第4話死亡
アルバートの作った天国は、確かに美しかった。
だが──民衆というものは、恩を仇で返すことにかけては天才的だ。
支援が続けば続くほど、やつらは「助けてもらった」ことを忘れた。
感謝の代わりに、こう言い出す者が現れた。
「こんな暮らし、最初からあいつが奪ったものを返してるだけだ」
「当然だろ。むしろもっと寄越せよ」
SNSでは、憎悪と妬みの言葉が、雪のように積もり始めた。
ノイジーマイノリティ、誰かを殴りたいだけのやつも便乗してそのムーブメントは確実に広まりを見せた
「アルバートがやってるのは慈善なんかじゃない。支配だ」
「偽善者。裏で搾取してるに決まってる」
「純血の日本人を差別してる。難民優遇の売国奴!」
無知で怠惰な者たちが、アルバートを吊るし上げるために「差別された」と喚き散らした。
まるで自分たちが、何かを奪われた被害者であるかのように。
しまいには、アルバートを支援していた企業や財閥にまで攻撃が向かった。
「裏で繋がってる」
「国家転覆を企んでる」
「アルバートに乗っ取られるぞ!」
そして、民衆はこう結論付けた。
──だから、排除しなければならない。
──自分たちの手で「正義」を下さなければならない。
あの天国で、肩を組み、笑い合っていた人々が、
手のひらを返してナイフを握った。
恩も、愛も、憧れも──
すべてが、都合よく捨て去られた。
裏切った理由さえ、彼らは正当化した。
「守るため」だと。
「誇りのため」だと。
「アルバートのほうが悪い」と。
──自分たちは正しい、と。
その滑稽で醜悪な群れが、たった一人の男を地獄に突き落としたのだった。
ある日、アルバートの豪邸が襲撃された。
犯人は、驚くほどあっさりと、屋敷に入り込んだ。
アルバートの庭はあまりに人の出入りが激しすぎて、悪意を隠せる者にめっぽう弱かった
少女──アルバートの愛娘に近づくと、
何のためらいもなくナイフを突き立てた。
それを母親が咄嗟に庇った。
だが、刺突は止まらなかった。
母娘ともども、地面に崩れ落ちた。
──血の匂い。
──叫び声。
──呆然とする人々。
取り押さえられた犯人は、取り乱すこともなく、ただ無表情でこう呟いた。
「アルバートは侵略者だ」
「俺たちの国を守るために、やったんだ」
裁判でも、彼は陰謀論を信じ切ったままだった。
偏った思想を持つ裁判官によって、死刑は回避され、無期懲役の判決が下された。
アルバートは、事件が起きた時、商談の席にいた。
連絡を受け、取引先の前から飛び出し、血相を変えて駆けつけた。
だが──間に合わなかった。
白い布に覆われた二つの小さな体を前に、
彼は、呆然と立ち尽くした。
襲撃事件の直後、SNSはまさに地獄絵図だった。
トレンド欄には、「#アルバート暗殺未遂」「#自業自得」「#偽善者の最期」──
歪んだ言葉が溢れ、無数の指がそれを拡散していった。
《ざまぁみろw 金持ちがスラムにいい顔してたツケだろ》
《嫁とガキが死んだ? 同情する気にもならんわ》
《スラムの神様気取りだったけど、ただのEU移民じゃん。出しゃばるからこうなる》
まるで、災害か祭りでも起きたかのように、底の浅い笑いと罵倒が飛び交った。
人の死すら、娯楽に消費された。
だが一方で、彼に救われた人々も声を上げていた。
《アルバートさんに生かされたのに、なんでこんな仕打ちを……》
《あの人がいなかったら、今俺たちは生きてない。恥を知れ》
《お願いだから、これ以上あの人を傷つけないでくれ》
恩義を訴える声、悲しみにくれる声も確かにあった。
しかし、SNSという暴力の海に飲み込まれ、かき消されていった。
反アルバート派は、反論する者に対しても容赦しなかった。
《偽善者信者乙》
《こいつらもグルだろ》
《売国奴の手先がウジャウジャいるな》
匿名の暴徒たちは、自らの「正義」を証明するために、どこまでも攻撃的になった。
──金持ちが死んだ。スラムの支配者が堕ちた。
──これが“平等”だ。
──これが“正義”だ。
歪んだ大義と妬み、鬱屈した怒りと劣等感が混ざり合い、
アルバートという一人の男を、何度も何度もSNS上で殴り殺した。
それを、アルバートはすべて見た。
光も、影も──
感謝も、悪意も──
人間の善意が、いかに脆く、
悪意が、いかに容易く燃え上がるかを。
あの日から。
あの日の、あのトレンドの嵐から。
アルバート・ディバイドの心に宿ったのはなんだったのだろうか
それから数日後、葬式が行われた。
棺の前で、嫁の父親──泰造が、拳を振り上げた。
アルバートの頬に拳がめり込む。
それでも、アルバートは、抵抗一つしなかった。
ただ、子供のように泣きながら、絞り出すように言った。
「守れなくて……ごめんなさい……」
彼は、あの瞬間、全てを失った。
葬儀の後、泰造に「話がある」と呼び出された。
しばらくして戻ってきたアルバートの顔を、男は、忘れられなかった。
そこには、かつての陽光のような笑顔はなかった。
代わりに──息を呑むほどの、
眩いばかりの、
だが、どこか不吉な、凶星のような光が宿っていた。
尋問官は無意識に喉を鳴らした。
まるで、目の前の男が急激に質量を増したかのような錯覚に襲われる。
「……続けろ」
声は震えていなかったが、抑えた呼吸と、ペンを持つ手の僅かな震えが隠せない。
尋問官は姿勢を正し、慎重に言葉を選びながら促す。
男──マーフィ・モールドは、微かに笑った。
だがその笑みには、かつての無邪気さも、親しみもなかった。
ただ、何かを見下ろすような、冷たいものが宿っている。
「──あの日、あの時、アルバートは世界を赦さないと決めたんだよ」
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