第7話 秋雨

 二学期が始まってしばらくしてからほどほどに雨が降るようになった。なので幼馴染の佐々木雨との「雨が降ったら僕の傘に入る」の約束の通り、一緒に登下校できる日がほどほどに来るようになった。

 梅雨時のように毎日話をしていても話は尽きないし、真夏の雨が全く降らない時のように会えない日が続いても何とかやり過ごすことができたから、雨が降ろうが降るまいがそれなりに何とかなるんだろう。だけどやっぱりほどほどが一番。お天気任せで話をしたいときに雨が素っ気ないこともしばしばだけど、何日か待てば話を聞いてくれるだろうと思えるので心に余裕がある。

 クラスメイトの男友達は天気のいい日の素っ気ない態度の雨に振り回される僕の姿を見るのが面白いらしく、

「今日はお家で留守番の子犬状態」

 とか、

「今日は酸素が足りない金魚状態」

 とか好き勝手僕をからかって楽しんでいる。からかわれても多分事実なので腹は立たないしだからと言って落ち込むことも無い。からかいがいが無いんじゃないだろうかとも思うけれど飽きもせず、大喜利のように気の利いたフレーズをみんなで考えあっているみたいだ。

 一方で雨の日は僕たちの事を冷やかしたりせずに接してくれる。雨の態度も天気によってはっきりと分かれているけれど、友人たちも同じように明らかに態度が違う。晴れの日の態度と雨の日の態度のどちらが友人たちの素なのかは分からないけれど、どちらの態度で来るか予測できるので戸惑うことが少なくて対応しやすい。

 幾分涼しくなってきたある日の放課後、下校しようかなと空を見ると少し雲が厚くなっているのが見える。降水確率は30%と聞いていたからいつもの傘は置いてきたけれど、かわりに折り畳み傘を持って来ている。雨が部活をしている間にひょっとしたら降り始めるかもしれないなと思ったので、教室に居残って学校で課題を済ませることにする。

 雨が降ったら美術室へ行こう。雨が下校するまで降り始めなかったらいつも通りひとりで下校。それだけのことだけど少し楽しい気分になる。

「大地君、まだ帰らないの」

 クラスメイトの女の子が声を掛けてくる。

「うん、宿題やってる」

 英語のテキストを示しながらそんな風に答える。

「そっか。降りそうだからだね」

 雨が傘を持たない宣言をしたのはクラスみんなが知っているみたいだ。僕の考えることは分かりやすいので、こちらの思惑なんてのは皆お見通しなのだろう。

「なんか私も最近は降るのが楽しみになってきたよ」

 その心は良く分からないけれどからかわれているような気がする。

「そう。だけど僕にとってはもっと切羽詰まった問題かも」

 冗談で返すとくすりと笑われる。

「降るといいね。それじゃ」

 声を掛けてくれたクラスメイトはそんなことを言い残して教室を出て行く。

「そうだね」

 ひとりごとを呟いて笑みがこぼれる。降るといいけど、降らなかったらその時はその時。さっき考えていたことをまた考えている。

 宿題を終わらせて窓の外を見ると少し雲が薄くなったような気がする。今日はやっぱり降らないかなと思って少し残念な気持ちになる。窓の外、グランドでは野球部が部活動をしている。野球部のみんなは降らない方がいいと思っているだろうから雨を待ってる僕は少数派だろう。

 多数派でも少数派でも構わないか。例え雨を待っているのが世界で僕一人だとしても別に困らないような気がする。農家の人も雨を待つことがあるだろうからそんなことは無いなと気付いて苦笑いする。

 からっからに晴れていれば変な期待をすることは無いのでさっさと帰宅してしまうのに、ひょっとしたらと思うと帰れなくなる。思わせぶりな態度を取らないでよとお天気に対して軽く文句を付けたい気分だ。

 帰ろうかと思ったところで下校する雨の姿が見える。今日は残念でしたと言うことかなと考えて、教室を後にする。

 降っていないのに途中で追いついても気まずいかもしれないけれど変に意識するのも何かに負けたような気がするので普通の速さで歩く。

 学校の裏門を出たところでぽつりぽつり雨が降り始める。走れば追いつけるか。思うより早く駆け出している。僕は単純だなとしみじみと感じながら息を切らして走り続ける。静かに動く心と激しく動く体。心と体がバラバラで笑えてくる。

