魔王を倒した勇者、TSしたらなぜか聖女が病んだ

栗色

第1話 プロローグ

「ああああああああああああああああああああ、私、私は……!?」


「気に病まないで、君は何も悪くないのだから」


血に染まった手で、——の人は私の頬を撫でた。

―――――——――――

――――——――

――――—


魔王が倒された。

大陸全土を恐怖に蝕んでいた存在を、勇者が討伐したのだ。


その知らせは、風よりも早く瞬く間に世界に轟いた。

恐慌状態から一転、人々は歓喜と安堵に包まれた。


魔王の時代には見せる機会など無かった笑みを、今では誰もが浮かべている。

安堵からの涙さえ浮かべている人間も珍しくない。


魔王によってつけられた傷は深い。

生半可な努力では到底、それを癒すことはできないだろう。


しかし、希望に満ち溢れた人々の顔はそれが可能であると確信している。

壊された街の復興や、穀倉地帯の復活、ひいては人口の増加。


そのどれもが魔王の時代にはできなかった。

街を修復すれば、街が壊される。


食料を生産しようとすれば、すべて燃やされる。

そんな状況で子供をつくるのなんて、あり得ない。


でも今ならできる。

斯くして、魔王の時代は突如として終わりを告げ、世界には平和が訪れたのだ。



ふと。


「ところで、勇者様は一体誰なんだ?」


魔王によって破壊された街の復興に努める青年が。


「国からの発表があるんじゃない?」


土壌に植物の種を植える少年が。


「魔王との闘いは、激戦だったと聞くわ。だったらその時の傷が深くて、まだ私たちの前には姿をお見せにできないのよ」


身分を偽って、街の復興のため少しでも役に立とうと励む令嬢が。


「勇者は、どこだ?」


ある国の王が疑問をこぼす。


誰も彼も、勇者の居場所を知る者はいない。

どこの国の人物なのかも、分からない。


魔王を倒した勇者とは、何者で、どこにいるのだろうか。

その疑問に答えられる人間は、誰一人としていなかった。


――魔王を倒した勇者は、名乗り出ろ。勇者であると認められた場合には、格段の名誉栄光を与える事を約束しよう。


各国が、勇者についてのお触れを出した。

こうでもしないと、勇者は名乗り出ないだろう。


「私は、この王位を譲ろう!」


小国の王が、お触れに報酬を付け足した。

王位を後継以外に譲るなんて行為、通常ならばしないだろう。


だが小国の王に倣って、各国の王たちは、自身の王位の譲渡を報酬に付け加える。

それは大国の王であろうと変わらない。


それほどに、魔王と言う存在は大きかったのだ。


それでも勇者は現れない。

贋作は現れたが、すぐにその嘘は白日に晒された。


各国の誰かが隠しているということもない。

そんなメリットなど皆無であるからだ。


であれば、一体どこにいるのか。


――勇者様は、魔王と相打ちになって死んでしまったのではないか?


そんな噂が、大陸に流れ始めた頃。


「——本当に、行かれるのですか?」


「——はい」


白の大聖堂。

神聖で荘厳な気配が、辺りを満たしており慣れない者には息苦しささえ感じられるだろう。


そんな色が抜け落ちたかのような空間に、三人の男女がいた。


一人は、格式高いローブを身に纏い、教典を手に持つ大司教。

一人は、大聖堂に負けぬほどの神聖荘厳な気配を纏う少女。


そして最後の一人は。


「ところで、貴方の後ろに隠れているお方は……?」


大司教が、不思議そうに少女の後ろに隠れている女性を見る。

少女どころか、男性である大司教すらも超している体躯のせいで隠れ切れていない。


女性は少女の裾を頼り無さそうにつかむ。

居心地が悪そうに、視線を泳がしている。


「彼——いえ、彼女は……」


少女は、そんな女性の手に自身の手を重ねる。

慈愛の女神が乗り移ったかのような、微笑みであった。


「私の親友です。もともとは遠く離れて暮らしていたのですが……その、魔王によって、彼女が住んでいた場所は……」


「……そうですか、それは辛いことでしたね」


大司教は女性に憐みの目を寄越してから、少女へと視線を移す。


「彼女も、同行するのですか?」


「はい」


そう言い切る少女に、大司教は苦笑する。

自身が持つ教典に目を落とし、俯く。


「……今の時代は、魔王が討伐された事で幾分か平和になりました。しかし、それは完全な平和ではありません。悲しいことですが人の道理に反する者は、いつの時代もいるものですから」


