18話 宣戦布告

 

 ※


 本庁に戻った時には、時計の短針は一二を超えていた。

 あの後、疲労困憊(誠を除いて)のまま戻るのは、流石に厳しいものがあったので、電話で橋渡にざっくりだけ報告だけして、しばらく休憩していたら、こんな時間になってしまった。


「とりあえずお疲れ様」


 ちゃんと待っててくれた橋渡から労いの言葉とコーヒーを頂戴し、ホッと一息つく。


「それじゃ、戻ってきて早々申し訳ないけど、報告お願いできるかな」


 座ったままでいいから、と暖かく言われ、二人はお言葉に甘えながら今日の一連の出来事を報告した。


「――成程、ぬらりひょんが動いたか……」


 もちろん、橋渡の興味は幻蟲などという木っ端ではなく、『百鬼連盟』のリーダーたる妖魔にあった。


「すいません。取り逃しました」

「いや、無事でよかった。あのぬらりひょん相手に五体満足で帰ってきただけでも大金星だよ」


 きめ細やかな黒髪を机に垂らして暗いトーンで謝る部下に、励ますように言葉をかける。


「キララちゃんも無事なんだよね?」

「はい! ただ、京都の実家に帰るのは流石に明日にして、今日はホテルに泊まるって言ってました!」

「そっか。了解」

「ていうか、キララさんとも知り合いなんですね」

「狭い業界だから自ずとね。本当はあの子も対魔課ウチに誘ったんだけどね。ああ見えて真面目な子だから、『姉様アキラ抜けて自分まで居なくなってしまったら、誰が宝蔵院家を護るんだ』って断られちゃったんだ。諦めずにスカウトを続けてたんだけど、その後も色々あって、マイナス課憎しになっちゃったんだよなぁ」


 惜しい人材を逃したよ、と橋渡は嘆息する。


「ふむ、人に歴史ありなんですねー」


 コーヒーを堪能しながら、誠が雑にまとめた。「自分から訊いておいて」と綾音にぶつくさ文句を言われながらも、青年は特に気に留めた様子もなく、コーヒーを飲み干していた。

 そんな、ある種微笑ましい光景に、橋渡は苦笑する。


「とりあえず、アキラちゃんに、労いの連絡をするよう伝えておくよ」

「あ、それめっちゃ喜びそう」


 想像通り、久方ぶりの愛しのお姉様からの電話に、狂喜乱舞してホテルマンに怒られるお嬢様の姿があったという。





「しかし、あのぬらりひょんって妖魔は何を企んでいるんでしょうね?」


 しばらくして、誠が思い出したようにそんなことを口にした。


「もうちょっと脈絡を持って口を開けないんですか?」

「でも気になりません?」

「なりますが……っ! そういうことじゃなくてっ」

「まぁまぁ、いいじゃないか綾音。どっち道話し合わないといけないことだ」


 マイペースな後輩に、イラつきを隠せない綾音を、このままじゃ一生話が先に進まないと橋渡が嗜める。


「実際問題、ぬらりひょんが動くなら、それなりの対応と対策は考えなきゃならない」

「そんなにヤバいんですか?」

「ああ。アレが動く時は大抵ろくなことにならない。災害が人の形をしているようなものだよ」

「へー、そんな感じはしなかったけどなぁ」

「それは貴方だからですよ……」


橋渡の表現がいまいちピンとこない誠が首を傾げ、それに綾音がツッコミを入れる。ただ、その口調は呆れているというよりは、どこか羨ましそうな嫉妬のニュアンスが混じっていたが、誠がそんな彼女の心の機微に気付くわけもなく、「そういうもんなんすかねぇ」と、机にもたれかかっていた。


「ただ、対策を立てるにしても情報が少なすぎます」

「そうだね。現状、またすぐ会える、って言葉意外の情報がないからね。対策の立てようもない。かと言って、事件が起こる可能性が高いのに、向こうが動くまで何もしないっていうのも悪手だ」


 指名手配犯が警察に、何か事件を起こすかも、と仄めかされて、何も分からないから出たこと勝負です、というわけにはいかない。しかし、情報が足りないのもまた事実。捜査は暗礁に乗り出そうとしていた。


「そう言えば、全く関係ない話なんですけど」


 誠がそう前置きをして、


「ぬらりひょんってもっと頭の長いお爺さんってイメージだったんですけど、いざ本物見たら、メチャクチャ美男子でビックリしました」


 本当に全く関係のない話をし始めた。


「それは……、名の知れた妖魔で、世間一般の認識するイメージと実際の姿がかけ離れているというのは、ぬらりひょんに限らずよくある話です。特に、ぬらりひょんはネームバリューの割に、その実態はあまり知られていませんから」

「でも、妖怪の総大将だって良く聞きますよね?」

「それについては多分、『百鬼連盟』の頭目っていう情報が捻じ曲がって伝わっちゃったんだろうね。綾音の言う通り、あまり見た目にこだわり過ぎない方が良いよ。かく言う僕たちだって、かつて奴と対峙して、運良く生き残った退魔士たちの情報を基に、アレをぬらりひょんだと断定しているだけだからね」

