第8話 野分

 南の海上で台風が発生した。予報円ってやつを見ると悪くすると週末辺り直撃なんてことになる可能性もありそうだ。幼馴染の佐々木雨とは雨が降る日は一緒に登下校って約束をしているけれど、これはどうだろう。傘なんて吹き飛ばされてしまうかもしれない。

 今日は降っていないから雨のルールには沿っていないけれど、どうするかあらかじめ放課後の教室で聞いてみることにする。

「私が困らせることがあるから。ごめんね」

 まず、謝罪から入られて困惑する。

「台風で困るのは風が強いからであって、雨足が強いからじゃないよ」

 気休めのフォローを入れる。実際には大雨で洪水とかになったら困るのは理解している。

「風が強いと合羽かな。傘は危ないよね」

 雨がちょっと弱気な所を見せてくれる。大雨になるかもしれないのに弱気になっていてちょっと微笑ましい。

「じゃあ、風が強くても合羽を着て迎えに行くよ」

 僕のことを頼もしく感じて欲しいけれど、多分無理だろう。でも愛想をつかされているわけじゃないみたいなので良しとする。

 水曜日、幸いと言うか台風は黒潮に乗ったみたいなコースを取りそうだと天気予報が教えてくれる。ここからしたら南東側を通ってくれるみたいなのでそんなに風は強くならないかもしれない。少し残念だなという気持ちが湧く。ほっとしたからだろうか。災害を期待していたみたいな気がして少し疚しい。

 木曜日、三時間目の途中から雨が降り始める。台風からの雲で降る雨だろうか。風はあまり強くなっていない。

 放課後、雨に部活に行くのか尋ねたら、

「今日は強く降るかもしれないからみんなお休み」

 と答えが返ってくる。

「それじゃ帰ろうか」

 雨の鞄を受け取って濡れないようにカバーを掛ける。

「ありがと」

 雨は素敵な笑顔を浮かべてくれる。

「風が強く無くて助かるね」

 と言うと、

「台風の後の景色って言うのも楽しいものだよ」

 と雨は言う。昇降口から外に出るとそれなりに強く降っている。傘に当たる雨粒が大きな音を立てている。

「のわけのまたのひこそはってやつかな」

 少し大きな声で聞きかじりの知識をひけらかすと

「のわきだよ。今は確かに同じ字を書いてのわけって読むこともあるけど」

 と指摘されて恥をかく。雨音に負けないように普段の二倍の大きさの声で言った分、恥ずかしさも二倍だ。

「のわきって読むのか。勉強になるな」

 そもそもどんな話なのか良く知らない。台風の次の日の情景が描かれているらしいって言うことくらいしか知らないのに知ったかぶりをするからだと反省する。

「で、どんな話なの」

 恥をかいたついでにいっそのこと雨に内容を聞いてみる。

「台風で草木が倒れた様子を見ている人を愛でる話」

 簡潔に纏めて教えてくれるけれど、僕の理解力が足りないのか何のことだか全く分からない。

「全然分からない。雨はその気持ちが分かるの」

 これが分かれば古文でそれなりの点数を取ることができるだろうか。そんな下心だから理解できないのかもしれない。もっと自然に筆者の気持ちを感じることができれば暗号解読のような授業も楽しくなるのだろうかなんて考える。

「嵐の後って色々なものが飛ばされて大変だよね。草花なんかも折れたり飛ばされたりして痛々しい。でもそんな風景はそれはそれで趣があるってことを感じたよって話じゃなくて、そんな風景を見てそわそわしてる女の子を見て趣があるって話かな」

 雨はより平易に説明してくれる。

「少し分かった。台風の後の痛々しい風景を見ていいなって言う話じゃなくて、その風景を見て感動している雨の姿がいいなってことだね」

 なんとなく雨で喩えてしまう。

「そんな感じだけど、私である必要はないんじゃないかな」

 少し呆れたような声で雨から答えが返ってくる。

「そうかな。でも台風の後の景色の素晴らしさを繊細に感じ取れるような友達は他に心当たりがないよ」

 褒めるとか貶すつもりは無いので思ったことを率直に口にする。

「私が不謹慎って言ってるような気がするけど」

 ちょっと拗ねたような口調で返事が返ってくる。とはいえそんなに怒っているわけではなさそうだ。

「そうかな。雨が強くて洪水にならないかとか、風が強くて草木が倒れないかとか心配になる分には不謹慎とは違うんじゃないか。洪水になれとか草木よ倒れて電線を切ってしまえとか考えてるわけじゃないでしょ」

 別に機嫌を取ろうとは思わないけれど、言い訳じみているだろうか。

「良きかな良きかな。私のことがよくわかっているじゃないですか」

 冗談めかした答えが返ってくる。

「でも、そんな姿を見たいと思う僕の方は不謹慎なのかな」

 そう返すと、雨はふっと噴き出して

「そうだね。大地は不謹慎」

 と指摘してくる。そうなるよなと自分でも何となく納得してしまう。全くもって敵わない。

「古文で言うともうひとつお話を知っているよ」

 雨は何のとは言わないけれど、多分嵐の話なんだろう。

「どんな話かな」

 雨が楽しそうなので楽しいお話なのかもしれない。

「嵐の夜に息子を連れて怖がってる奥さんや愛人を見舞うの。息子は前妻の子で奥さんを取られちゃいやだから奥さんと会わせてなかったんだけど、手違いと言うかで息子は奥さんの姿を見ちゃう。それで息子は継母に心惹かれると」

 どんな話だ。理解がなかなか追いつかない。

「流石に騙されないよ。そんなどろどろしたの。古文じゃないでしょ」

 そうでなければ雨が意図的かつ露悪的な纏め方をしたかだと思う。

「昔の人もどろどろしたのが好きだったんだね。大地はどう」

 僕が疑っているのは分かっているだろうに雨は涼し気に言う。

「僕はご遠慮します。精神衛生上良くないよ。居心地が悪いというか」

 苦笑いしながら答える。嵐も怖いけれどそれ以上に修羅場が怖い。

「一途なんだね」

 雨は楽しそうだ。そう言うのともちょっと違うと思うけれどうまく説明できないと思うので少しだけ話題を元に戻して、

「最初の話の方がいいかな。嵐で気もそぞろな雨の様子を見てる方が」

 なんて伝える。聞いたところでは嵐の後の話だったけれど少しずらしてみる。

「そう。私はどうかな。色々考えることが多くて迷うな」

 雨は一拍間をおいてから、

「のわきって言ってた時代から、今はのわけって言うようになったんだから今の感性で良いのかもしれないね。昔の人と同じ気持ちの所もあるし違う気持ちの所もあるってことで」

 と考えていることを教えてくれる。何が同じで何が違うか分からないけれど、明日また降るようだったら雨のことをよく観察してみようなんて不敵なことを考えている間に雨の家に着く。

「また明日」

 今日はここまで。家に入る雨の後姿を見送る。

 雨には雨の嵐の感じ方がある。もう少し詳しく知りたかったなと思いながら、僕自身のこんな心の動きってやつも面白いものだとどこか人ごとのように感じていた。

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