第2話 聖女
聖女とは、清廉なるものである。
聖女とは、神の愛をその身に受けた者である。
すなわち聖女とは、祝福である。
すなわち聖女とは、呪いである。
『……オルナバス様』
ああ、これは夢だ。
聖女アーテはそれを自覚した。
自身が水の中にいて、身動きが取れない感覚。
体の芯が凍えていくような感覚。
アーテはそれを感じ取りつつも、冷静に断じた。
何度も味わった感覚であるから。
昔大司教に連れられて、劇を見に行ったことがある。
その時のように、自分はただ眺めるだけで劇は自分を置いてきぼりにして進んでいく。
――嫌。
見たくない見たくない見たくない見たくない。
だがしかし、それは言葉にすらならず、身動きもとれず。
聖女に、忌まわしき記憶を見せるのだ。
『嫌、嫌、嫌ぁーーーーーーーーーーーーー!?』
これは、悪人が死後に待ち受けるという地獄の刑罰であろうか。
であれば、自分が何をしたというのか。
『違う、違うのです!私は貴方に傷ついて欲しくてやったわけでは……!』
いいや、違う。
自分は、聖女アーテと言う人物は。
罪人である。
『ごめ、ごめ……なさい……!』
自分は、弱かった。
結局力になれなかった。
それどころか。
『—————————』
なのに。
どうして!
――どうしてあなたはそう笑っているのですか!?
言葉にならない慟哭は、夢の中へと消えていく。
いっそ、怨嗟の声を浴びせてくれればよかった。
花を手折るように、この首をへし折ってくれればよかった。
そうであれば、どれだけよかったのだろうか。
自分に責任を取らせてくれないだなんて、貴方はどれだけ酷いのだ。
『どうしてどうしてどうしてどうしてどうして』
その声は、それを聞いている自分に言っているような気がした。
涙を流しながら、オルナ様が戦っているのを茫然と見つめている。
血と、鉄と、悲鳴。
魔王の時代には、それが無い場所が無いほどであった。
目の前で、オルナ様が――――。
また何度も、————。
何度も何度も何度も何度も何度も。
それを自分は助ける事すらできずに、茫然と立ち尽くすことしかできなかった。
『どうして、私は隣に立つことができないのですか……!』
ふと、オルナ様の瞳が、こちらを映す。
――っ!?
夢で見ているはずなのに、心臓を掴まれる感覚。
冷や汗が止まらない。
オルナ様は自分に向かって口を開き、少し迷ってから口を閉ざす。
『あ……』
彼が自分に何を言いたいのか、分かっていた。
何をしてほしいのかわかってしまった。
でも、動かなかったのだ。
小鹿の様に震えて、彼を見つめる事しかできなかった。
――それが、それこそが私の罪。
結局のところ、自分は彼を助けることなどできなかったのだ。
そう、最後まで。
『——ああ……!?ああ……!?』
遠く。
オルナバス様が本懐を果たした時。
彼の姿を見て。
――私の心は限界を超えてしまった。
世界が、崩壊していくのを感じる。
軋んだ心が、そう見せているだけの錯覚だとしても。
『それが、あなたの望みなのですね……?』
それを見たのと同時。
私は誓ったのだ。
『私にも手伝わせてください。私にも担がせてください。私はあなたの隣にいたいのです。隣にいなくてはならないのです。今度は、今度こそは役に立って見せます。絶対、絶対に。あなたが望むのならば、私は何だってします。それが例え道理に反することであっても。あなたにはその資格があるのです、これからは、あなたの心が赴くままに、自由に生きていいのです。だから――』
――だから、お願いします。どうか私をあなたの隣にいさせてください。
眼前の、眠る彼女に。
何の力もない、世間知らずの小娘だけれども。
『この命は、貴女のために。貴女の望むままにお使いください』
聖女は、祝福を神から授かったとされる。
だが、自分にはどうしてもそれが祝福などとは思えなかった。
オルナバス様に出会わなければ、この身に宿った力は祝福であると言えたのだろう。
笑って、何も知らず、何も疑わずに生きていたのだろう。
多分、魔王も他の聖女とオルナバス様が倒していた。
私とは違って、役に立つ聖女が。
――嫌。
なぜか、胸に苦いものがある。
どうしてだろう。
『違う、私はその正体に気付いている』
鏡の様に、目の前に自分の顔が映る。
『どうしようもないほど愚かで、どうしようもないほどに醜悪』
目の前に映る自分は、自分自身でさえ考えないようにしている心の裡を露わにする。
『私は、他の聖女がオルナバス様の隣にいることが許せない。私よりもオルナバス様の役に立つことのできる聖女を許さない』
自分よりも役に立つ聖女が、オルナバス様の隣にいたのなら。
彼はこんなにも傷つくことは無かったはずだ。
それは、オルナバス様にとってこれ以上無くいいことだと思っている。
思っているのに。
『私は、彼の隣にいたい』
だから、これだけは見せたくない。
この感情だけは。
世界が晴れていくのを感じる。
そろそろ夢から覚める時なのだろう。
――あなたは、それでも私を赦すのでしょう。でも、他ならぬ私自身が、私を赦せないのです。
自分勝手だと、分かっている。
自己保身であることも。
だけれども、自分に枷をはめることでしか制御する術が無いのだ。
「貴女の隣で、歩ませてください。私に、贖罪の機会をください」
聖女は、贖罪の旅をする。
「今度こそ、貴女を救って見せます。だから、その時はどうか――」
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