第5話 リセット。

「夏美ー! 起きてるかー?」


 チャイムを連打する音、リクの声がする。

 夏美はゆっくりと体を起こし、スマホの画面を見る。


 8月8日 8:30。


「……また、八月八日」


 眠い目をこすりながら起き上がる。


 ショルダーバッグから手帳を取り出してみたけれど、昨日書いたはずのループに関するメモがきれいサッパリ消えていた。

 消えたというより、書く前の状態に戻っている。

 ソラにもらったはずのシャープペンの芯も、なくなっている。


 転んで擦りむいた傷が消えるし、メモは消えるし、記憶も消える。

 今のところ夏美とソラ、リク以外の人間は、ループを把握していない。


 ねぐせを直して玄関を出ると、何度もくり返してきたやりとりが始まる。

 と同じ朝。


「夏美! 最後の思い出作りに、学校に行こうぜ!」


 リクの中で、五回目の記憶はリセットされてしまっているらしい。

 覚えていたなら、「また八月八日になったぞ!?」と言うはずだ。

 寂しいけれど、どうしようもない。リクは前回、夏美とソラが話すまで、ループに気づいていなかったから。


 ソラは今日も「チャイムの連打は迷惑だよ」とリクをたしなめている。


 ソラを見たら、昨日無理やり口づけされたことを思い出してしまった。

 普段のソラからは想像できない、追い詰められたような表情と言葉が耳に残っている。


「どうしたの、夏美。ぼんやりして」


 ソラが手を伸ばして、夏美の目元にかかる前髪を指先でのける。


「ええと」


(私、今までどんな顔してソラと話してたっけ。何を言えばいいの? なんでソラは平気な顔をしていられるの、……あんなこと、して。いや、二回告白されて自分の気持ちがよくわからない私も私なんだけど……)


 たとえば少女マンガでよくある、『初対面の先輩に告白されて相手を意識するようになる』『同級生とぶつかった拍子にキスしてしまって、相手を意識する』という展開。

 今回は相手が初対面でなくて、幼なじみだけど。


(告白されたから好きになるなら、ソラとリク以外の誰かに「好き!」って言われても、好きになる? 知らない誰かにキスされて、好きになる?)


