第30話 3人の出会い

 葵を見送って、結城は仕事に戻る。自分は何を優先すればいいのか。社長室で1人、考える。シノの裏切り、葵への恋心、京極の存在。結城は悩んでいた。


(どうすればいいんだ……)


 もしシノがいたら、結城の脳内にはどうしてもそれがよぎる。彼が裏切るはずがないと結城はいまだに信じられていなかった。


 ふと壁に目をやる。そこには結城とシノ、そしてもう1人の写真があった。


 結城はデスクに肘をつき、目を閉じる。記憶の底から浮かび上がってくるのは、あの少年――シノとの出会いだった。



 結城が向かわされた養護施設は、京極コーポレーションが世間の風評を良くするために作ったものだった。半分放任主義といった形だったが、結城にはそれがむしろちょうどよかった。


 特に生活に苦労することもない。施設には、全国から親を失った子どもや事情を抱えた子どもが来る。結城もその一人だった。


「よろしくお願いいたします。結城耀です」


 京極家を出たタイミングで名前は旧姓に戻した。家の希望もあったし、結城本人としても周りの人に元京極家の人間だとバレたら遠慮されるか攻撃にあうかのどちらかだと思っていたからだ。


 結城には礼儀作法が身についている。学力も相当高い。しかし京極家で結城にへばりついたのはそれだけではなかった。


(なんで俺がこんな低レベルな奴らの中に……)


 屈折したプライドだ。京極家を出てもそれは洗い落とせなかった。もちろん礼儀作法も身についている結城は顔や発言に出すことはしなかった。


 しかし見下した態度というものは伝わってしまうものだ。結城は次第に一人になった。


(大丈夫、僕には実力がある)


 1年経つ頃には、結城は誰とも喋らず教室の隅でずっと勉強している少年になっていた。それは養護施設に限らず、中学校においても。


「ねー、この前のテレビ見た?」

「見たよー、あの芸人面白かったー!」

「そういえば最近京極コーポレーションのCM多すぎない!?」

「ね、それに発電所の話題ばっかりだしつまんなーい」


 京極コーポレーションという言葉に結城は反応する。しかし話しかける勇気は無かった。


 1年の月日は、結城の心を完全に孤立させたのだ。そんな結城を変えたのは、新学期が始まった9月の出来事だった。


「今日は新しく転校生が来ています」


 担任のその一言にブワッと教室が沸き上がった。


「どんな子だろー?」「かっこいい子かな?」「可愛い子に賭ける!!」


 結城は全く興味が無かったので、いつものように数学の応用問題を解いていた。


 既に中学の範囲は学び終え、高校の内容も終盤に差し掛かったところだ。それは他の教科においても同じだった。


「結城君、今は手を止めて新入生に目を向けてください」


 担任が優しく結城に語り掛ける。成績が良いためあまり強めに言うことはない。しかし結城はめんどくさい子どもだな、という担任の本心を見透かしていた。


 大人の考えていることなんか手玉に取るように分かる。京極家で身に付けた悲しい能力だった。


「はい、先生」


 結城はパタンと参考書を閉じる。無駄な争いは起こしたくなかった。ただ、追い出されたことで結城の歯車は壊れ、すべてがどうでもよくなっていた。


「東雲です、よろしく」


 新しく入ってきた少年は不愛想にそう自己紹介した。東雲と名乗る少年が案内された席は結城のいる席と反対側だったので、特に話すことも無かった。


 しかし授業中も昼休みも、結城は東雲からの視線を感じていた。自意識過剰の可能性もある、と結城は特に気にしていなかったが。


 そこから特に話すこともなく、3日が過ぎた。結城がいつものように勉強を終えて施設に戻ると、そこには「新しい仲間が来るよ!」との張り紙があった。わざとらしい、きっとテレビの取材などに向けてだろうなと結城は内心ため息をつく。


 養護施設には新しく子どもが入ってくることがしばしばあった。今回もまた可哀想な子どもが仲間入りするのだろう。


 結城は特に気にせず勉強していた。しかし夜、新しく紹介された二人に目をやって結城はその手を止める。


「今日からお世話になります、東雲悠馬です。ほら、お前も」

「東雲です」

「苗字じゃ分かんないだろ」

「壮馬……」

「よろしくお願いします!」


 どうやら兄弟のようだ。弟の方は結城のクラスに新たに転校してきた人物だった。兄は中学3年生、弟は結城と同じ2年生だった。


 兄弟のいない結城からすると、兄弟ならではの掛け合いが少し羨ましくも感じた。しかしそれだけだ。結城はまたすぐに勉強に戻った。


 他の施設のメンバーが2人に駆け寄り、話しかけた。兄の方は社交的だが、弟は人と話すことが迷惑そうだった。周りもそれを察したのか、次第に兄の悠馬のみに話しかけるようになった。


「複素数平面か」


 結城が暫く集中していると後ろから急に声が聞こえた。結城はびっくりして身をのけぞらせる。弟の方だ。


「……知ってるの?」

「知っているも何も常識だろ。あー、中学生だったらそこまでじゃないか」

「おい、壮馬。急に話しかけたら相手がびっくりするだろ。ごめんね、君」


 兄の悠馬が人の波から抜けて結城たちの元へ寄ってくる。


「いえ、問題ないです」

「さっき挨拶した者です。僕は東雲悠馬でこっちは壮馬。君も中学生?」

「はい、結城耀と申します。中学2年生です」

「お、それなら壮馬と同じじゃないか」


 悠馬がやったなと壮馬の肩に手を置く。壮馬は悠馬の手を振り払って、結城に話しかけた。


「君ならまだ話が合いそうだ。他のやつらはバカばかりっぽいからな」

「こら! そんなこと言うな!」


 悠馬は弟を叱る。しかし悪態をつく東雲壮馬という少年に、結城は尊敬の念を抱いた。思ったことをすぐに言う、結城にはできないことを目の前の人間がやすやすと行っている。


「虚数を考えたのは画期的だ。昔の人間はルートの中身が負の数にはならないと決めつけけていた。でもカルダノがそれを打ち破ったんだ」


 弟は楽しそうに話す。結城にもよく分からない話だったが、目の前の少年が感動している事だけは理解できた。


「いつも押し付けるなって言ってるだろ? 耀君、こんな弟だけど仲良くしてあげてくれ」

「僕は東雲壮馬、名前で呼ばれるのはあまり好きじゃないんだ。長くて面倒くさかったらシノとでも呼んでくれ」

「よろしく、シノ。僕はそうだな、あだ名とか無いんだけど」

「じゃあ耀でいいよ、短いし。脳の容量を圧迫しない。その代わり苗字は忘れるからな」

「全くお前は……俺は兄の悠馬だ。弟がシノなら紛らわしいから名前で呼んでくれ。俺も耀って呼ばせてもらうよ」

「お願いします、悠馬さん」


 悠馬はため口でいいよ、と笑った。悠馬の持つカリスマ性に結城は少しあこがれを覚えた。もちろん口には出さなかったが。


 こうして結城はシノ、悠馬の2人と一緒に過ごすようになる。

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