第32話 ありがとう

 しかし子どもだけで稼げるほどこの世は甘くない。


 現実の冷たい針が4人を突き刺した。食べるものが無い日もあった。家賃の滞納で雨の日にアパートを追い出されたこともあった。それでもなんとか4人は力を合わせて過ごしていた。


「またこれだけか」


 具のないパンをつまみながら結城は愚痴を溢す。


「文句言うなよ、これでも確率的にはかなり優勢なんだ」

 

 シノは結城を諭す。マイケルはうまい、うまい!と言いながら明るく口に放り込む。彼が一番強いメンタルを持っていることを周りは理解していた。


「そういえば悠馬はどこに行ったんだ?」


 シノが気になったことを尋ねる。


「あー少し出掛けてくるって言ってたよ」


 最近悠馬は外に出ることが多くなった。出稼ぎの筆頭であるので当たり前のことではあるのだが、それ以外でも家にいないことが増えたのだ。


「あいつ大丈夫かな? 最近も暴れてたし」


 4人の中で一番変わったのは悠馬だった。最初こそ明るく振舞っていたものの、次第にストレスからか暴言が増えていった。街で喧嘩してしまうこともしばしばあった。


 しかしそれでも、4人は高校を卒業する年齢まで生き抜くことができた。変わるのはきっとこれからだ、そう思った矢先に事態は転落する。



「……え?」


 シノは電話口で言葉を失った。おんぼろアパートにある共通の固定電話にスピーカー機能などないため、あまりにうろたえるシノの様子を見たマイケルと結城は顔を見合わせた。


 少しの会話の後電話を切ったシノは、顔面蒼白になっていた。こんなシノは見たことが無かった。


「……何があったんだ?」


 結城は恐る恐るシノに尋ねた。シノから返ってきた言葉は、その場にいる全員の心を抉った。


「悠馬が……警察に捕まった」


 その晩、3人の食卓はお通夜状態だった。だれも言葉を発しない。ただ、目の前の割引シールが貼られたパンを見つめていた。


「本当なのかな」


 沈黙を破ったのは結城だった。少しの間の後、シノも重たそうに口を開く。


「そんな訳がない。と言いたいところだが可能性としては高いだろうね」


 悠馬の変化に3人は気づいていた。だからこそ、無実を信じ切れなかった。さすがのマイケルも黙っている。


「拘留が決まり次第、悠馬に会いに行こうか。基本的には逮捕から4日後に出来たはずだ。3人全員仕事を休むとお金が危ういところだが……」

「じゃあ僕は仕事してますよ! 難しい話は苦手なんで!」


 マイケルが手を挙げて発言する。


「いいのか?」


 結城が問いかける。


「大丈夫です! それに、2人の方が悠馬さんのことよく分かってるじゃないですか」


 マイケルの言葉に結城の胸が揺れる。そうだ、今まであんなに仲良くしてたじゃないか。結城は立ち上がり、シノを見つめる。


「悠馬に会いに行こう。シノ、もし行きたくなければ……」

「皆まで言うな。君が行くなら僕も行くに決まってるだろ」


 2人は拘留されている悠馬の元へ会いに行くことにした。



 当日、2人は拘置所の前で足を止めた。全体的に白っぽく、無機質な要塞のような建物だった。外側はフェンスで囲まれている。威圧感があふれ出ていた。


 結城が驚いたのはその大きさだ。思わずたじろぐ。


「こんなにでかいもんなのか……」


 結城はふと声を漏らす。結城の考える拘置所のイメージは小さめの建物だったからだ。


「もちろん場所によるけどね、都会だと数千人入るところもあるんだ」


 シノが情報を付け足す。シノは基本的に必要のない知識は身に付けない主義だ。一体なぜこんなことを知っているのか、結城は疑問だった。


 結城が問いかける前に、シノが話す。小さい頃、悠馬とともに親に会いに行ったことがあるらしい。


「思い出したくもないが、エピソード記憶というのはかなり定着率が高い。細かいところまですべて覚えてるよ」


 シノはスマートに手続きを終え、2人は悠馬のいる場所まで案内されることになった。シンプルな廊下には冷たい空気が充満していた。すれ違う人は居ない。案内する人も自分たちの方を振り向いてはくれず、淡々と歩みを進めていく。


