15話 なんで

 

 ※


 そこから先は、戦闘というにはあまりにも一方的だった。


 まず、綾音がもう一方の前脚を斬り落とした。この時点で勝負は殆ど着いていた。


 一番の攻撃手段を無くした幻蟲は、それでもなお諦めなかった。


 突進して轢き潰そうとしたり、噛みつきで食いちぎろうとしたり、奥の手の体内に隠していたサソリみたいな棘つきの尻尾で貫こうとしてきたりするも、その尽くを誠が防ぎきる。その隙にキララが槍撃で決定打を叩き込んでいく。


 綾音が斬り、誠が防ぎ、キララが穿つ。特に連携しているわけではなく、三者三様できることを勝手にやっているだけなのだが、逆にそれが幻蟲を混乱させていた。


 決着は十分足らずで訪れた。


「この……カス共が……」


 幻蟲の罵倒する声は、絞りに絞った雑巾のさらに絞りカスぐらいの力しか宿っていなかった。八本あった脚とサソリの如き太い尻尾は全て斬り落とされ、自慢の黒き外装は割れているところがない有様であった。


「殺して……やる。殺して……」


 最後の最後まで呪詛の言葉を吐きながら、幻蟲は塵となって消えていった。


「……しぶとい妖魔でしたね」

「ええ、ここまでのは久方ぶりですわ」


 肩で息を切らしながら言う綾音に、キララが額の汗を拭いながら同意する。


「ま、とりあえずこれで一件落着ってことで――」

「あ、あの……!」


 誠がまとめようとしたところで、狐耳の少年が本殿から飛び出してきた。


「あ、ヤベ、忘れてた」


 幻蟲を斃して満足して、少年たちの存在が頭から抜け落ちていた。


「君は……、そう……、そういうことですか……」


 綾音は一目で、少年の正体に気が付いたようで、わずかに瞼を下げると、


 そのまま少年に斬りかかった。


「――えっ?」


 少年の中ではきっと、綾音は優しいお姉さんだと刻まれていたのだろう。故にこそ、彼女の殺意にまみれた行動に理解が追いつかず、反応できていなかった。

 少年の細い首を両断しようと、黄金の刃が迫る。


 しかし、それより早く、誠の盾が綾音の刀を弾いた。


 二人の間に距離ができる。


「……どういうつもりですか?」

「いやー、そっくりそのままお返しですね〜」


 先輩からの睨みを、後輩はさもありなんと受け流す。


「貴方が庇ったそれは化物です。処分しなくては」

「ヒッ」


 綾音の眼光は殺し屋のそれと遜色なかった。その迫力に押されて、少年が小さな悲鳴を上げて、誠の後ろに隠れた。


「まだ子供ですよ」

「だからどうしたんですか? 姿は子供であろうと妖魔は妖魔。人に害する存在です。しかも、それはさっきの蟲の妖魔と組んで私たちを騙しました。処理するのになんら躊躇ありません」

「脅されていたんです」

「知ったことですか。そのせいで十人以上の罪のない人が亡くなったんですよ」


 綾音の言葉はまごうことなき正論だった。どんな事情があれ、罪は罪だ。でも、誠も引かなかった。


「だからっていきなり殺処分はやりすぎでしょ」

「今更ですね。さっきの蟲しかり、貴方だって、これまで幾度か妖魔を殺しているじゃないですか」

「あれは情状酌量の余地がなかったからですよ」


 誠とて、少年が嬉々として人を傷つけ、殺害していたのなら迷いはなく退治していただろう。しかし、少年はそうではない。凶悪犯に脅されて悪事を働いた子供を罰するのは良くない、それが誠の考えだった。


「あと、この子を殺すのは水蓮寺さんのためにならないと思うんですよ」


 もしかしたらそれが、誠が綾音を止める一番の理由かもしれない。だが、そんな彼の思いやりは綾音には届かなかった。


「……何様のつもりですか。貴方が一体、私の何を知ってるというのです!」

「うーん、そう言われると弱いなぁ」


 家族が妖魔に惨殺されて、妖魔そのものを恨んでるっていうのは知っているが、これはアキラから口止めされているので、迂闊に話せない。

 誠の逡巡を、綾音はいつものおちゃらけだと判断し、深いため息を吐いた。


「もういいです。これ以上邪魔立てするなら貴方ごと斬ります」


 いよいよ綾音が刀を構えた。彼女の眼は本気だ。しょうがないので、誠も盾を展開する。


「ちょっと、貴方たち正気ですの!?」


 第三者として静観を決め込んでいたキララが、流石に見てられなかったのか、声を荒げた。

 しかし、もはや手遅れだった。


「どけ!」

「おっと」


 刀と盾がぶつかり合う。


「本気で斬るぞ!」

「じゃあ、本気で防ぎますね!」

「〜〜ッツ!! やってみろ!」


 一合、二合、と何度もお互いの武器を叩き合う。


(スゲェ、めっちゃ重い!)


