第3話 ボーダーライン

「なんや、急に仕事の気分やわ」

「……オレも」

 レタとミライが、畳の上で柔軟しながらそんな愚痴を零した。

 泊まる部屋に戻って来たけど、この後は予約の時間になったら多目的ホールに移動してからライブの打ち合わせだ。

 全員揃うタイミングが少ないから、まあ仕方ない。


「まあまあ、今までのだってほとんど案件の動画撮ってたんだから、仕事だよ」

 紗鳥さとりは苦笑しながら、また何かを描いている。

 誰よりも忙しいんだろうし、完全にさっきやり取りを始めたことで仕事モードに戻ったらしい。

「俺たちは多目的ホールが使える時間までフリーなんだから、マシだろ」

 そう言っているあまねは、ノートパソコンを開いてダンス動画を眺めている。


 隙間時間にこうやって叩き込む癖でもないと、正社員で働きながらVtuberとか無理か。

 まあ、去年くらいからもう、あまねの配信頻度なんて平均すると月一回くらいだけど。

 雨音あまねカモの最近上げた歌のほとんどが、俺のソロだし。


 あまねは、仕事が忙しくないんだろう時期の金曜日なんかに、同期の誰かとコラボするだけ。

 俺が通常衣装を着るのは同期との案件か公式関係くらいなのも相まって、雨音あまねカモはたぶん新衣装をかなり気に入ってる奴に見えてる。


 そもそも雨音あまねカモは同期全員参加じゃないと案件を受けないし、ライブか案件か周年じゃないとグッズも出さないし、活動のメインは歌で、それも全部ネットから無料で聴ける。

 配信中の収益は全部オフで、視聴者が広告を見ても雨音あまねカモに金は入らないし、投げ銭もメンバーシップも存在しない。

 そこまで徹底してるからこそ、たまにあまねが配信する時にコメントを表示さえせずにほぼ無言で同期とコラボしてても、特に荒れないんだと思う。

 

