第4話 長雨
六月に入って雨の日が増えた。今週は月曜から三日続けて雨。今日も朝は雨と二人で登校した。
今月は雨と結構話をできたけれど、梅雨が明けたらまた距離を置かれるのだろうか。雨の日は楽しそうに声をかけてくれるのに、雨が降っていないと素っ気ない。気分屋だからなのか何か他に理由があるのか。気にはなるけれど雨に聞いても教えてくれない。直接拒否されたわけではないけれどなんとなくはぐらかされている。親し気に接してくれる雨と素っ気ない雨。どっちが本心なのかはいつか教えてくれるのだろうか。僕が自分で答えを見つけないといけないのかもしれないけれど、今は全く分からない。
放課後も雨は降り続いている。雨が降る日だけ僕は美術部の部活に招かれる。雨が美術部の部活に勤しむ間僕は宿題を片付けている。時折、雨が「見て」と言うので、描きかけの絵や出来上がった絵を見せて貰って簡単な感想を言う。雨の絵は明るい雨の絵。何を言っているか分からなくなるけれどまあ、事実だから気にしないようにしている。
僕は全くの素人なので絵の善し悪しなんて欠片も分からない。直感的に楽しそうだとか賑やかだとか感じたことをそのまま伝えるようにしている。雨がモチーフだということは分かるのだけどそれ以上のことが分からない時は分からないと正直に伝えるようにしている。分からないというと、
「そう。分からないんだ」
と何故か雨は楽しそうに言う。僕が分からないのが楽しいみたいだ。僕を困らせて楽しむ趣味があるのだろうか。ありそうで怖い。
「感想を言えた時も嬉しそうだけど、コメントが出ない時も楽しそうだよね」
そのことを指摘すると、
「分かってもらえるのは嬉しい。何か感じてもらえるのも嬉しい。だけど秘密の私がいるのも嬉しい」
良く分からない答えが返ってくる。
「理解してほしいけど、全部は理解しなくてもいいよってことかな」
雨の言葉を頭の中で何度か繰り返してそういう風にまとめてみる。
「そうだね。知ってるところがある。知らないところもある。全部知って欲しいような気がするけど、全部知られるのは怖い気もする。だから秘密の私も必要なんだってこと」
雨は概ねそれで正しいと教えてくれる。
「じゃあ、雨の日はこんなに話しているのに晴れの日は口をきいてくれない理由も秘密の部分って言うことなのか」
この答えはお預けなんだなと半ば諦めながら雨に確認する。
「そう。秘密の部分」
そう言って雨は笑う。今日のところはその答えを聞き出すことも導き出すことも諦める。いつかは導き出したいと思うけれど。
そうこうしていると美術部の顧問の先生が美術室に入ってくる。先生も美術部員と同様に部外者の僕を追い出したりはしない。
先生は指導して欲しいと言っている生徒には指導する、好きに描きたい生徒は好きにさせるというスタンスだと雨が言っていた。部員の中でも絵に対する情熱にはかなり差があるようだ。
雨は指導を受けていない。前に「好きで描いているだけだから」と言って笑っていた。だったら美術部でいる必要はないんじゃないかと思うけれど。
先生は雨に対して、
「コンクールで入選するような絵を描きたいのか、自分の頭の中にある理想の絵を現実のものにしたいのか。後者だとしても技法を知っていた方が良いこともある。だけど、技術が邪魔をするってことも確かにあるから、指導を受けるかどうかはよく考えて決めるといいよ。思うように描けない時だけアドバイスを受けるっていう手もあるから」
とかなり寛大なことを言った。美術部顧問の立場として普通の事なのかどうかは僕にはわからないけれど。
雨はそう言われて、迷うことなく指導を受けないことにしたらしい。
「コンクールで入選したいわけじゃない。皆に上手だねって褒められたいわけじゃない。だから、上手に描けなくてもいい。描きたいものを描きたいんだ」
