第9話 風のまつりと静かな路地

朝の光が宿の窓から差し込み、通りではすでに人々が行き交っていた。


色とりどりの布が頭上に飾られ、屋台からは焼き菓子や果物、揚げ物など、甘く香ばしい匂いが漂ってくる。


笛と太鼓の音が遠くで重なり、子どもたちの笑い声がそれに混じっていた。




窓辺に立ったリィナが、外の賑わいを見ながら目を細める。




「いやあ、これが“風のまつり”ってやつか……なんだかこっちまで浮かれそう」




エラは布団を畳み終えて、「うん、すごい人が多くて、ちょっと緊張するけど……楽しそうだね」と笑った。


俺は軽く伸びをしながら、窓の外の喧騒を一瞥する。




祭りの朝にしては、宿の中は意外と静かだった。




「今日はまつりだし、宿、もう一泊ってことでいいよな?」




俺がそう言うと、リィナが振り返って答える。




「朝ごはんの前にちょっと見てきた。空いてたよ、今日も相部屋だけどね?」




「……それは、まあ、仕方ないな」




小さくため息をつきながらも、俺は笑ってしまう。


森を越えて、ようやくたどり着いた町。


そして、今日だけは――肩の力を抜いてもいい気がしていた。




「リィナ、祭りが終わったら……準備して出る感じか?」




俺の問いに、リィナは一瞬だけ視線を落とし、それから静かに笑った。




「うん。装備も整えたいし……還り人のことも、もう少し調べてからね。でも、今日は思いっきり楽しむつもり」




「私、迷子にならないよう頑張る……!」




エラがぴしっと背筋を伸ばして言うと、俺とリィナは思わず笑ってしまった。




「うん、それは大事だな。特に今日は人が多いし」




そう返すと、エラは「大丈夫!」と胸を張る。




支度を終えて、三人で宿を出る。


まつりの空気はすでに街全体を包み込み、通りには活気が満ちていた。




---




宿を出ると、通りにはすでに大勢の人で賑わっていた。


色とりどりの布が張られた下を屋台が並び、焼き果実や香辛料の利いた串焼き、色鮮やかな織物が目を引く。


香ばしさと甘さの混ざった空気が鼻をくすぐり、耳には絶え間ない太鼓と笛の音が響いていた。




「わあ……おいしそう……!」




エラが目を輝かせて足を止める。


そこには、炭火で焼かれた果物の串を売る屋台。桃やリンゴが、香ばしい焦げ目をまとっていた。




「これは食べなきゃ損でしょ」




リィナが笑って屋台に近づき、ちゃっかり三本分を注文していた。




「だいじょうぶ、こういうときは迷わず買うのが旅の掟!」




そう言って渡してきた串を受け取り、俺も一口かじる。




「あっつ……でも、うまいな」




「んふふ、やっぱりね」




三人で歩きながら、屋台をのぞき、おしゃべりをして、時折立ち止まっては笑った。


リィナが少し先を歩き、エラがその横にぴたりと寄り添う。俺は少しだけ後ろからついていった。




――そのときだった。




「おーい! こっちでちょっとした演奏始まるぞー!」




祭りの広場から飛んできた声に、人々が一斉にそちらへ向かって動き始めた。


流れるような人の波に、気づけば俺の肩が誰かにぶつかり、視界が一瞬遮られる。




「っ……、リィナ? エラ?」




返事は、ない。


周囲を見渡すが、すでにふたりの姿は見えなかった。




(……マジか)




まさかとは思ったが、これは――




俺が、迷子になった。




あんなに人混みを警戒していたのに、よりによって自分がはぐれるとは。




「……ま、いいか。少しぶらついて、戻ればいい」




そう思って通りを外れ、人混みの少ない道へと足を向ける。




石畳の細道を抜けた先、そこは祭りの喧騒から一転した、静かな裏通りだった。


軒先には風車が吊るされ、ゆっくりと回っている。


その音だけが、風に乗って耳に届いた。




小さな祠の前に腰を下ろし、背を預ける。


にぎやかな祭りの中で、こんな場所があるとは思わなかった。




(……なんでだろうな)




気づけば、少し息を吐いていた。




あれだけ騒がしい場所にいても、ふたりの笑い声だけは鮮明に思い出せる。


屋台をのぞき込むエラの横顔。得意げに笑うリィナの声。




(……あいつら、今ごろ何してんだ)




ぽつりと、心の中でつぶやいたとき。




「……やっぱり、いた」




風の音に混じって届いた声に、顔を上げた。




そこには、髪を軽くまとめながら歩いてくるリィナの姿があった。


わずかに乱れた呼吸と、安堵したような表情。




「探したよ。こういうとこに来てそうな気がしたんだ」




「……悪い、流された」




「ほんとに。まさかシンが迷子になるなんて」




リィナはくすっと笑いながら、俺の隣に腰を下ろした。


ふたりの間に吊るされた風車が、ゆっくりと回る。




「エラには先に屋台で待っててもらってる。心配してたよ」




「……そうか」




「でも、ちょっとだけ分かる気がする。にぎやかすぎると、疲れるでしょ」




そう言って、リィナは空を見上げた。


布飾りの向こうに、青い空が覗いている。




俺は言葉を返さず、風の音に耳を澄ませた。




「戻ろっか。」




「……ああ」




ふたりで立ち上がり、再び祭りの喧騒へと歩き出す。


その背中に、風車の音が小さく響いていた。


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