 それは違うとハッキリ言える。ソラとリク以外の人に告白されても、その場ですぐ断る。

 なら、夏美がソラとリクに対して持っている気持ちは、形にするとなんなのか。胸の奥で何かつっかえているような、モヤモヤする。


「ほら、早くしろよ夏美!」

「わかった。ちょっとだけ待ってて」


 リクに急かされて夏美はショルダーバッグを取りに戻る。

 何か違和感を覚えながらも、サンダルをつっかけて家を出た。



 暑い日差し。蜃気楼の昇るアスファルト。やまないセミの鳴き声。

 息苦しくなるくらいの湿度。


 商店街でミーコを見かけて、ミーコに話しかける。


「ミーコ。これまでありがとうね。なかなか帰ってこれなくなるけど、たまには遊びに来るからね」


 ミーコは夏美の方をちらりと見て大きく伸びをする。


 三回目のときと同じで、商店街のおじさんおばさんたちが別れを惜しんで、たくさん思い出話をしてくれた。


 段々と、小さな違和感が積もっていく。



 八月八日をくり返して何度目か、校門をくぐる。

 今日は夏休みだから、校内にはほとんど生徒がいない。

 何人かいるのは運動部、吹奏楽部の生徒だ。校庭の方からは威勢のいい掛け声と、バッティング練習の音が聞こえてくる。


「リクも少し前まであの子達と一緒に走っていたのに、引退してこっちにいるのって不思議な感じだね」


 ソラが校庭の方を見ながら言う。


「思い出させんな兄貴! あーあ。あと一秒早ければメダルだったのにチクショー!」


 メダルを取れたらやりたかったことを聞いてしまっているため、夏美は茶化す気になれない。

 教室に入ると、リクがこれまでと同じように、窓際の自分の席にドサッと座る。


「……こうやって夏美と来るのも、最後なんだな。なーんか、変な感じ。夏休みがあけたあとも、そこに座ってそうな気がする」


 夏美も休みに入る前の自分の席に座り、教室を見渡した。

 ソラは夏美の後ろの席に座る。


「こんなに静かな教室って、不思議だよな」

「今日は先生がいないからいくらでも居眠りできるよ。良かったねリク」


 ソラが茶化すと、リクが「うるせぇ兄貴!」と突っかかる。


「そういうこと言うなら、次先生にかけられても助けないよ」

「それは困る!」


 ループの記憶がなかった夏美なら、二人に思い出話をふってはしゃいでいた。

 今はどうすればループが終わるのか、そんなことばかり考えてしまう。


「夏美、なんか今日はおかしくないか。やけに口数少ないっつーか」

「そんなこと、ないよ。なんだろうね。私も、感傷に浸りたくなることもあるのかも」



 ソラとリクの会話は、三回目のときとほとんど同じだった。



「あっ、ソラ先輩!」


 教室を出たところで篠原芽衣が駆け寄ってきた。


「やあ、篠原しのはらさん」

「ソラ先輩、どうして学校に?」

「夏美は明日で転校するから、最後に、ちょっと見て回ろうと思って」

「そっか」


 芽衣は夏美をチラッと見てから、両手を合わせてソラを見上げる。


「ソラ先輩。実はあたし、補習があって学校に来てたんです」

「補習?」

「……数学と英語で赤点取っちゃって……。だからソラ先輩、勉強教えてくれませんか? ソラ先輩、部活のときもいつも丁寧にわかりやすく教えてくれるから、ソラ先輩になら頼みやすいな。先生にも今の成績じゃ東大目指すなんて夢のまた夢だぞって言われちゃって」


 何度か芽衣と遭遇するうちに、夏美の頭にふと疑問が浮かんだ。


「篠原さんだっけ。成績を上げたいなら、補習担当の先生に聞くか塾に行ったほうが確実じゃない? 先生は指導のプロだもの」


 リクが盛大に吹き出す。夏美は芽衣からすごい目で睨まれた。

 初対面なのに芽衣から異様に嫌われている感じがする。


「はあ!? あなたには話してないんですけど? あたしはソラ先輩にお願いしてるんです! は引っ込んでてください!」


 ソラは苦笑いしながら、「ごめんね。夏美の言うとおり僕に聞くより先生に聞いたほうが確実だよ」とやんわり断った。 


「……そうですか」


 ソラにも同じことを言われて、芽衣は諦めて補習室に戻っていく。


「あー、面白かった。夏美はたまに、無自覚に火の玉ストレートを投げるよな」

「私、何も投げてないけど」

「気づかないのが夏美らしいよ」

 

 リクだけでなく、ソラも笑いをこらえるのに必死になっていた。




 学校を出て、まっすぐに祭に向かう。

 境内には赤い提灯が灯り、屋台が立ち並ぶ。

 店の並びは、何回ループしても毎回同じ。


「夏美! 早くしろよ!」

「もう少し落ち着きなよ、リク」

「だって、これが夏美と過ごす最後の祭だろ? だったら思いっきり楽しまねぇと!」


 これが最後になるのか、またループして八月八日の朝に戻されるのか、夏美にはわからない。


 これまで通り、お社でお参りをする。

 鈴を鳴らして賽銭を入れて、お祈りする。

 三人で並んで手を合わせる。


(どうしたら、このループは終わるの? 神様、教えて)


 三人で過ごす日々が終わることが来ることが怖かったのに、今はループが終わらないことが怖い。

 夏美が顔を上げると、二人は先にお祈りを終えて、夏美を見ていた。


「終わったか?」

「うん」

「夏美。せっかくだから、おみくじひかない?」


 ソラの提案で、賽銭箱の横に設置されているおみくじをひいた。


「わあ。僕、大凶だ」

「あはははは! 俺大凶なんて初めて見た! すっげー。入ってるもんなんだ」


 今回はソラが大凶を引き当てた。

 リクが引いたのは凶。


「なんだリク。僕とそう変わらないじゃないか」

「いいや違うね。大凶よりは悪くないぞ。夏美は? どうだった?」



 夏美が引いたのは、大吉。ソラがくれた番号のおみくじだ。


「ソラ。くじ交換しよ。私そっちがいい」

「え、なんで?」

「これはソラのだから」


 夏美は戸惑うソラから大凶を受け取って、自分が持っていた大吉をソラに渡す。


「え、ずりー! 俺にくれよ大吉。ほら、兄貴。凶をやるから大吉をくれ」


 ソラは小さく笑い、「だめ。これは僕がもらったんだから」と言ってサイフにおみくじをしまった。


 次に向かったのは射的の屋台だった。


「よーし。待ってろよ夏美。俺があのぬいぐるみを取ってやる!」

「お、いいねぇ兄さん。彼女のために当てるか!」


 リクは気合い十分で、店主のおじさんにお金を払いコルク銃を手にする。


 標的は、前と同じ。一番下の棚にあるネコのぬいぐるみだ。


 毎回止めに入っていたのに、なぜか今回はソラが止めない。負けるとわかっているのに止めないのも気が引けて、夏美はリクを止める。


「リク。いいよ、射的って当てるの大変だし」

「大丈夫だ、当てる!」


 ここだけは何回ループしても同じなのか、リクの二千円は参加賞の塩飴になった。 


(なんだろう。なにか、何かがおかしいような……)


 屋台をひととおり巡った後、三人は神社の境内の奥へと向かった。


 


 ──ヒュルルル、ドンッ!




