第11話 眠る兄へ
「ひと騒ぎ、あったようだな」
細められるのは艶やかな金色の瞳。長い白雪の髪に、白の着物を纏う佳人が、訳知り顔で千依たちを見上げてきた。彼女は、千依の兄のツガイとなった妖だ。眠る兄を傍らで見守りながら、自身も満足に動かぬその身を休めている。
「
優しく金色の視線が振り向くのは、傍らに横たえられて眠る彼女のツガイ――千依の兄だ。どことなく千依と似通った凛とした顔かたち。柔らかに額にかかる短い黒髪を、白い指先が愛おしげになでる。綺麗に整えられた布団は乱れひとつなく、身じろぎひとつない覚めぬ眠りが、兄の身体をずっと縛め続けていることを伝えていた。
「鈴を受け取りに来ると思っていたが、どうやらそれは不要になったらしいな」
「使い込まれ、霊具として研ぎ澄まされたよい鈴だ。そなたの身をよく守ってくれもするだろう。誰からもらい受けたかは知らぬが、そやつはよほど、そなたのことを大事にしたいようだ」
からからと、見目よりずっと豪快に笑う口元に赤い舌がのぞく。真白に包まれた身の内で、それはひと際鮮やかに映えて見えた。
「はいはい、ミモロ。無駄話はいいから。鈴の件は片がついてるんだから、君の役目はおしまい。千依はここに、兄君への出立の挨拶をしにきたんだよ。兄妹水入らず……席を外そうとか思わないわけ?」
「イツヒ、私は別にミモロ姉さんにいてもらってもいいんだけど」
「イツヒ? そなた、イツヒと名乗ったのか」
面倒げに割っていったイツヒを千依が嗜めれば、ミモロはその金色の目を瞬かせた。どう見ても以前からの知り合いであるようだから、ミモロはイツヒの本当の名を知っているのだろう。
「そうかそうか、イツヒ、な。ならば私もそう呼ぼう。いやしかし、捻りのない」
「そんなもの捻ってどうするんだよ。君こそ、千依に姉さんなんて呼ばせてるの? いくら義姉弟の契りをツガイ契約に選んだからって、千依まで巻き込むなんて相変わらず我の強い……」
おかしげに戯れかかるミモロに、鬱陶しそうにイツヒは柳眉を寄せた。千依が初めて見る、取り繕いの欠片もない、露骨に嫌そうな顔だ。
「ほら、とっとと行くよ。動けないなら引っ掴んでいってさし上げましょうか?
「断ろう。その細腕を折るのは忍びない。天狗もどきの力はいらぬよ。そなたに姉と呼ばれる筋合いもない。仮初めの夫の身分で図々しいことだのぉ」
「むしろ天狗の方がもどきでしょうが。あっちが俺たちの姿から着想を得て生まれた妖怪だよ。あと、いやなら千依の姉名乗るのやめたら?」
立ち上がる気配を見せないミモロの腕をとって、イツヒは障子戸の方へと引っ張り寄せる。それに「短気な奴だ」と呆れた様でミモロは重い腰を上げた。千依を蚊帳の外に進む会話は、ずいぶん遠慮のない、気心知れた距離感だ。互いの事情も既知のことらしい。知り合い以上に、相当に親しい仲なのではないだろうか。
「妹御、この三日こやつにかかりきりで、時也の元に来るのも久方ぶりであろう。よく声を聞かせてやってくれ。時也も喜ぶ」
そう千依へ笑いかけながら、ミモロは半ばイツヒに引きずられて、彼と部屋を辞していった。
ぽつんと取り残されて、眠る兄と向き合った千依は、どこかきまり悪く笑う。
「兄さん、その……」
上手く、言葉が紡げない。不可思議なものだと自分でも首を捻る。伝えたいと思っていたことが溢れていたはずなのだが。ツガイを得たこと。おかげで虚祝として力を揮えたこと。だから、兄のために戦えるようになったということ。
なのに、なによりも先に千依の胸裏からこぼれ落ちたのは――
「ねぇ、兄さん。あのふたり、すごく仲が良さそうだったね」
微笑んだはずなのに口にした瞬間、ずいぶんざらりとした感覚が胸にわだかまって、千依は戸惑った。眠る吐息も返らぬ静寂は、その動揺になにも応えてはくれない。
居心地の悪い、ぬるい棘の刺さったような感覚。席を外したふたりのことがどうしてこんなにも気にかかるのか、千依には分からなかった。そんな理由、千依にはないはずなのだから。
無意識の動きが、左薬指を辿る。たったひとつしかない、いつか消える夫婦の契りの痕をなぞって、「なんか変だね、私」と、千依は兄へ小さく苦笑した。
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