「成程……」


 二人から説明を受けて、誠がふむふむと顔だけは神妙にして頷く。


「ちなみに、僕の見た目に関しては、僕と似た妖術を使う老人の姿をした妖魔がいてね、きっと彼と僕の話が混合した結果だろう」


 傍に立つが補足説明を入れてくる。


「へー、流石は本人。良く知ってますね。――あれ?」


 違和感から、誠は首を傾げる。


「っつ!? ぬらりひょん!?」


 バタっ! と、イスをひっくり返して、橋渡と綾音は跳ねるように立ち上がる。誠だけは「ご本人登場だ」と見当違いな感想を漏らしていた。


「めっちゃ早く再開しましたね」

「言ったろう? すぐに会えるって」

「だからって、いくらなんでも早過ぎません? なんか、今日はもう会わないみたいな雰囲気醸し出してたじゃないですか」

「ハハハ、よく時計を見ると良い。僕たちが会ったのはとっくの昔に昨日だよ」

「ああ、そっか。納得」


 まるで、旧知の間柄のように話す二人。そんな彼らとは対照的に、綾音と橋渡はシリアスそのものだった。特に綾音は深刻で、刀を取り出して、数時間前の失態を取り返すべく、今にも飛びかかりそうだった。


「待つんだ綾音」


 それを察した橋渡がストップを掛ける。


「でもっ!」

「良いから落ち着くんだ。目的が分からないうちに、闘うのは得策じゃない」

「……くっ」


 橋渡の言葉は正しい。なんの対策もせずにのこのこ現れるわけないのだから、下手に刺激するのは避けた方が良い。頭では分かっている。だが、溢れ出る憎悪は抑えきれず、理性と激情の狭間で、綾音の身体はプルプル震えていた。

 そんな狂犬を見て、ぬらりひょんは苦笑した。


「冷静な判断で助かるよ。僕も今日はやり合いに来てないんだ。証拠ではないけど、草原の時のような威圧感も出していないだろう? これでも君たちのために必死に抑えているんだ」


 ほら、と両手を挙げて無抵抗のポーズをする。事実、今のぬらりひょんからは息をするだけでも苦しい、あの圧力は発せられていなかった。


「そうかい。だったら、何を……。いや、その前にどうやってここに入った?」


 入り口のドアは開いていないにも関わらず、ぬらりひょんは中にいる。隠れていた、なんてことがあるわけもない。というか、前提としてここは天下の警視庁。国の中枢機関の一つだ。部外者の侵入を許さないように、幾つものセキュリティが張られている。それは妖魔に対しても同じで、一度敷地内に入れば、警告とトラップが発動するように仕掛けている。なのに、それが発動した様子はなく、ぬらりひょんは当たり前のように立っている。


「そう驚くことかな? むしろ、気付かれずに建物に侵入するのはぬらりひょんの専売特許じゃないか」


 おどけるように肩をすくめる。どうにも答えになっていないが、種明かしをするつもりはないということだろう。

 これ以上詰めてもはぐらかされるだけだろうし、そもそも侵入された事実は変わらないので、切り替えて橋渡は質問を変える。


「で、何をしに来たんだ?」

「性急だな。せっかくの機会なんだ。そう邪険に扱わず、お茶でも飲みながらじっくり話さないかい?」

「お断りだよ。……言っておくけど、今耐えてるのは綾音だけじゃない。『俺』もお前には、はらわた煮えくりかえってるんだ」


 いつも穏和な橋渡から出たとは思えない暗い感情が織り混じった声に、味方であるはずの綾音の背筋が凍る。


「怖いな。流石は、かつて僕たち妖魔にして『怪物』とまで言わしめた傑物は違うね」


 と、ぬらりひょんはうそぶくが、表情から余裕は消えていなかった。


「まぁ、しょうがない。であれば単刀直入に言おう」


 ぬらりひょんはたっぷり数秒間を置いた後に言った。


「戦争をしよう」


 と。


「……なんだと?」


 あまりに突拍子のない返答に、橋渡は半眼になってしまう。


「君たちと『百鬼連盟僕たち』はずっと細々と争いを続けていただろう? 正直、この状況に飽き飽きしていてね。そろそろ白黒ハッキリさせようじゃないか。――というわけで、総力戦を仕掛けることにしたから。君たちも人数集めておいてね。そうだなぁ、日にちはお盆の最終日の八月十六日で、時間は日付が変わった瞬間。そっちの方がお互いにやり易いだろう? あとは場所だが、――うん、分かりやすく渋谷駅にしようか」


 まるで、遊びに行く時の集合場所を決めるみたいな軽いノリで、ぬらりひょんは人間と妖魔の全面戦争の場所と日時を決めていく。


「それじゃ、今日は宣戦布告しに来ただけだから」


 ひらひらと手を振って、ぬらりひょんはドアを開いて出て行く。


「待て!」


 慌てて綾音が追いかけるも、外に出た時には既にぬらりひょんの姿はなかった。


「クソッ! また!」


 一度ならず二度までも怨敵を逃し、綾音はドアを力強く殴った。ゴン! と鈍い金属音が室内に空虚に響く。


「完全におちょくられてるね。これは警視庁内の警備システムの見直しが必要……いや、それよりもまず、抗争もとい戦争の準備か……」


 イスに全体重を預けて、橋渡はグッタリした様子で言う。


「本当に仕掛けて来ると思いますか……」

「まず間違いなくね。わざわざ警視庁に侵入して、イタズラで宣戦布告するほど愚かじゃないでしょ。……まぁ、日時とか場所はブラフの可能性もあるから全部を鵜呑みにはできないけれど」


 依然、苦々しい顔のままの綾音に問われ、橋渡は目頭をマッサージしながら答える。


「ただ、いつにしろどこにしろ『百鬼連盟』の総力となると、とんでもない規模の闘いになるのは確実だね。……勘弁して欲しいなぁ」


 これから約一ヶ月、寝る間もないことがほぼ確定して、橋渡はゲンナリした様子だった。綾音は綾音で深刻そうな顔をしている。


(なんか、大変なことになりそうだなー)


 そんな中、誠だけが能天気にそんなことを考えていた。

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