 投げ銭と収益のオフは、あまねがコメントを読めないのとか、お礼を都度言えないのを気にしたからだし。

 こっちが金を受け取らないなら、趣味の範囲で配信してたって問題ない。


 ……雨音あまねカモだからこそ、出来る活動内容だとは思ってる。

 初期から居て割と自由が利くってのもあるけど、そもそも雨音あまねカモに求められてたのは、顔を出さないシンガーソングライターとしてのVtuberだったから。


 カバー曲の歌動画には収益がつかないけど広報にはなるってのと、雨音あまねカモの無収益配信が同じ扱いってこと。

 雨音あまねカモが受け取ってる広告収益は、歌動画のものだけだ。

 広告収益はあまねと俺で折半して、俺はあと楽曲提供とか、ミックスとか、裏でのコンポーザーを中心に稼いでる。

 それなりの頻度で雨音あまねカモとしてクレジットにも出してもらえるから、一石二鳥だ。


「フリーってぇ、あまねはもう仕事してくれてるじゃん」

 あまねが見ているのは、らんと俺がライブで踊る予定の曲だ。

 そう言うらんも、あまねの横で振り付けを小さく真似ている。

「来週から忙しくなりそうだから。システム入れ替えあるんだよ」

「あー。お疲れさまぁ」

 あまねはいつも、雨音あまねカモのパートとらんのパートの両方を覚えてる。

 フルリモートとはいえ、大企業の情報システム部門なんてフリーランスの俺よりよっぽど忙しいはずだけど、まだ裏方には残ってくれてる。


「そういえば、次回ってそこの二人でガチ曲やるんだ、珍し!」

 ミライが柔軟から立ち上がって、あまねのパソコンを後ろから覗き込んだ。

 そこの二人っていうのは、雨音あまねカモと馬酔木濫あせびらん――つまり俺とらんだ。

雨音あまねカモとガチ歌で並ぶの、しょーみきついねんな。俺そこまで歌えへんって」

 魔力が歌に乗りやすい俺やあまねの癖も相まって、相当やりにくいらしい。

 同期の中で俺とのデュエットが多いレタでさえ、こんな愚痴を零す程度には。


「実質、雨音あまねカモだけプロ二人の歌唱チームじゃん。ガチ曲はきびしいよ」

 そう言うミライとも、ライブで一緒に歌ったことがあるのはノリで押し切る曲だけだ。

 いつもなら、らんと俺がやる曲だって、サングラスをかけるようなネタ曲。

 今回の曲は、かっこいい曲にした上で、ダンスに重点を置いた。

 らんと俺で歌う以上、どう考えたって歌を中心にするわけにはいかない。


「それぇ。ネタで逃げるにしてもさぁ、そんなに種類ないってぇ。かっこいいの見たいとか言われるしぃ……」

 らんは深々と溜息を吐いて、両足を抱えた。

 彼のライブでの歌は、全部収録だ。

 らんはダンスだけに注力して、あまねが目の前でらんにダンスの手本を見せる。

 それでやっと、らんのライブパフォーマンスは成り立ってるっていうのに。


らん、ガチ曲の要望よう見るもんな。こっちの事情も知らん癖になぁ」

 そもそもらんは歌もダンスも珍しいから、視聴者側の気持ちは分からなくもない。

 ガチ曲を滅多に演らないのには、それなりの理由があるんだけど。

 ……演者に身体的な事情があるとか。


「耳がもうちょい良ければなぁ。高い音聴こえないのがきっつい」

 らんが努力してない訳じゃない。

 むしろ、曲あたりの練習量では同期内で一番多いくらいだと思う。


 それでもらんのパフォーマンスが愛嬌で誤魔化す方向になりがちなのは、らんの耳が悪いから。

 高い音が特に聴こえないらしいのに、らんの声質は男性の中では高めだ。

 声質を踏まえた音域に合わせるとあんまり聴こえなくて、聴こえやすい音域まで下げると今度は低い声が出ない。

 そんなままならないことがあるかよ。


「そういえば、そうじゃん。……らん、普通に話してるし補聴器も見えないから、うっかり忘れそうになるんだよね、らんの耳がかなり悪いの」

 ミライの早口な言い訳は、分からなくもなかった。

 補聴器をつけてさえいればらんは結構スムーズに会話出来るし、紗鳥さとりあまねみたいに障害者手帳が降りているわけでもない。

 ……まあ、本当に紙一重だったんだけど。

 補聴器を買った時に少し補助金を貰えるけど、障害者手帳の対象者にはならないギリギリのライン。


えにしが、鍛えてくれたからねぇ」

 数年間、毎日のように二人で話して、らんの発音や語彙をひたすら修正し続けた。

 特に、まとめてスカウトされてからVtuberデビューまでの期間なんて、一日六時間を週五回。

 こうやってミライがうっかり忘れかけるほど違和感が薄れているのは、らんの努力の賜物だ。

 たまに発音が怪しかったり、語彙が変だったり、声量調整が危うかったりするのも、いちVtuberの個性で飲み込まれる範囲になった。


 それでも、義務教育の敗北なんてファンからは言われがちだけど。

 レタは外国出身であることを公開出来るけど、らんはそういうわけにもいかない。

 実際のところ、二百年前の価値観で生きてきた奴が数年でスマホを使ってチャットで打ち合わせ出来てるだけでも偉業だ。


 念話っていう第三の会話方法が無かったら、正直厳しかったと思う。

 魔族特有の、ちょっとした単語や単音、概念だけを相手に伝えるやつ。

 例えば、

「自分・名前・『らん』」

 って念話が届けば、そいつの名前の音が『らん』だってことは分かる。


「左耳の方がいいんだっけ? よく右側に来るもんな」

「そうだよぉ。補聴器は両耳につけてるけどー、よく聞こえるのは左」

 らんは、補聴器がよく見えるように、髪を持ち上げた。

 ちょうど最近買い替えたらしい、ピンクゴールド。

「あれ、白いやつは壊れちゃったの?」

 色に言及したのは、紗鳥さとりだった。

「前のやつは八年ちきゃく……八年くらい使ったから、予備にしてる。これ、八十万円もするし」

 らんはそう言って、ポケットから白いケースを取り出した。

 音環機器製作所の刻印が入った、イヤホンケースみたいなやつ。

 昔、俺が買った補聴器だ。


 らんしんの中から出てきたのは、八年前。

 らんしんの中に居たのは、二百年間。

 彼は当然、補聴器なんかつけてなかったし、そもそも補聴器という概念自体を知らなかった。

 念話でやり取りをする中で、こいつには補聴器が必要だと思った。


 らんは一か月くらい入院してたから、その中で耳の検査だってされてた。

 軽度難聴ではあるけど、障がい者扱いにならないし、支給もされないんだってさ。

 補聴器が必要なら自費で買って、後から補助金の申請をするように言われた。

 それが当時のらんに出来るわけないことなんて、それを言った医者にだって分かってただろうに。

 どうやってやるんだよ、英雄の馬酔木藍水ませぼらんすいだってことにも気づかれてなくて、当時は頼る先もなくて、念話でしか話せない、しかも一般常識が二百年前で止まってたやつが。