 霊力で強化しているのもあるのだろうが、あの細い腕から想像だにできない力が盾を通して伝わってくる。


「何を、笑っているんです!」

「いやー、俺の先輩はスゲェなって!」

「だったら、退きなさい!」

「それはムリですね!」


 誠は素直な気持ちを表明しただけだったのだが、火に油を注いだだけだった。さらに疾さと力が上昇していく。

 そして、下から放たれた一撃が、誠の盾が弾いた。腕につけていた盾の本体が茂みの奥へと飛んでいく。


「終わりですね」


 綾音が刀を誠に突きつける。


「最後通告です。退きなさい」

「イヤですね」


 武器を失い、刀を突きつけられても誠は顔色一つ変えずに言い切った。


「……そうですか。貴方にこういう類の脅しは効きないんでしたね。……分かりました、しばらくベッドの上で休暇を取っておいてください」


 言葉は無駄だと判断したのか、綾音は刀を振り上げた。――時だった。


「止めて!」


 少年が誠の前に立った。


「お、お兄ちゃんを斬らないで! ぼ、僕大人しくするから! 斬られるから、お願い!」

「……なっ、何を言って」


 恐怖で目を瞑って、震えながら少年は強く訴える。その姿を見て綾音は狼狽えた。


「お待ち下さい!!」


 今度は、本殿の奥から制止する声が飛んできた。それは少年の両親のもので、彼らは誠の前に立つ少年のさらに前にやってきて、そのまま滑るように土下座をした。


「この子は悪くないんです! 私たちを護ってくれていたんです! 全ての責は我々にあります! 我ら夫婦の首は差し上げますので、どうか、どうかこの子だけはお見逃しください!」


 何卒、と両親はでこから血を流しながら懇願する。


「父様……、母様……」


 そんな父母の背中に少年が縋り付く。


「なんで……」


 綾音の顔が苦悶に歪む。

 そこにあるのは愛だった。かつては彼女も当たり前に享受し、それでいて今はもう決して手に入らない奇跡と言い換えられる代物を、よりにもよって憎むべき妖魔が持っていた。


「なんで!?」


 怒声というにはあまりに悲痛な叫びが発せられる。


「このっ!」


 ただをこねる少女のような乱雑さで、綾音は刀を振り下ろそうとする。


「おやめなさい」


 その手をキララが掴んで止めた。





「……貴女まで邪魔しますか?」

「ええ、今の貴女、見てられませんもの」


 と告げるキララの声は、冷め切っていた。


「貴女が妖魔を恨む理由を知っていますわ。その上で言ってあげましょう。こんなことをしても貴女の姉は――水蓮寺楓は喜びませんことよ」

「ッツ!?」


 最愛の姉の名を出されて綾音が目を見開く。


「あ、貴女に一体お姉ちゃんの何を……」

「知っていますわ。そりゃあ、お姉様の寵愛を独占するイケすかない女でしたが、それでも、例え妖魔が相手であろうと、無抵抗のものを殺すような横暴を許すような人間ではありませんでしたわ。……貴女だってその程度分かっているでしょうに」

「それは……!」


 綾音の顔が苦渋で歪む。そして、しばらく考え込んだ後、


「…………………ええ、その通りです」


 力なく項垂れた。

 綾音の腕から強張りが消えたのを感じて、キララは手を離した。綾音は霊力で編んだ刀身を消し、そのまま身を反転させて狐の一家に背を向けた。


「……後日、調査員を派遣します。そこで審査を受けて下さい。恐らく、無害認定が降りるはずです。そうなれば、貴方たちは我々の保護対象になります」


 事務的に伝えると、綾音は出口に向かって歩き出した。


「ゆ、許していただけるのですか?」


 母親が僅かに頭を上げて尋ねる。綾音は足を止めるも、振り返らずに言った。


「そういうわけではありません。……ただ、少し気が変わっただけです」


 まだ整理がついてたいないのか、綾音の声はどこか複雑そうだった。それを察してか、両親はこれ以上何も言わず、再度深々と頭を下げた。





「お兄ちゃん、お姉ちゃんたち!!」


 今度こそ一件落着し、三人が帰ろうと階段を降り始めたところで、少年に呼び止められた。


「あれ? まだなんかあったけ?」

「ううん、そうじゃなくてね」


 誠が振り返って尋ねると、少年はブンブンと被りを振った。


「でしたら、どうしましたの?」


 キララが訊くと、「ちゃんとお礼言いたくて」と少年は答えた。


「ありがとう! 僕が言っていいことじゃないかもしれないけど、助けてくれて本当にありがとう!!」


 少年は涙を溢しながら、懸命に感謝を伝える。別にそれに胸打たれたわけではなかったのだろうが、綾音は一度だけ振り返って、


「家族を大切にね」


 そう告げた彼女の顔はとても穏やかなものだった。

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