第3話 ボーダーライン
「なんや、急に仕事の気分やわ」
「……オレも」
レタとミライが、畳の上で柔軟しながらそんな愚痴を零した。
泊まる部屋に戻って来たけど、この後は予約の時間になったら多目的ホールに移動してからライブの打ち合わせだ。
全員揃うタイミングが少ないから、まあ仕方ない。
「まあまあ、今までのだってほとんど案件の動画撮ってたんだから、仕事だよ」
誰よりも忙しいんだろうし、完全にさっきやり取りを始めたことで仕事モードに戻ったらしい。
「俺たちは多目的ホールが使える時間までフリーなんだから、マシだろ」
そう言っている
隙間時間にこうやって叩き込む癖でもないと、正社員で働きながらVtuberとか無理か。
まあ、去年くらいからもう、
俺が通常衣装を着るのは同期との案件か公式関係くらいなのも相まって、
そもそも
配信中の収益は全部オフで、視聴者が広告を見ても
そこまで徹底してるからこそ、たまに
投げ銭と収益のオフは、
こっちが金を受け取らないなら、趣味の範囲で配信してたって問題ない。
……
初期から居て割と自由が利くってのもあるけど、そもそも
カバー曲の歌動画には収益がつかないけど広報にはなるってのと、
広告収益は
それなりの頻度で
「フリーってぇ、
そう言う
「来週から忙しくなりそうだから。システム入れ替えあるんだよ」
「あー。お疲れさまぁ」
フルリモートとはいえ、大企業の情報システム部門なんてフリーランスの俺よりよっぽど忙しいはずだけど、まだ裏方には残ってくれてる。
「そういえば、次回ってそこの二人でガチ曲やるんだ、珍し!」
ミライが柔軟から立ち上がって、
そこの二人っていうのは、
「
魔力が歌に乗りやすい俺や
同期の中で俺とのデュエットが多いレタでさえ、こんな愚痴を零す程度には。
「実質、
そう言うミライとも、ライブで一緒に歌ったことがあるのはノリで押し切る曲だけだ。
いつもなら、
今回の曲は、かっこいい曲にした上で、ダンスに重点を置いた。
「それぇ。ネタで逃げるにしてもさぁ、そんなに種類ないってぇ。かっこいいの見たいとか言われるしぃ……」
彼のライブでの歌は、全部収録だ。
それでやっと、
「
そもそも
ガチ曲を滅多に演らないのには、それなりの理由があるんだけど。
……演者に身体的な事情があるとか。
「耳がもうちょい良ければなぁ。高い音聴こえないのがきっつい」
むしろ、曲あたりの練習量では同期内で一番多いくらいだと思う。
それでも
高い音が特に聴こえないらしいのに、
声質を踏まえた音域に合わせるとあんまり聴こえなくて、聴こえやすい音域まで下げると今度は低い声が出ない。
そんなままならないことがあるかよ。
「そういえば、そうじゃん。……
ミライの早口な言い訳は、分からなくもなかった。
補聴器をつけてさえいれば
……まあ、本当に紙一重だったんだけど。
補聴器を買った時に少し補助金を貰えるけど、障害者手帳の対象者にはならないギリギリのライン。
「
数年間、毎日のように二人で話して、
特に、まとめてスカウトされてからVtuberデビューまでの期間なんて、一日六時間を週五回。
こうやってミライがうっかり忘れかけるほど違和感が薄れているのは、
たまに発音が怪しかったり、語彙が変だったり、声量調整が危うかったりするのも、いちVtuberの個性で飲み込まれる範囲になった。
それでも、義務教育の敗北なんてファンからは言われがちだけど。
レタは外国出身であることを公開出来るけど、
実際のところ、二百年前の価値観で生きてきた奴が数年でスマホを使ってチャットで打ち合わせ出来てるだけでも偉業だ。
念話っていう第三の会話方法が無かったら、正直厳しかったと思う。
魔族特有の、ちょっとした単語や単音、概念だけを相手に伝えるやつ。
例えば、
「自分・名前・『らん』」
って念話が届けば、そいつの名前の音が『らん』だってことは分かる。
「左耳の方がいいんだっけ? よく右側に来るもんな」
「そうだよぉ。補聴器は両耳につけてるけどー、よく聞こえるのは左」
ちょうど最近買い替えたらしい、ピンクゴールド。
「あれ、白いやつは壊れちゃったの?」
色に言及したのは、
「前のやつは八年ちきゃく……八年くらい使ったから、予備にしてる。これ、八十万円もするし」
音環機器製作所の刻印が入った、イヤホンケースみたいなやつ。
昔、俺が買った補聴器だ。
彼は当然、補聴器なんかつけてなかったし、そもそも補聴器という概念自体を知らなかった。
念話でやり取りをする中で、こいつには補聴器が必要だと思った。
軽度難聴ではあるけど、障がい者扱いにならないし、支給もされないんだってさ。
補聴器が必要なら自費で買って、後から補助金の申請をするように言われた。
それが当時の
