第33話 変わらない日常と、言えない恋心

「おかえり!」


 実家に帰った葵を真っ先に迎えてくれたのは母親だった。葵が部屋に入ると、そこには翔とマイケル、そして父の裕次郎が待っていた。


「葵ぃ! 生きててよかった! 父さん、心配したんだぞぉ!」


 裕次郎は葵を見てすぐ、わんわん泣いてしまった。


「ごめんごめん、私は大丈夫だから」

「全く、心配かけやがって」


 翔はそっけなく言った。葵はそれにカチンとくるが、すぐに母が言葉を入れる。


「あんなこと言ってるけど、一番心配してたの翔君なのよ。葵が病院にいたときも、東京に行くって聞かなくてねぇ」


 翔は葵の事件を知ってから、仕事があるにも関わらず葵の見舞いに行こうとしていた。もしもあと1週間葵の入院が長かったら、確実に東京に来ていただろう。


「言わないでくださいよ! まぁあれだ、幼なじみとしてな!」


 翔は何故かドヤ顔をしている。


「あれ、何があったんでしたっけ?」


 マイケルは1人ポカンとしている。


「相変わらず物忘れが多いねぇ、畑仕事から帰ってきたときに言ったじゃないの」


 母は葵が攫われたことをもう一度マイケルに話した。


「すいません、3つのことまでしか覚えられないので。その日覚えなきゃいけないこと多かったんですよー」


 一堂に笑いが起こる。マイケルは葵の方を向き直して、改めて言った。


「それにしても葵さん、無事でよかったです」


 マイケルは素直に安心する。遅くまで仕事をしていたマイケルは、葵が来た15時でもまだ昼ご飯を食べていた。葵に話しかけても食べる手を止めないその姿勢はマイケルらしいと葵は安心する。


「そういえば結城さんは? 来てないのねぇ」


 母が結城のことを口に出すと、葵はぎょっとして黙った。


「どうしたんだ?」


 急に喋らなくなった葵に、裕次郎が問いかける。葵は言うべきか迷ったが、ここまで自分の為にみんなが居てくれることを考えると嘘は付けなかった。


「私、結城さんと別れたんだ」

「「えぇぇぇぇぇ?!!」」


 その場にいた全員が仰天する。それにはマイケルですらも箸を止めた。あまりに大きな皆のリアクションに葵はたじろぐが、すぐに補足する。


「あくまで一時的にね! 一時的にだから!」


 その場にいる全員が首を傾げたので、葵は事の顛末を追って話すことにした。


「なるほど、結城君も中々漢気のあることをするねぇ」


 裕次郎は感心する。


「そうかなぁ、逃げただけじゃないか?」


 翔は怪訝な顔をしている。


(耀さん……)


 マイケルは1人、結城のことを心配していた。もちろん顔には出さないように、その口には絶えずウインナーを放り込む。


 三者三様の受け答えに怯むことなく、葵は断言する。


「もう決めたことだから。これは私の決断でもあるし」

「そうよね、あなたももう大人なんだから自分で信じたことなら信じ切りなさい」


 すかさず母がフォローする。その言葉が葵にとっては何よりの救いだった。


「というわけで暫くここにいるね、また皆よろしく!」


 こうして葵は暫く実家で過ごすことになった。一度休めと言われていたため、基本的には母と一緒に家事をしたりゲームをしたりして過ごした。


 しかし何もしないというのはブラック企業に勤めていた葵からするとあまりに退屈で、たまに裕次郎とマイケルが沢のわさび田で仕事をするのを手伝ったり翔の職場の手伝いに行ったりした。


「葵、今日時間ある?」


 仕事が終わった帰り道、翔が葵に話しかけた。


「あるけど、どうしたの?」

「久々にあそこ行ってみねぇか」


 あそこ、と言われて葵は一瞬記憶を遡る。葵が思い出す前に翔に連れられて、着いたのは裏山の秘密基地だった。


 悠馬と翔と葵の3人で作った秘密基地。当時はその辺の木で作った枠組みが段ボールとブルーシートで覆われていた。今となってはもうボロボロな木の枠組みしか残っていなかったが、それでも中に入れるくらいには原型を留めていた。