 通されたのは小さい部屋だった。アクリル板のようなもので隔たれている奥には悠馬と警察官の姿があった。


「おお、来てくれたのか。申し訳ないな」


 悠馬の姿は若干やつれたように見えた。アクリル板で仕切られているだけでこんなにも遠くに感じるのか、と結城は驚く。シノは何が起こったのか問い詰めた。


「悠馬、本当に警察に捕まるようなことをやったのか?」

「すまん」


 悠馬が頭を下げた瞬間、シノと結城は言葉を失った。あまりに素直な認め方に、逆に何を言えばいいのか分からなかった。


「何のために?」

「強いて言えば復讐かもしれない。ただ、警察に捕まって頭が冷えた。俺はとんでもない過ちを犯してしまったんだ」


 悠馬は落ち込んだ調子で話す。自分たちの居場所を奪った京極の件に怒りを覚えた悠馬は、個人で組織を追っていた。


 しかし京極コーポレーションの闇は思ったよりも深く、悠馬は事実を完全に暴く前に感情に任せて京極本人の元へ行こうとしてしまった。そして京極コーポレーションの人間と揉めたというのが事の顛末だった。


「俺が犯した罪は1つじゃない。京極の元へ行くためにダークな手も使った」


 悠馬はうなだれる。暫く無言の間が出来るが、思い出したようにふと悠馬が言う。


「そういえばお前たち、仕事は大丈夫なのか? 飯だって満足に食えてないだろ」

「今日は大丈夫だよ。悠馬は気にしないで。マイケルも仕事してくれてるしね」


 結城はなだめるように悠馬に言う。悠馬はしかし、と申し訳なくしていた。


「今日で会うのを最後にしよう。俺ももう大人だ。お前たちに迷惑をかけるわけにはいかない」


 唐突の悠馬の発言に2人は驚く。


「何言ってるんだ。裁判だってこれからじゃないか。僕たちも……」


 シノは現実的に反論する。しかし悠馬は首を横に振った。


「そっちは俺で何とかする。どうせ罪は決まってるんだ。私立の弁護士にも頼めない。与えられた罪はしっかり償うよ」

「もうすぐ時間です」


 冷酷にも警察官にそう告げられる。まだ5分くらいしか話してないのに、と結城は不満を抱いた。


「もう時間が無い。悪いが俺が伝えたいことだけ伝えるぞ」


 悠馬は一呼吸おいて口を開いた。その目には覚悟があった。


「壮馬、耀。お前たちには才能もあるし努力もできる。絶対に最高のビジネスパートナーになるはずだ」

「いや、だからならないって」


 シノの反論を悠馬は制する。


「聞け。それでいつか、京極をも凌ぐような企業を作ってくれ。これは俺の夢でもある。お前たちに預けたい」


 悠馬は言い切った後、満足げな顔をしていた。無言で頷く結城をシノが眺めていた。


「時間です」


 悠馬が無情にも連れ去られていく。シノはそれを見て、何か言いたげだったが言葉が出てこないようだった。


 部屋を出る寸前、悠馬が言葉を漏らす。


「今までありがとう、2人とも」

「悠馬!!」


 シノの心から出た声は、楽しい時も辛い時も、今までともに過ごしてきた兄の名前だった。


 悠馬が振り返る間も与えず、まるで過去とのつながりを断ち切るかのように重く鈍い音を立てて扉が閉まった。人が2人いなくなっただけで、面接室がかなり寂しく、広くなった。


「悠馬……」


 結城は悠馬との思い出を回想する。そのどれもが結城を変えてくれたものだった。拘置所を出て駅まで向かう帰り道、耀は決意したように言う。


「シノ、悠馬の意志を継ごう。京極コーポレーションにも負けない会社を作ろう」


 結城は決意したようにシノを見つめる。シノは、暫く目を瞑った後口を開く。


「僕は研究だけやる。その他のことはお前に任せるぞ、耀」


 シノは歩みを速めて先に行ってしまった。


「分かったよ」


 結城は笑ってそれを追いかけた。



 悠馬のことを考えると、結城にはシノが裏切ったとは到底思えなかった。あの4人で生き抜いた日々。


 そして悠馬の釈放がもうすぐに迫っているというこのタイミングで、なぜシノは京極の元に付いたのか。


 顔も見えない機械音声越しでは、あの冷静な男の奥底にある本音すら、結城には掴むことができなかった。


「……シノがいようといまいと、俺のやることは変わらない」


 結城は自分に言い聞かせるように独り言を溢し、シノから渡された資料をもう一度開いた。


 まずは“わさび”の件を徹底的に洗い出す。それが全ての核心に繋がっている――その確信が、結城を支えていた。

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