22話 提案

 

 ※


 同時刻。渋谷SQタワー屋上。

 安全柵の上でぬらりひょんは足をパタパタしながら眼下で繰り広げられる戦いを観戦していた。


「いやはや、熱戦だね。しかし、多少なりと盛り返したとはいえ、やはりまだ人間側がリードしてるか」


 まるでサッカーの試合中継でも観ているのではないかと勘違いしてしまうぐらい軽い調子でぬらりひょんは解説する。

 そこに、


「随分と余裕だな」


 コツコツコツ、と階段を登る足音がした。


「ああ、君か」


 ぬらりひょんは、首から上だけを背後に向ける。夜の暗闇に馴染んだ黒髪を風で揺らしながら現れたのは、――水蓮寺綾音だった。


「今度こそ逃がさない」


 綾音は、金色の刀をぬらりひょんに向けて構える。やる気満々な少女の姿を見て、ぬらりひょんは嘆息する。


「仕方がないな」


 と言って、バク宙の要領で回転し、安全柵の上からデッキへと降り立った。


「勘弁して欲しいよ。生憎、今も昔もこれっぽっちも興味がないんだ」


 やれやれと肩を竦めるぬらりひょん。ありのままの素直な気持ちだったのだが、これを綾音は挑発と受け取ったようで、


「貴様っ!!」


 怒りを爆発させ、一足で距離を詰め、ぬらりひょんの首目掛けて横薙ぎに刀を振るった。

 その剣線は、以前平原で見たものよりさらに疾くなっていた。


「へぇ、やるじゃないか。特訓したのかい?」


 だが、かと言ってぬらりひょんに届くほどかと言われれば、そこまでではない。軽く後ろに跳んで躱わしてみせる。


「クッ、この!」


 二撃、三撃と綾音が仕掛けてくるが、難なく避けてみせる。

 まだたったの数撃にも関わらず、綾音は肩で息を切らしていた。


「全く、分かりきっていた結果だろう」


 そんな彼女を、冷ややかな目でぬらりひょんは見る。


 例え、どれだけ強くなろうと、蛙は蛙。蛇には決して逆らえない。結局は、平原の時と一緒だ。


「暇つぶしにもならなかったな」


 退屈そうに言うと、ぬらりひょんは身動きが取れなくなった綾音にトドメを刺すため、腕を伸ばした。――瞬間だった。


「やっと気を緩ませたな」


 ぬらりひょんの圧力にやられて動けないはずの綾音が、これまで以上の剣速で刀を振るった。


 初めて、ぬらりひょんが目を見開いた。


 そして、これまでのようなゆとりに溢れた優雅な動きではない。命を守るために力強く背後に跳んで刃を躱わす。


「チッ」


 綾音が舌打ちをして、ぬらりひょんと向き合う。そこに威圧されていた女の姿はなかった。


「……おかしいな。どういう手品だい?」

「別に。タネも仕掛けもクソもない。貴様とはこれで四度目だ。いかに蛙といえど、それだけ蛇とかち合えば動けるようになる」


 要は慣れた、と綾音は冷静に伝える。てっきり何か秘策を用意していたのだと思っていたぬらりひょんは、予想外の答えに目をぱちくりさせた。


「慣れ……、そうか慣れか。……フフ」

「……何がおかしい?」

「いや、盲点だったと思ってね。確かに、僕と四度も対面して対峙して生きている人間は君が始めてだ。成程、面白い事例だ」


 クツクツと肩を揺らぬらりひょん。


「ああ、それと同時に安心もしたよ。もしかしたら、君たちが、『彼』をモデルに恐怖の取り除く方法を手に入れたんじゃないかと危惧したが、――うん、ただの慣れなら問題ない」

「何をブツブツと……。いや、そんなことはどうでもいい。これで分かっただろ。私の刃は貴様に届く。――覚悟しろ」


 いつでも斬りかかれるように、綾音は深く刀を構えなおした。


「覚悟か……。中々どうして口だけは一人前だね」


 そんな女の言葉を、ぬらりひょんは一笑に付した。


「さっきの不意の一撃を決められなかった段階で君に勝ち目はない。――断言しよう。ここまで来てなお、君は水蓮寺楓に遠く及んでいない」

「黙れ! お前がお姉ちゃんを語るな!」

「語るとも。君の姉は強かった。この僕が真正面からでは決して勝てないと思うぐらいにはね。だからこそ、君たちの両親を人質に取り、その頭蓋を目の前で砕いてみせることで動揺した隙を突いて命を絶つという、我ながら下品な手段を取ったんだ。――だが」