「ここ、懐かしいだろ」


 翔は自慢げに木枠にもたれかかる。しかし崩れそうになってすぐに手を放した。焦った気持ちを隠すため、翔は矢継ぎ早に話した。


「えーっと、確か最初は俺とお前で作ろうってなったんだよな」

「そうそう、でも全然できなくて。そこを近所の悠馬が助けてくれたんだよね」


 まだ幼く計画性のない葵と翔の前に現れた悠馬は、まるでヒーローのようだった。


 必要な材料や組み立て方は教えてくれても、決して悠馬一人ではやろうとしなかった。ちゃんと2人に自分で作業をさせてくれたことを、葵は今でも覚えていた。


「悠馬、元気かな?」

「連絡もなしに急に遠くに行くって決まったからな」



 悠馬が家の都合でいなくなると知ったのは、引っ越す当日だった。それも、予め聞いたわけではなくその準備に葵が気づいただけ。葵はすぐに翔を連れて悠馬の元へ走った。


「「悠馬!」」


 2人は悠馬の元へ駆け寄る。悠馬は一瞬驚いた顔をしていたが、すぐにまたいつものようにニコッと笑った。2人が着いた時には、すでに出発の時間が迫っていた。悠馬は2人の頭を撫でて、そのまま行ってしまったのだった。


 連絡先を交換していないことに気づいたのは、すでに悠馬が居なくなってしまった後だった。


「そういえば葵の初恋の人って悠馬だったよな」


 翔がふと思い出したように言った。


「え!? そんな昔の事言わないでよ」


 葵が顔を赤らめる。もしこの顔が自分に向けられたものだったなら、翔は心の中で静かに呟いた。


「あの結城ってやつも悠馬に似てるよな、だからお前好きになったのか?」

「え、まぁ言われてみれば確かに似てるね……でも私が耀さんを好きになったのは、悠馬に似てるからじゃないよ」


 分かってはいても、結城を名前呼びする葵に翔の心臓はきしむ。


「俺、もう1か所行きたいところあるんだ」


 翔は葵を引っ張って、山の頂上へ連れて行った。赤い夕焼けが村全体をきらめかせている。自然が作った展望台のような場所だった。


「お前が上京した後、たまたま見つけたんだ。綺麗だろ?」

「うん! めっちゃ綺麗! この村にもこんな場所があったんだぁ」


 葵は息をついて景色を眺めた。翔も空を見上げる。アメジストに近づいていく空に、星や月が薄く姿を現していた。



 翔の中に、1つの記憶が蘇る。小さい頃、父親と話した記憶だ。


 わんぱく相撲でなんとか決勝まで勝ち上がった翔は、相手を見ておびえた。


 明らかに自分と同じ歳だとは思えないくらい大きい。足がすくんだ。他の子どもで棄権した人もいた。


「お父さん、僕やめたい」

「だめだ、行ってこい」


 駄々をこねる翔に、父親は強く言う。譲らない父親に、幼い翔は涙ぐんだ。


「なんで負けるって分かってるのにやらなきゃいけないんだよ!」

「翔、よく聞け」


 父親は立ち上がって翔の目を見る。


「負け戦でもな、やることに意味があるんだ。相手には勝てないかもしれないが、自分には勝てる。それには大きな価値がある」


 翔はそのあと、決勝に進んだ。負けてしまったが、その経験は今も翔の行動力を支えていた。



「少し暗くなってきたね。夜の山道だと危ないし、そろそろ帰ろっか」

「あ、うん。そうだな」


 葵は慣れた足取りで山を下って行こうとする。ここを逃したらもうチャンスはない、翔は足に力を溜める。


「葵!」


 急に名前を呼ばれて、葵は足を止めた。


「どうしたの、翔?」


 夕陽に照らされたその横顔は、風にたなびく髪と、ちらりと覗いたイヤリングがひときわ際立たせていた。それが結城からのプレゼントであることを、翔は知らなかった。


(……綺麗だ)


 言葉が詰まりそうになるのを、翔は飲み込んで続けた。


「あのさ、俺じゃダメかな?」


 葵が目を瞬かせる。


「え?」


「悠馬も結城も、カッコよくて優しくてさ。でも……俺だって、お前のこと、好きなんだ。ずっと、昔から」


 声は震えていなかった。だけど、胸の奥が焦げるように熱かった。言い終わると同時に、ストンと落ちるように夕日が沈んだ。


 翔の視線の先、夕闇に包まれはじめた葵の顔は、よく見えなかった。


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