「そうですね……」


「だから、女性二人だけでは身の危険もあるでしょう。教会所属の騎士を護衛に――」


「——必要ありません」


大司教は、少しだけ目を見開いてから、少女をまじまじと見る。

大司教の知る彼女は、誰かの言葉を半ばで斬ることはしなかったはずなのに。


「そ、そうですか……」


驚いだが、深く聞くことはしなかった。

彼女が、どこで何をしていたのか、その経歴を考慮して。


それでも心配気な視線を向けてくる大司教に、少女は女性の手をぎゅ、っと握りして笑う。


「——?」


その仕草に、大司教はどことない違和感を覚える。

だが違和感の正体は判明することはなかった。


「……そろそろ、手配した馬車が到着する時間です」


少女は懐中時計を手に、大司教に頭を下げる。


「ありがとうございます、大司教様。何から何まで、貴方の助力が無ければ、私は今ここに立っていないでしょう」


「いえ、気にしないでください。私は経典に従って私のすべきことをしたまでです」


「それでも――いえ」


少女は頭を上げて、大司教を見る。

少女と大司教が出会ったのは、今から十年以上前だ。


当時幼かった少女を拾い、親代わりとなった。


「……本音を言うと、私は貴方に謝らなければならない。そんな私に感謝などとても」


大司教は、後悔していた。

目を伏せ、遠きを見る。


「貴女を聖女なぞに擁立してしまった。そのせいで、貴女は魔王に挑む兵として仕立て上げられたのです。謝っても、許されることではありませんが」


「大司教様……」


大司教は少女の頭に徐に手を伸ばす。

優しく手を乗せ、微笑んでいる。


「……少し見ないうちに大きくなりましたね。本当に」


数度、瞬きをする。

少女の頭から手を離し、一歩後ろへと下がる。


「神よ、我の願いを聞き入れた給え」


大司教は神への宣誓のように、片手を天に伸ばす。

白の聖堂に、光が満ちていく。


「今この時より、聖女を――私の娘を自由の身に」


その宣誓は、意味のないものだ。

だが、大司教当人ひいては教会にとっては意味がある。


「さあ、貴女はこれで自由の身です。どうか、貴女の道行きに幸多からんことを」


「……本当に、ありがとうございました大司教様」


少女は、女性の手を引いて大司教へと背を向けて歩き出す。

窓から差し込む光は、まるで彼女たちの門出を祝福しているかのようだ。


「————」


遠ざかっていく少女を見て大司教は、大きく目を見開く。

涙さえ目の端に浮かべながら、笑う。


「ええ、貴女は本当に、大きくなりました」


教典を握りしめ、もう聞こえない距離にいる少女に語り掛ける。


「いってらっしゃい、アーテ――アテルラナ」


―――――――――――

――――――――

――――――


魔王は倒された。

それを成したのは、今も姿を現さない勇者だ。


一体、どこの誰が勇者なのか?

