第6話「好き」
「だったら、活動しよ?」
次は何を食べるかと尋ねられてるくらい、気楽に、気軽に投げかけられた言葉。
深く考えたら言葉に詰まると思って、俺はまたいい子ちゃんの回答を用意する。
「やりたいんだけどなー」
怖い。
この、怖いって感情を口にできないのが、かなり辛い。
「気持ちだけはあるんだけど……」
もっと年齢に相応しい生き方ができたらなと思うことだってある。
だけど、今更それができないから苦しい。
「ファン、待ってるよ」
目を見開いて、
普段は表情が動かないからこそ、未来に期待しかないって表情を魅せたときの効果は抜群だと思った。
「……ありがとな」
精いっぱいの力を込めて、握り拳を作ってみる。
自分が本気で力を出したところで、鍛えてもいない俺の握り拳には限界があるだろうけど。
「……美紅にやる気があっても、俺は美紅の夢を叶えられないかもしれない」
美紅は、俺が作詞作曲家として成功を収めたときのことを知っている。
相方の彩星を失って、GLITTER BELLの活動自体が停滞していることも知っている。
成功も、停止している時間も、どちらも知っている美紅。
「私、
せっかく空気は乱れることなく終わりそうだったのに、俺にいつもの調子が戻らないから美紅は俺に声をかけることをやめない。
「私は、自分と、郁登さんの夢を叶えたいだけ」
心の中の、歪んでドロッドロの薄汚い感情が綺麗さを帯び始める。
「見返りなんて求めてないよ」
夢って、未来への希望や展望って、本当は綺麗なものだったってことを美紅は教えてくれる。
「ただ単純に、好きってだけ」
毎日毎日、眠る暇も惜しますに何かしらの曲を書いてきた。毎日曲を書き続けてきた。
俺がやってきたことを努力と呼ぶなんておこがましいのかもしれないけど、一応は努力に努力を重ねてきた。
だからこそアニメ・ゲーム業界で必要とされるだけの力を手に入れたけど、待っていた未来はボーカルを失った未来。
「郁登さんは?」
人生が、理想としていたものとは別になるのは当たり前。
「アニソン、好き?」
全員が全員、描いていた夢を実現できるわけがないってことは知っている。
まだ高校三年っていう年齢だけど、そういう現実を知っている。
「ゲームの主題歌、好き?」
俺たちが目指している業界だけが、特別厳しい倍率ってわけではない。
だけど、現実はあまりにも厳しくて狭くて酷なものだと感じてしまう。
「その気持ちが、郁登さんにあると思ったから」
頭では理解しているけど、実際には受け入れたくない現実はたくさんある。
自分の思い描いたままの人生を送ることのできる人もいるけど、そうじゃない人の方が断然に多い。
「私は、我慢することをやめたんだよ」
認めたくない現実にぶつかるってことは、自分が理想としていた人生を歩むことができていないっていう何よりの証拠。
「悪い、美紅」
「あ、やっぱり不採用かー……」
「俺」
俺だって、これから先、順風満帆な生活を送ることは十分に可能なはずなのに。
まだ、可能性を否定してしまうには早すぎる段階だって分かっているのに、ただただ辛い。
誰からも必要とされていないんだって現状を抱えていくのが、ただただ苦しい。
「俺、アニソンが好きで、この業界に飛び込んだこと……忘れてた」
だけど、今は自分の夢に蓋をしている場合じゃない。
夢が定まっている人たちの前だから、自分の醜態を晒してしまうのはかっこ悪い。
どんなことでも受け止めますよって雰囲気の美紅を前にしているから、俺は尚更かっこつけられるようになりたいのかもしれない。
「必要とされるか、不安だった」
俺に何かがあったときに、真っ先に手を差し伸べてくれる大切な仲間彩星に出会うことができた。
「でも、不安になる前にやることがあった」
俺が誤った方向に進みそうになったときに、ちゃんと叱って導いてくれる
「自分の好きって気持ちを、業界にぶつけるってこと」
俺と一緒に、嬉しいって感情。楽しいって感情。苛っとしたときの感情。悲しいって感情。幸せだーって感情。
そんなたくさんの感情を共有してくれる、大切な仲間に出会うことができた。だからこそ俺は、仲間と過ごした大好きな世界で生きていきたい。
「ファンを笑顔にするために活動がしたい」
ファンを笑顔にする、だって。
気持ちは本物のはずなのに、いざ言葉にすると恥ずかしさが込み上げてくる。
だけど、こういう感情も全部自分の一部だって思えると、こうも愛おしくなってしまう。
「美紅」
気のせいかな。
美紅の表情に、色が増した気がする。
色が増したって表現も変かもしれないけど、それはそれでいいなって思う。
「協力してほしい」
美紅の、綺麗な表情に会えた。
どこか違和感を抱いてしまうような、そんな美紅の表情じゃない。
夢を叶える覚悟の決まった、綺麗すぎる美紅が戻ってきてくれた気がする。
「アニソンで、世界中の人たちを魅了したい」
心に、彩星と活動していたときに感じていた穏やかさが戻ってくる。
「私も、郁登さんと一緒に頑張る」
美紅が笑ってくれた。
この気持ちだけは、未来永劫変わらないと思う。
GLITTER BELLのファンの笑顔を守る力を手に入れたいって気持ちだけは、これからも絶対に守っていきたい。
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