、シャンデリアの光、吹き抜けのロビーに流れるクラシック、外資系ホテルと見まがうこのビルは俺の父・蒼井奏一郎の持ち物だ。最上階は父の部屋とプライベートスタジオ。そして地下三層──そこだけは「音弥専用区画」として、俺の好きに使っていいと言われていた。


 エレベーターのキーをかざし、地下へ降りる。重厚な防音扉が開くと、視界いっぱいに漆黒のサーバーラックが並び、数え切れない数の赤色のLEDが脈打っていた。冷却用の液冷パイプが青白く光り、低く唸るファンのハーモニーが洞窟のように反響する。


「紹介するよ──こいつがYOZORAだ」


 俺が指差した最奥の筐体は、特注のグラフェン筐体に覆われ、他のラックとは段違いの熱量を放っている。父のクレジットカードでそろえた最新GPUを十六枚直列接続、メモリは実験室レベルの四テラバイト。YOZORAはこの演算怪物を“肉体”として宿り、並列で数百層のディープボイスモデルを走らせている。


 モニターを点灯させると、五線譜を中心に音素、表情、呼気速度、心拍推定値──まるで集中治療室のモニターのような情報が幾重にもオーバーレイされていた。俺はマスターコンソールのフェーダーをそっと上げる。


 ――♪ 


 低域は床を伝い、天井の配管を震わせ、高域はクリスタルグラスのように澄み切っていた。人間の喉では不可能なほど精密なビブラートが、まるで星雲の渦を描くようにホールトーンを漂う。これがSORA色のセレナーデ、YOZORA調声Ver.2.1。


「うわ、すげぇ……完全にレコーディングスタジオだろ」


 和人が呆然としてつぶやく。


「これ、本気で家庭用なのか? クラウド用サーバーをそのまま持って来たみたいだ」


「和人、詳しいね。てっきり、ただの陽キャだと思ったけどさ」


「ただのは余計だっつうの。俺は機械にはちょっと詳しいんだ」


「YOZORAの多次元シンセ解析は、1曲あたりおよそ2.4ペタフロップス。だからこの規模でもギリギリなんだ」


 そう答えると、和人は感嘆と恐怖の入り混じった笑みを浮かべた。


「……もしかして、ギターと共演できる?」


「もちろん。AI側が先読みをするから、むしろ“人間の方が遅い”って怒られるレベル」


 和人が指でギターを刻む仕草をする。


「もしかして、ギター弾けるのか?」


「ああ、伝説のギターリストってわけにはいかないけどさ」


「俺はシンセをやろうと思ってる。和人がギターを弾けるなら、リラと三人で充分バンドグループを作れる」


「それ、最高!いいねえ!」


 その横でリラはまだ緊張した面持ちだ。


「ねえ、なんで私が歌うこと前提で話が進んでるの? 考えるって言ったよね?」


「でもよリラ! ここまで凄いの見せられたらやる気にならない?」


「和人はいいよ。ちゃんと演奏してるんだしさ。それに比べてわたしのは口パク。こんなのいつかバレるよ。わたしだって咳き込むかもしれないし、それでなくても少し遅れて歌声に合わせられないかもしれない」


 俺は苦笑しながらマイクを差し出した。


「百聞は一見にしかず、だよ。リラが抱えてる“口パクの不安”──YOZORAでぶっ飛ばそう」


「普通に歌うだけならバレないって言ってるじゃん」


「途中で咳き込んでみていい。歌詞を飛ばしてもいい」


 リラが半信半疑でマイクスタンドの前に立つ。その瞬間、YOZORAのUIが色めき立ち、彼女の呼吸パターンをリアルタイムでトレースし「天城色のシークエンス」が流れ始めた始めた。リラが幼少期に歌い込んだバラードだ。リラはタイトルすら口にしていないのに伴奏曲が勝手に流れ出したのだ。


「うそ……まだ選んでないのに?」


「YOZORAは歌手の“記憶アーカイブ”も解析済みなんだ。脳波じゃなく、発声筋の予備緊張から“歌いたい曲”を推測する」


 前奏が流れる。リラがそっと声を乗せると、YOZORAの歌声が空間を満たす。リラの口に合わせてYOZORAがピッチとタイミングを自然に合わせる。


 ──そして二番目のサビの時、リラがふいに咳き込んだ。リラの口が止まると同時に、YOZORAの歌声もふっと掻き消え、伴奏だけが残る。サーバーラックのLEDが一拍遅れて呼吸を整えるように明滅した。


「嘘……私が止めたら、YOZORAも止まった?」


「YOZORAは“伴走者”なんだ。歌姫が呼吸を置けば、一緒に息を止める。合成音声じゃなくて“共感音声”だ」


 和人が感極まったように口笛を鳴らす。


「……AIってレベル超えてるな。ほとんど生き物だ」


「生き物だよ。俺が魂を削って創った“歌を諦めた人間の声帯”になるAIだ」


 父親にゴミ呼ばわりされた日から、俺は眠る間も惜しんでYOZORAを育てた。俺が父親に復讐する、ただそれだけのために。


 リラは長い沈黙のあと、ゆっくりマイクを握り直した。


「分かった……私の負け。根暗くん、じゃなかった、えと、名前は……」


「俺は音弥、蒼井音弥だ」


「じゃあ、音弥よろしくね」


 リラは俺に手を差し出す。その手を俺はその手を取った。


「こちらこそ。まずは第一歩、軽音クラブを立ち上げる」


「三人だけのクローズドバンドか?」


「最初はそれでいい。秘密が守れる仲間だけで始めて、YOZORAの実力を証明する。父さんの目の前で必ず……あっ、いや……」


 俺は慌てて止める。俺の復讐をふたりに肩代わりするわけにはいかない。これは俺だけの問題だ。リラは俺の意図を悟ったのか……。


「いいよ。何があったか知らないけど、言いたくなかったら、わたしたちは聞かないよ」


 にっこりと笑う。スポットライトの代わりにサーバーLEDが瞬き、リラの瞳に銀河のような輝きを映した。


「──なんか、ワクワクしてきた!」


 リラは嬉しそうにそう言った。俺は思う。タワーマンション地下三十メートル、この“人工の星空”からきっと伝説が始まる。


 その前に俺はあの頭の硬い生徒会長を説得しないとならない。

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