 一割の正義感と、九割の贖罪、くらいの割合だったと思う。

 罪悪感が一番大きくて、ちょっとおかしくなってたのかもしれない。

 だって、俺からすれば、らんしんごと攻撃魔術で殺しかけたのに。

 しんの中に人が居るなんて思ってなかった、生きてるとはもっと思ってなかった。

 あの衝撃でらんが神から出てきて目覚めたのは、ただの偶然だ。


 俺がらんを殺しかけたその事件で、犯人確保の報奨金が百万円出るって分かってたから、特に俺に迷いはなかった。

 当時はもちろん同じ身体だったから、あまねには許可を取ってた。

 らんも一緒に捕まえたし、あまね曰く犯人を拘束したのはらんの魔術らしいから、あれはらんの金だ。

 だかららんは気にしなくていい。

 気にしなくていいけど、こんなことを個人がやったっていうのは——ほんと、ふざけてる。


 半年後にらんが寮から逃げたいって言った時に、今のマンションを契約して家具付き物件の敷金二十万円を払ったのも俺だ。

 らんの性格からして、馬酔木あせび寮で英雄様として扱われるのは、相当居心地が悪かったらしい。

 報奨金百万円から足が出た分、つまり引っ越しの時の細々とした買い物は全部俺個人の金。


「片耳で四十万ってことだよな。オレの知ってる補聴器のグレードだと最高級なんだけど」

 ミライがそう言うってことは、人間ひとまの補聴器もそれくらいの価格なのか。

「ああうん。補聴器って魔力でハウリングしやすいから、魔族向けに魔力干渉フィルタのあるモデルじゃないと使えないんだよね僕」

 しかも、その日に持って帰れるセミオーダータイプ。

 魔族の絶対数が少ない時点で、そのモデルが高くなるのは当然だ。

 で、らんの魔力が多いのは間違いない。

 戦場の英雄扱いされてるんだから、少ない訳ない。

 

「あー……。らん、魔力多い方だもんね」

 ミライは納得したような声を出してから、俺の方に顔を向けた。

「何年ローンだった?」

「五年」

 当時のらんが契約出来るわけないから、俺が契約をしたことまでは同期の全員が知ってる。

 詳しい内容までは、伝えてなかったけど。


らんが使ってるとこってあのちっさい店、音環機器製作所やろ。よう五年ローンなんか通したな」

「あー。店主が優しかった。二十万円持って行って、これを頭金にして今日補聴器持ち帰らせてくれって頭下げたら、五年ローンにしなって言ってくれた」

 きっとあの店主は、らんみたいに紙一重の対象外になって困り果てた人を何人も見てきたんだろう。


「二十万、現金で持っていったん!?」

「うん。そしたら、思ってたより高かった」

 俺が個人で稼げてたバイト代が、たしか大体二十万円だった。

 報奨金のことを俺が言えなかったからか、店主は頭金を丁寧に断った。

 ついでに、生活のことも考えるようにという小言をつけて、五年ローンを俺に勧めた。

 分割払いの六十回、報奨金が無くても余裕で払える内容だった。

 最後の支払が終わったのは、ちょうど俺があまねから分離した日だ。


「あん時のえにし、本当にらんに付きっきりだったもんね」

 そう言ったのは紗鳥さとりだった。

 当時はまだ俺があまねと分離してなかったから、俺がらんを構いにいくと、紗鳥さとりあまねと連絡を取れなくなる。

 それで、一時期の紗鳥さとりは結構機嫌が悪かった。


 ちょうど引っ越したことで、紗鳥さとりは自力でトイレに行けるようになってたから、あまねが居なきゃいけない頻度が下がってたのも、もちろんあるけど。

 たぶん、あまねと俺が別個体になったことで、一番喜んでるのは紗鳥さとりだと思う。


「危なっかしかったんだもん、らん。初期なんか、見覚えのないものは俺が先に食べるまで食わなかったし」

 特に最初の方、病院かららんを外出させた時に何を食わせるかは難題だった。

 食べた経験がありそうなものってことで、老舗の寿司屋に俺の金で連れて行ったこともある。

 らんが食えるなら、なんでもよかった。


『俺も食べてるんだから大丈夫』

『味が苦手でも俺が残りを食べるから残していい』

『だから怖がらずに一口食べてみろ』

 そんなやり取りを繰り返した名残なのか、らんはそれからも食べ物をすぐ俺と分けようとしてきた。


「……ちょ、ごめん、話変える。雨音あまねカモ、トレンドに出ちゃってる。えにし、どうする? なんかコメント出す?」

 しばらく無言だったあまねが、深々と溜息を吐いた。

「え、ちょっと待って、見るわ」

「ほんまや。さっきの動画、まだ消えてないんか」

 スマホで、ログインもせずにSNSを開いた。

 雨音あまねカモと双子説が、見事にトレンド入りしてる。


『騙してたとか言ってる人いるけど、雨音あまねくんの一曲目、双子の歌だよ?