どうやってやるんだよ、英雄の
一割の正義感と、九割の贖罪、くらいの割合だったと思う。
罪悪感が一番大きくて、ちょっとおかしくなってたのかもしれない。
だって、俺からすれば、
あの衝撃で
俺が
当時はもちろん同じ身体だったから、
だから
気にしなくていいけど、こんなことを個人がやったっていうのは——ほんと、ふざけてる。
半年後に
報奨金百万円から足が出た分、つまり引っ越しの時の細々とした買い物は全部俺個人の金。
「片耳で四十万ってことだよな。オレの知ってる補聴器のグレードだと最高級なんだけど」
ミライがそう言うってことは、
「ああうん。補聴器って魔力でハウリングしやすいから、魔族向けに魔力干渉フィルタのあるモデルじゃないと使えないんだよね僕」
しかも、その日に持って帰れるセミオーダータイプ。
魔族の絶対数が少ない時点で、そのモデルが高くなるのは当然だ。
で、
戦場の英雄扱いされてるんだから、少ない訳ない。
「あー……。
ミライは納得したような声を出してから、俺の方に顔を向けた。
「何年ローンだった?」
「五年」
当時の
詳しい内容までは、伝えてなかったけど。
「
「あー。店主が優しかった。二十万円持って行って、これを頭金にして今日補聴器持ち帰らせてくれって頭下げたら、五年ローンにしなって言ってくれた」
きっとあの店主は、
「二十万、現金で持っていったん!?」
「うん。そしたら、思ってたより高かった」
俺が個人で稼げてたバイト代が、たしか大体二十万円だった。
報奨金のことを俺が言えなかったからか、店主は頭金を丁寧に断った。
ついでに、生活のことも考えるようにという小言をつけて、五年ローンを俺に勧めた。
分割払いの六十回、報奨金が無くても余裕で払える内容だった。
最後の支払が終わったのは、ちょうど俺が
「あん時の
そう言ったのは
当時はまだ俺が
それで、一時期の
ちょうど引っ越したことで、
たぶん、
「危なっかしかったんだもん、
特に最初の方、病院から
食べた経験がありそうなものってことで、老舗の寿司屋に俺の金で連れて行ったこともある。
『俺も食べてるんだから大丈夫』
『味が苦手でも俺が残りを食べるから残していい』
『だから怖がらずに一口食べてみろ』
そんなやり取りを繰り返した名残なのか、
「……ちょ、ごめん、話変える。
しばらく無言だった
「え、ちょっと待って、見るわ」
「ほんまや。さっきの動画、まだ消えてないんか」
スマホで、ログインもせずにSNSを開いた。
『騙してたとか言ってる人いるけど、
ずっと二人でひとりってスタンスだったの、ちゃんと見てたら分かるはず。』
『いやこれ、普通に詐欺じゃん?
って言おうと思ったけどあいつ投げ銭無かったわ。
でもなんかモヤる。』
『双子説が今さらトレンド入りしてるの、古参的にはちょっと不思議。ゲームの趣味も、仲いい相手も違うじゃん。』
『
天使衣装の俺を指すそれが、明確に俺個人を指す言葉として使われていた。
双子説動画の転載も確認済み。
あとは、過去に俺が配信で言ったコメントが、
『コメントを画面に出さない理由? 反応できないから。読んでも返せなかったら失礼かなって思ってて』
『だから、基本はコメントの読み上げとかもしないつもりです』
双子説の前提として切り抜いた上で、それでも
「コメントなぁ……。一旦保留にしときたい。
同期全員と一緒に居ることが知られている今、何かのアクションを取りたくなかった。
今日は同期全員で旅行だから配信休みってことは、各自が事前に配信内で伝えてる。
その上で、
レタは元々あんまりSNS更新をしない方だから同じタイミングのそれだけ、ミライと
夜にワンコーラスひとつあげようかと思ってたから。
一旦お預けかな、これは。
「……いや、今は俺も、様子見でいいと思う。荒れてはないし」
「収益つけてないのが、うまいこと盾になったね。たまに確認するようにしとく」
二年前くらいから、
ここ数ヶ月はもう、代打じゃなくて俺に対してコラボの依頼が来る。
「双子説って今更言われても、そもそも最近は
俺が案件や、事務所からの指定、コラボ相手のリクエストなんかで通常衣装を着てる時に、
そりゃあ、案件やそんなにコラボしたことない相手と話してたら、いつもの配信よりテンションは下がるだろ。
「
「あー……。まあ、最近ほとんど俺がやってるけど……いいの?」
「
たぶん
それくらい、躊躇がなかった。
そして、特に俺が何か新しくやることなんて思い浮かばなかった。
強いて言うなら配信での収益を切ってるのは、
「ん、分かった。……預かるわ」
ついさっきまでと今で、俺の
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