 ぬらりひょんはシャツを捲って肌を見せる。彼の上半身には大きな刀傷があった。


「そこまでしてなお、彼女は僕に生涯消えぬ傷を与えてみせた。両親の頭が目の前で弾け、自身の心臓が潰された状態で、だ。気づかなかったかい? あの日あの家に流れていた血の中には、僕のも混じっていたんだ。死ぬかと思ったよ。お陰で、君という取りこぼしも発生してしまったしね。――ああ、そういう意味では、今ここで君が生きていられるのは、水蓮寺楓の最後の功績とも言えるだろうね」


 そこまで言うと、ぬらりひょんは両手を大きく広げた。


「僕はね、敵として彼女を尊敬しているんだ。あれ程の強者はこれからもそう現れはしない。僕が蛇だとすれば彼女は鷹だった。だから、彼女の置き土産である君のことは、見逃してあげてもいいとすら思っている。どうかな? 今から回れ右してここから逃げ出すのであれば、命は取らないであげるし、部下にも決して君だけには手を出させないようにしよう」


 悪くない提案だろう? ぬらりひょんはそう締め括った。






 何を言っているのか、綾音には理解不能だった。

 見逃してやる。家族を殺し、今回の戦争を引き起こした張本人が、一体どの立場から物を言っているのだろうか。


 しかし、分かることもある。


(コイツは、本気で言っている)


 ここで提案を飲めば、ぬらりひょんは本当に何もせず、何もさせず、綾音をこの現世の地獄と化した渋谷から脱出させるだろう。

 とどのつまり、


(心の底から私のことをナメているんだ)


 最初の言葉通り、これっぽっちも綾音に興味がない。死んでいようが生きていようがどうでもいい。そこに執着する価値がお前にはない言われているようなもの。


「…………んな」

「ん? 何か言ったかい? 僕も多忙でね。帰るなら早く欲しいんだけど」

「ふざけんな!!」


 怒りが爆発する。一刻も早くその腐った口を閉ざすべく、疾風怒濤の勢いで床を蹴り、綾音は最速の突き技『雷光閃』を放った。

 ぬらりひょんは回避も防御もせず、ただ悠然と立って、綾音を待ち受けている。

 届く、届かせてみせる。綾音は強い意志を持って突進する。


 ドン! とトラックが激突したような激しい衝突音がした。会心の手応え。ついに、綾音の刃がぬらりひょんに届いた。――かと思った。


「残念だよ。せっかくチャンスをあげたのに」


 あと数センチといったところで、刀の鋒が止まっていた。避けられたわけじゃない。何か、見えない壁に阻まれたのだ。


「空気の……壁」

「正解だ」


 見えない壁の正体を看破して、驚愕する綾音に、ぬらりひょんは涼しい顔で告げる、


「……しかし、この程度の術に引っかかるとは、君、実は水蓮寺楓と血が繋がっていないんじゃないかい?」

「っ――!?」


 それは、もしかしたら綾音にとって、一番の禁句だったかもしれない。


「このっ!」


 激昂し、再度刀を振おうとする。


「はぁ、芸がないな」


 だが、それよりも疾く、ぬらりひょんが綾音の首を掴むと、無造作に彼女の肉体を持ち上げた。


「が、あ」


 気道を絞められたせいで呼吸を確保できず、ひっくり返った虫のように足をバタつかせながら綾音が悶え苦しむ。


「悪いけど、これ以上君と戯れている時間はないんだ。そろそろ、今日のが来る頃だからね」


 よだれを垂らし、酸素不足が瞳が虚になっている綾音に、涼しげな声でぬらりひょんは伝えた。


「さようなら」


 次の瞬間。――プツン、とテレビの画面が切れるみたいに、綾音の視界から光が消えた。

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