その答えを知るものは、誰もいない。


いや、いたわ、二名。


「それで、どうでしたか、オルナ様?」


「いやー、やっぱ緊張したな—!」


馬車に揺られながら。

少女——アーテから尋ねられた俺は、先程教会の大聖堂で出会った大司教を思い出して、快活に笑う。


「息が詰まりそうになる、って言うのかな?とにかくそんな感じだったよ」


肩まで伸びた鮮やかな赤髪が風に揺られて顔に当たる。

それを察したアーテが、ごくごく自然な動作で髪を結ってくれる。


「ふふ、私も最初は苦手でしたよ。さすがに何度も通っていたら慣れましたが」


「だよなー」


オルナは馬車の中で足をバタバタさせている。

アーテはそんなオルナの様子を微笑みながら見ていた。


隣で。


「ところで、さ?」


「なんでしょうか?」


「近くない?あとなんで隣に座ってるの?こういうときって対面じゃないの?」


「ふふ、可笑しなことを言いますね」


「いや全然おかしくないと思うんだけど」


そう言ったものの、アーテは距離を詰めてくる。

吐息がかかるほどに、彼女の長い銀髪がかかるほどに。


オルナは少し腰を浮かせて距離を取る。

アーテはそれに吸い付くように動きを合わせ、距離を潰す。


「…………」


「…………」


沈黙が流れる。

距離に関しては、諦めることにした。


話題を変えよう。


「ねえ、アーテ。俺に付いて来て、本当に良かったのかい。本来ならこれからは、聖女として豪華な生活が待っていたのに」


なんとない話題。

世間話程度の思い付きだった。


「どうしてそんなことを言うのですか?」


「へ」


「私は貴方の足手まといですか?貴方と共に歩むことさえ許されないのですか?どうしてあなたはいつもそうなのですか?少しでも私に手伝わせてください。お願いですから。今度こそ私は貴方の隣にいたいのです。そう、どんな時だってどんな状況どんな場所であっても」


仄暗い目で、俺を見る。

端的に言って、めちゃくちゃ怖い。


「……失礼、取り乱しました」


アーテは口元に手を当てて、目を伏せる。

俺は内心冷や汗を掻く思いをしながらも、アーテを窺う。


彼女は、じっ、とこちらを見つめている。

それがより恐ろしさを感じさせている。


アーテとは、長い付き合いだ。

だがしかし、最近のアーテは変わってしまった。


昔のアーテは、庶民が想像するいいところのお嬢様のような嫋やかさがあったが、今はなんというか……。


そう、恐ろしさがあるのだ。

豹変したかのように、目が虚ろに、仄暗くなる。


どうしてそうなったのか、皆目俺には見当がつかない。


「——なあ、お客さん?」


その時、俺に救いの手が差し伸べられた。

馬を引いている御者だ。


視界が遮られているせいで、彼はこちらの状況を知る由もない。


「ど、どうした!?」


「お、おう、いや……ただの世間話なんだが」


御者は、陽気に言う。


「——今も姿を現さない勇者様ってのは、一体どんな人なんだろうな、ってね」


「——っ!?」


アーテが分かったことがある。

彼女は、【勇者】というワードを聞くと、先程のように豹変してしまう。


「……いやー、案外皆が思うような素晴らしいひとじゃないかもしれないよ?」


俺は片手でアーテの肩を押さえる。

虚ろな目でこちらをみるアーテに、首を横に振って答える。


「だから姿を隠しているし、逃げているんだ」


「?こうして?」


「ああいや、なんでもないよ。ただ、言えることは――」


隙間から、強い風が吹く。

笑みが崩れる。


「——勇者は現れない」


魔王は死んだ。

一人の勇者と聖女によって討たれた。


だがその勇者たちは、決して姿を現すことはない。

現したとて、それが勇者として認められることはないだろう。


「勇者は、恥ずかしがり屋なのさ」


この世で、二人しか知らない勇者の名は。

オルナ。オルナバス。


そして聖女の名はアテルラナ。

二人は、魔王を討った者たちである。


勇者は名を変え、性別すらを偽った。

得られるはずであった栄光栄誉を手放し、旅に出た。


それら全て、目立ちたくないからにすぎない。


だのに。


「オルナ様オルナ様オルナ様オルナ様オルナ様オルナ様申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません愚かな私をお許しください弱い私をお許しください」


めちゃくちゃ病んでいるんですけど……!?

どうすれば良いのこれ!?


あっ、涙まで流し始めたんですけど!?

いたたまれない、いたたまれないんだけど本当にどうすれば良いのさ!?




「——貴方様は、忘れてしまっているのです」




――――――――


本作品を目にしてくれて、ありがとうございます。

続きが気になりましたら、最新話下部にある星とフォローを頂けると幸いです。


ちなみに、今は聖女だけですがゆくゆくは主人公も曇らせます。

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