雨はそんなことを言う。美術に造詣が深い人から構図や技術を褒められることより、自分が描きたいものを描きたいように描く自由が欲しいと考えているようだ。描きたいもの。やりたいことがあるのはいいことなんだろうと上から目線で考える。そんな不遜な考えを見透かすように、
「大地はやりたいこと、無いの。残念な人生だね」
と辛辣なコメントが返ってくる。
「まあ、やりたいこと、なりたい自分をのんびり探しているところかな」
当たり障りのない答えを返して宿題に戻る。
指導を受けている生徒が先生に課題を提出している。先生はひとりひとりに二言、三言指摘をしつつ、次の課題を出している。
人に教わるって大変なエネルギーが必要だと思うのだけど、指導を受けている生徒は絵を上手に描きたいって気持ちがそれを上回っているのだろうと思う。
一方で雨をはじめとした指導を受けていない美術部員って何を求めているんだろう。同じ趣味の友人が欲しくなったりでもしたのだろうか。いや、野球をしたかったら野球部に入るんだから、絵を描きたくて美術部に入るのはおかしなことでは無いか。でも指導を受ける生徒と受けない生徒の間で溝が出来たりしそうで結構大変じゃないかと言うことを考えたところで、部外者の僕が心配することではないかと思考を止める。
雨は口数少なく真剣に描いている時もあれば、僕に話しかけながらゆっくりと筆を動かしている時もある。僕はあまり雨の邪魔をしないように宿題を片付けている。雨が気分屋というのは美術部の中では共通認識のようで、雨の日僕が美術室にお邪魔することについて冷やかされることは無くなった。
「五月雨、梅雨の長雨。毎日私と会えてうれしいでしょ」
今日は喋りながら描く気分のようだ。
「そうだね。でも、もうすぐ旧暦の五月は終わるから五月雨ではなくなるんじゃないかな」
旧暦の六月の雨はなんていうのだろうなんて考えながら答える。
「甘いよ、大地。今年は閏年。閏五月っていうのがあるの。だから五月の後はもう一回五月」
良く分からないことを雨は言う。分からないことが顔に出ていたみたいで、
「ほら、太陽暦と太陰暦だと一年の日数が違うでしょ。太陰暦の方が一年の日数が少ないからどんどんずれて行っちゃう。だから何年かに一回十三ヶ月の年があるの。太陽暦の場合閏年でたされるのは二月二十九日だけだけど、太陰暦の場合は十三月じゃなくてどれかの月が二回になるんだって」
色々端折った説明だけどなんとなく理解できた。それで今年は旧暦だと五月が二回あると。
「じゃあ、暫くはまだ五月雨なのかな」
どうでもよい話題かもしれないけれど、一応終わりがないと妙に座りが悪い。
「そうだね。だからしばらくはまだ五月雨。いいでしょ。雨が続いて」
雨が笑う。それから、
「どうかな」
雨は描きかけの絵を見るように手ぶりで示す。雨の手元にはポストカードサイズの画用紙に鮮やかな色彩の長靴をはいた足が水たまりでしぶきをあげているところの絵が描かれている。
「長靴を履いていたら水たまりでも無敵だね」
変なコメントを告げて呆れられるのはいつものこと。多分雨は呆れているはずだけど僕と軽口でやり取りをしてくれる。
「パシャってなるの、楽しいよね」
雨はそんなことを言う。
でも僕は小学生低学年の頃、水たまりでパシャパシャしてズボンの裾を泥だらけにして叱られたことがある。なので長靴は完璧な防具ではないことを知っている。長靴が完璧でなくてもいい。水たまりに入っていけるって思えることであの時僕は無敵になれたのだから。勘違いで無敵の気分。それでいいと今なら言える。
雨に対しても勘違いでいいから無敵の気分になりたい。そのためには何が必要なんだろうという考えが頭の中で考えていた。
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