 ずっと二人でひとりってスタンスだったの、ちゃんと見てたら分かるはず。』


『いやこれ、普通に詐欺じゃん?

 雨音あまねカモが一人だと思ってた人の投げ銭は返金レベルじゃね?

 って言おうと思ったけどあいつ投げ銭無かったわ。

 でもなんかモヤる。』


『双子説が今さらトレンド入りしてるの、古参的にはちょっと不思議。ゲームの趣味も、仲いい相手も違うじゃん。』


雨音あまねくん:滅多に出てこない。夜中にさとりくんとゲームコラボしてることが多い。たぶんコメント見てない。歌担当っぽい。

 天音あまねくん:去年からは新衣装しか着てなさそう。らんくんと仲良し。配信担当っぽい。』


 天音あまねくん。

 天使衣装の俺を指すそれが、明確に俺個人を指す言葉として使われていた。


 双子説動画の転載も確認済み。

 あとは、過去に俺が配信で言ったコメントが、あまねの発言と取り違えられて根拠として切り抜かれている。


『コメントを画面に出さない理由?  反応できないから。読んでも返せなかったら失礼かなって思ってて』

『だから、基本はコメントの読み上げとかもしないつもりです』


 双子説の前提として切り抜いた上で、それでもあまねと俺を間違えてるんだから、結局衣装かテンションくらいでしか見分けられてないんじゃん。


「コメントなぁ……。一旦保留にしときたい。あまねはなんか言いたい?」

 同期全員と一緒に居ることが知られている今、何かのアクションを取りたくなかった。

 今日は同期全員で旅行だから配信休みってことは、各自が事前に配信内で伝えてる。

 その上で、雨音あまねカモを含む全員が、同じ時間帯に「いってきます」みたいな投稿もしてる。


 レタは元々あんまりSNS更新をしない方だから同じタイミングのそれだけ、ミライとらんはそのタイミングで今日の更新がない旨を書いてて、紗鳥さとりは約一時間前に絵を上げた時にまた明日って書いてる。

 雨音あまねカモは、いってきますって発言のみ。

 夜にワンコーラスひとつあげようかと思ってたから。

 一旦お預けかな、これは。


「……いや、今は俺も、様子見でいいと思う。荒れてはないし」

「収益つけてないのが、うまいこと盾になったね。たまに確認するようにしとく」


 あまねの仕事が忙しくなって、配信も歌も雨音あまねカモのほとんどが俺になりつつあるから、最終決定権も当然俺だ。


 二年前くらいから、あまねの残業が増えたと同時に、夜のコラボ配信で俺があまねの代打をすることが増えた。

 ここ数ヶ月はもう、代打じゃなくて俺に対してコラボの依頼が来る。


「双子説って今更言われても、そもそも最近はあまねほとんど居ねえじゃん。なぁ?」

 俺が案件や、事務所からの指定、コラボ相手のリクエストなんかで通常衣装を着てる時に、あまねが出てるって勘違いされてるらしい。

 そりゃあ、案件やそんなにコラボしたことない相手と話してたら、いつもの配信よりテンションは下がるだろ。


えにしが大丈夫そうなら、俺、雨音あまねカモをえにしにあげたいんだけど。そうすれば、そのうち双子説も自然と消えるだろ」

「あー……。まあ、最近ほとんど俺がやってるけど……いいの?」

えにしがひとりで大丈夫なら、頼みたい。同じ部署の人が転職しちゃって、俺来月から社内案件のプロジェクトリーダーなんだよね。中途半端に続けるのもアレだろ。別に歌いたかったらカラオケ行くし、裏方としてライブの時は手伝うよ」


 たぶんあまねは、一年以上前から考えてたんだろう。

 それくらい、躊躇がなかった。

 そして、特に俺が何か新しくやることなんて思い浮かばなかった。

 強いて言うなら配信での収益を切ってるのは、あまねがコメントや投げ銭に反応出来ないからってだけだったけど、別に今さらスタイルを変えたくもないしな。


「ん、分かった。……預かるわ」

 ついさっきまでと今で、俺の雨音あまねカモとしての役目になんの違いもない。

 あまねが、雨音あまねカモとして使っていたアカウントから退出したってだけ。

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