 夜空に、大輪の花が咲いた。


 鮮やかな光が辺りを照らし、祭の喧騒が境内を包む。

 人々の波が、花火会場へと流れていく。

 そんな中、リクが立ち止まった。


「夏美。俺、お前のことが好きだ」


 これまでのループと同じように、夏美に想いを伝える。


「ずっと言いたかった。今日言わないと、もう、言う機会ないから。本当は、陸上大会でメダル取って、その時言いたかった」


 リクは真っ直ぐな瞳で夏美を見つめていた。

 けれど、次の瞬間、リクはふっと視線をそらした。


「でも……今すぐ答えを聞くのが怖いんだ。だから……明日、答えを聞かせてくれ」


 それだけ言い残し、リクは花火会場のほうへと駆けていった。

 境内には夏美とソラだけが残される。



「……追わなくていいの、夏美」


 ソラはまるで、リクの恋を応援するようなことを言い出した。

「夏美が誰の手を取ったとしても、横から奪い取りたい」と言ったのと同じ口で。

 積もり積もった違和感が、ようやく形を成す。


(……そうだ。なんで今日、ソラは何も言わないの。ループが続いているから、他の方法をためそうって話が出てもいいはずなのに)


 今ここにいるソラは、夏美にキスをしてきた五回目のソラではなく、「のこと、覚えてる?」とカマをかけてきた四回目のソラでもない。



「……………ソラ」

「ん?」

「……昨日のこと、覚えてる?」


 ソラは、一瞬だけ考えるように目を細めた。


「昨日って、七日? 何かあったっけ?」


 その瞬間、夏美の中で何かが音を立てて崩れた。



 ここにいるのは、「八月八日をの今日」だと思っているソラ。

 ループの記憶を失っているソラ。


 

「……そっか」


 そう返すのがやっとだった。

 喉はカラカラで、声はかすれてしまった。

 何も知らないソラの笑顔が、痛いほど胸に刺さる。


 ループの記憶を維持しているのは夏美だけ。



(私が最初のループの記憶を引き継がなかったように、ソラだけずっとループの記憶を維持するなんてこともないんだ。ソラはループの記憶がリセットされたから、私に告白したこと、何も覚えていない。私だけが、あの告白とキスのことを覚えているなんて)


 夏美は、自分の唇にそっと触れた。

 昨日、ソラが触れた場所。


 忘れないで、と願うようにくり返していたソラの気持ちが、やっとわかった。




(自分だけがループの中にいるのって、忘れられてしまうことって、こんなに、寂しくて苦しいんだ)



 夏美はその場に座り込んでしまう。息をするのも辛い。


「夏美。リクのところに行かなくていいの?」


(忘れられるのは、こんなに苦しい。悲しい。私、リクにも、ソラにも、ちゃんと答えられていないのに。本人たちは口にした記憶そのものがリセットされているなんて)


 夏美は泣きながら、ソラの手を取る。

 ソラはなぜ夏美が泣くのか理解できていない顔をする。困ったように眦を下げて、夏美を見ている。

 もどかしい。苦しい。

 いつ終わるのかわからないループの中で、ソラがループを共有して、共に乗り越えようとしてくれることは、何よりの支えだった。



「忘れないで、ソラ。お願い」

「忘れるって、何を?」


 ここにいるのは、嫉妬心むき出して感情を叩きつけてきたソラではない。

 ソラであることには変わりない。

 同じソラなのに、ループを越えようと話し合ったソラじゃない。


 ぐしゃぐしゃに絡まりあった頭の中のもやもやが、だんだんと形になる。


 夏美は走り出した。リクを追いかけて。



 陸上部のリクに足の速さでかなう訳もなく、あっという間に息が上がる。

 人ごみの中でも夏美はすぐにリクを見つけられた。

 夏美が追ってくると思っていなかったのか、驚いた顔をしている。


「夏美……」

「…………ごめん、リク。リクの手を取るのは、私じゃだめなの」


 ループの中で何度も告白されて、夏美は自分の中にあるリクへの気持ちが何なのか、見えた。

 真夏の太陽のように真っ直ぐで熱いリク。リクの在り方はとても眩しいけれど、リクの隣で恋人として立つ自分を想像できなかった。リクの隣にいるべきなのは、夏美ではない誰かだと思った。


 リクは少しだけ寂しそうに目をそらす。


「……そんな顔すんな。わかってたよ。夏美はいつも兄貴のこと目で追っていたから。兄貴も、いつだって夏美のために動いていた。俺が気づかないような些細なことも気づいて、率先して動くんだ。それでも、少しでもチャンスがあるならって、期待してた。でも、だめだな。俺と兄貴、同じのは顔だけだから。俺じゃ兄貴にはなれない」


「……私、リクの目にはそんなふうに見えていたの?」


「ああ。夏美の考えてることくらいわかるよ。子供のときからずっと、夏美のこと見ていたから。……ちゃんと夏美の答えを聞けて、よかった」


 振られても、リクはいつもと変わらない笑顔を作る。ぽんと夏美の肩を叩いた。


「向こうに行っても連絡くらいはよこせよな。幼なじみであることには変わりないから」

「……うん」


 

 胸の内を伝えあい、夏美とリクはただの幼なじみでい続ける道を選んだ。


 そして翌朝。

 また、八月八日がめぐってきた。


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