第11話:影、街に満ちて──悪魔たちの予兆
「おはよう悠人っ! 朝ごはんできてるよ!」
朝9時。
俺が布団の中で二度寝を決め込んでいると、元気な悪魔の声が部屋中に響いた。
「うるっせぇ……っつか、なんで朝から勝手にキッチン使ってんだ……」
「今日はね、“人間界の朝食”を極めるために、リサーチしてみたの!」
「またかよ……」
リビングに行くと、テーブルの上には目玉焼き、トースト、ベーコン、ヨーグルト(全部コンビニ製品)が美しく並べられていた。
「……買っただけじゃねぇか」
「これも一種の“盛り付けスキル”でしょ?」
「いや、努力は認めるけどさ……」
そんなやり取りをしている間に、リリムがパンをかじりながら座り込んだ。
「今日も平和だねぇ……」
「お前が言うと不安になるんだよ」
しかし、それはほんの束の間の平和だった。
◆ ◆ ◆
昼過ぎ。
俺たちは街のショッピングビルに来ていた。
週末とあって人通りは多く、フロアには子ども連れの家族や買い物中のカップルの姿がちらほら。
そのなかを、俺は買い物袋を片手に、悪魔に振り回されるという異常な日常を満喫していた。
「ねえねえ悠人! この服かわいくない!?」
リリムが店頭に並ぶ花柄ワンピースを指さしてきた。
「お前、それ似たようなのもう持ってるだろ。白いやつ」
「ちがうの! こっちは“春の訪れ”で、あっちは“癒しの清楚感”!」
「ジャンルで分類すんな、服を……」
そう言いながらも、リリムがコロコロと笑いながら服を手に取る姿は、
どう見ても“ただの女の子”にしか見えなかった。
「でさ、アクセも見たいし、文房具コーナーも覗いておきたいし……」
リリムは楽しそうに指折り予定を数えている。
「あと、忘れちゃいけないのがプリン! 絶対ね!」
「……それが最優先事項なのは揺るがないんだな」
「うんっ♡」
にっこり笑うリリムを見て、なんとなく口元が緩むのを自覚する。
面倒くさくて、うるさくて、突拍子もないことばかりやらかすけど――
それでも、今この瞬間は、悪くなかった。
「悠人? ……何、笑ってんの?」
「いや、別に。ああ、ほら行くぞ。アクセ売り場あっちだろ」
「おおっ、やさしい! 男らしい! やっぱり悠人って私のナイトかも!」
「誰がだよ。プリンにつられただけだよ」
「じゃあご褒美にあとでWプリンにしてあげる♡」
「地獄の甘さだな、それ……」
そんなくだらないやりとりを交わしながら、
俺たちは人波の中を歩いていた。
光の射し込むフロア。
笑い声、BGM、店員の呼び込み――
すべてが当たり前に存在する日常。
リリムが横にいるのが、いつの間にか“普通”になっていた。
だけど――この“平和”は、ほんの数分後、音もなく崩れていくことになる。
買い物袋を片手に、エスカレーターを降りた瞬間。
何か、変な感覚が首筋を撫でた。
「……リリム、お前今、なんか感じないか?」
リリムの動きが止まる。
次の瞬間、彼女の表情が変わった。――悪魔の顔になった。
「……いる。薄いけど、間違いない。“向こう”の気配」
「どこからだ?」
「この階じゃない。……地下の食品売り場。なにか、変なのがいる」
「よし、じゃあ俺帰るわ」
「だーめっ!」
強制的に手を引っ張られ、地下へと連行される俺。
もうこれは完全に「事件のはじまり」ってやつだ。
◆ ◆ ◆
地下食品売り場は賑わっていた。
だが――その一角、テナントの空き区画の前で、空気が明らかに“濁って”いた。
「ここだ……」
リリムが手のひらを前に掲げると、薄っすらと紫黒いモヤが浮かび上がる。
「残滓(ざんし)……?」
「この場に“なにか”が通った痕跡。まだ熱が残ってる」
そしてその瞬間、背後の通路に“音もなく”立っていた。
人影――否、“人の形をした異形”たち。
昨日見たものよりも、輪郭が明瞭で、数が多い。
「囲まれた……!」
「くそっ……何者だよ、こいつら!」
「悠人、私の後ろにいて!」
リリムが結界を張ろうとしたその瞬間――
影の一体が先制攻撃を仕掛けてきた。
早い。
昨日の個体とは比べ物にならない速さだった。
「悠人っ、下がって!!」
リリムの結界が展開し、初撃をギリギリで防ぐ。
その爆風に吹き飛ばされかけた俺の体を、誰かの腕が支えた。
「遅くなったわね」
声の主は――カグラだった。
「分析が遅れて悪かったわ。でもこの数……想定以上ね」
符を投げ、結界を張るカグラ。
だが、それすらも押し返すほど、影たちの力は増していた。
「……駄目。抑えきれない!」
リリムとカグラ、二人が並んで戦っているのに、形勢は押されていた。
俺もただ見ていることしかできない。
だけどそのとき――
空気が、また変わった。
風が、逆巻いた。
誰かの足音が、静かに響く。
「騒ぎすぎだ、お前たち」
神主装束を翻し、現れたのは――天見 真澄だった。
「天見様!」
「間に合ったようだな」
彼は指先を軽く鳴らした。
次の瞬間、空間が裂けた。
光の刃が、影たちを切り裂いていく。
音もなく、ただ“清浄”だけが広がる。
残った影は、苦しむように歪み、そして消えた。
「まったく……少し目を離すとこれだ」
結界を再構築しながら、天見は静かに言った。
「これ以上は危険だ。こいつらの動きは、ただの“異変”ではない。誰かが――呼び寄せている」
「……誰が……?」
「まだ分からん。ただ――“ここにいることを知っている”奴が、いるということだ」
リリムとカグラは黙ったまま頷いた。
そして、俺も。
◆ ◆ ◆
ビルの屋上。
ひとり、影の中からその一部始終を見ていた者がいた。
隣人――仁科 蓮。
「……動き出したな、“あの残滓”ども」
彼はただ、静かにコーヒーのスティックを口にくわえた。
視線の先には、傷つきながらも前に出ようとする“あの少年”の姿があった。
「……関わるなよ、俺」
そう呟いた言葉に、どこかで諦めと、迷いが混じっていた。
(つづく)
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