 しばらく走ると雨がバス停の待合室で雨宿りしているのが見える。

「大地は傘、持ってるの」

 僕の姿を見つけた雨がそう尋ねてくる。

「折り畳みならあるよ」

 正直にそう告げる。

「正直だね。無いって言えば止むまでずっとおしゃべりできるのに」

 雨に笑われる。そんなこと思いもしなかった。

「別に傘があってもここにいていいんじゃないかな」

 自分でも何を言っているかよくわからない。

「そうか。そうだよね。じゃあ、しばらくここでおしゃべりしようか」

 今は降っているから快く僕と話してくれる。止んだ瞬間にそれじゃと僕を置いて帰ってしまう姿を想像して自虐的な笑みがこぼれる。

 今日は何か皮肉な笑いが多いなんてことを考える。

「しばらくは今日みたいな日が増えるみたいだよ」

 色々話したいことがあった気がするけれど、どうでも良い天気の話題を振っている。いや、僕にとって天気のことは死活問題だ。さっきもそんなことを言った気がする。

「降るか降らないかはっきりしない日が続くってことかな」

 雨も僕のことをからかう口調でそんなことを言う。「女心と」なんて不遜な慣用表現が頭をよぎるけれど口には出さない。

「はっきりするのもいいけど、どっちなのかどきどきするのもいいかな」

 どきどきした後にがっかりするのは嫌だけど、少し虚勢を張ってみる。

「ほんとにそう思ってるの」

 そう言うことは見え透いているみたいで疑いの眼差しを向けられる。

「どうでしょう。ほんとのところは雨が一番知ってるんじゃないかな。きっと僕より僕のことを理解してるから。でも、そんなどきどきよりこうやって話をできることのほうがきっと幸せなんだよ」

 また恥ずかしいことを口にしたなと思うけれど、覆水盆に返らず。まあ仕方がない。

「変なこと言ってる」

 雨はそう笑った後、

「明日も降るといいね」

 僕が思っていたことを付け足してくれる。半年前まではそんなことを考えもしなかったし、むしろ天気が悪いと憂鬱な気分になっていたような気がするのに、今では待ちわびている。

「前はどんな天気でも僕は僕だと思ってたんだけど」

 脈絡のないことを言っている自覚はあるけれど、雨だって同じだと思うから気にせずに言葉を紡ぐ。

「多かれ少なかれ周りに影響を受けるってことだよ。でも、きっとどんなことがあっても変わらない部分もあるはず」

 その日の天気に大きな影響を受ける雨が言っても説得力が無いと思う。それとも雨にもどんなことがあっても変わらない部分があるのだろうか。

 予測するのが難しい時季の天気のように雨の気持ちも分からない。

「大地の変わらない部分と変わる部分はどことどこかな」

 そんなことは僕にも分からない。雨の気持ちと同じように僕の気持ちも不安定な天気のようなものかもしれない。

「大地に変わって欲しいところと変わって欲しくない所があるよ」

 雨は思わせぶりにそんなことを言う。

「どんなところ」

 答えてくれないんだろうなと思いながらも尋ねる。

「それを聞いちゃうところは変わって欲しい気もするし変わって欲しくない気もする」

 またよく分からない答えが返ってくる。雨も自分自身の気持ちが良く分からないということだろうか。どっちかと言うと気持ちはひとつの言葉で表せないということかもしれない。今この瞬間は雨が降っているけれど、今日の天気は何だったと聞かれて答え方が分からないような感じだろうか。あ、曇り後雨とかで表現できるか。僕が自分の気持ちをうまく表現できないのは語彙の問題なのかもしれない。基本的に雨は雨のままで変わって欲しくないけれど変えて欲しいところがあるなんて気持ちはなんて言葉に表すんだろう。

「そろそろ帰ろうか」

 小降りになってきたからだろう、雨がそう提案してくる。

 僕が折り畳み傘を取り出すと、

「今日の傘は小さいね」

 雨は悪戯っぽく笑う。しとしとと降る雨の中、ふたりで歩きながら今の僕の気持ちはどんな言葉で表したらいいんだろうなんて考えた。

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