第3話「重い」

(音楽に対して、あんなに夢中になった時間があったんだけどな……)


 こういうのを、燃え尽き症候群というのかもしれない。

 あのときの気持ちを取り返したい。

 大好きな、大好きな世界を取り戻しにいきたい。


(今日は、水曜日……)


 音楽を作りたい。

 でも、書けない。

 音楽を作りたい。

 でも、手が震える。

 俺が楽譜を書いたって、ボーカルを失ったGLITTER BELLグリッターベルにどれだけの価値があるのかって考えるだけでも怖くなる。

 好きなものに、好きなだけ取り組んできた、あれらの時間が戻ってこないからこそ、怖くなる。


(インプットはしたい……)


 時間をかけてはいるものの、書きたい音楽は一向に書き終わらない。

 明らかに、昔とはペースが違うことを思い知らされる。

 でも、書きたい。

 音を表現したくて堪らない気持ちは、俺の中で収まることの意味を知らない。

 でも、需要がないって判断を下されるのは、本気で怖い。


(プロとして食べていける確率は、どんくらいあるんだろ)


 進路を決める高校三年という特有の時期だからかもしれないが、放課後になっても答えが出なさそうな考えにずっと囚われている。


「…………」


 今日は水曜日ということもあって、アニメショップに新曲が並ぶ日でもある。

 気分転換の意味を込めて買い物に行こうと街を歩いてみるけど、ふと街を行き交う大人たちの表情が気になった。


(俺と、すれ違っていく大人たちは……)


 毎日が楽しくてしょうがないといった雰囲気の大人や、憂鬱そうな顔をしている大人。

 日が昇って沈んでっていう現象が当たり前に起きるように、生きていくのは義務のようなものだと何も感じていなさそうな人もいる。


(学生時代に抱いていた夢を、どれだけ叶えることができたんだろ……)


 一人一人に街頭インタビューなんてことをやるわけにもいかず。

 全員が全員、望む夢を叶えてほしいという願いはあっても、その願いが叶えられる可能性はかなり低いってことを高校三年という年齢で知ってしまった。


(諦めたくない……誰だって、諦めたくないに決まって……)


 望む夢を叶えるための専門学校や大学を出れば、誰もが希望する職業に就ける。

 そんなものは大きな嘘だって、大人たちは理解をしている。

 誰もが、そんな過酷な現実を理解して夢を追いかけているはずなのに、いざ現実ってものに立ち返ると心にもやもやとした謎の物体があることに気づく。

 その、もやっとしたもののおかげで上手く生きることができない人はきっと大勢いる。


(さっさと買い物済ませて、曲でも作ろ……)


 昨今は物を持たない生活が主流とは言うが、俺はCDを購入することに今でもこだわっていた。

 配信・サブスク全盛期ということもあって、CDを発売しないアーティストはどんどん増えている。

 それでも、数少ないCDをリリースするアーティストを支援するために今日もアニメショップを訪れる。


(アニメ主題歌のリリースも、だいぶ減ったなー……)


 アニメショップが準備してくれたアニメソング置き場。

 もちろんアニメショップを訪れているわけだから、CDは当たり前のように並んでいる。

 でも、この春に始まったアニメ作品の主題歌の数は想像以上に少ない。


(あ、これ、新曲……)


 古き良きマンガの中で、こんな場面を見かけたことがあるような気がする。

 同時に手を伸ばした結果、多大の手が触れ合うという古典的な展開に俺は遭遇した。


「うわっ、すみません!」


 制服姿の女子高生。

 勉強ができそうな印象を与える眼鏡ではなく、自分を着飾るために眼鏡をかけている。

 それだけ外見に気を遣っているってことが分かるけど、俺とは無縁の世界を生きていそうな綺麗な女子高校生に俺は急いで謝った。


西島にしじま……さん?」


 メッシュを入れた髪が空調の風に揺れ、学校指定の制服を着ているはずの女子高校生は思わず目を止めてしまうくらいの美しさがあった。


「西島……郁登いくとさん……」


 それなのに、随分と声が暗い。

 陽キャラな見た目に反した、ぼそっとした喋りの彼女に俺は名前を呼ばれた。


「はい、西島郁登です……」


 顔を隠すことなくGLITTER BELLとして地元を活性化させるためにイベントへ出ていたせいか、俺は名も知らぬ女子高校生にフルネームで呼ばれる。


「すごっ……本物……」


 言葉では『凄い』と発しているはずなのに、この女子高校生はほとんど表情を変えない。

 顔と声が一致していませんよーなんて、初対面の彼女に申すことすらできない。


「西島さん……買い物?」

「あ、春の新番のアニソンを買おうと思って……」


 相手の年齢は不明。

 でも、俺は高校三年。

 年上の学生服さんが登場するわけ確率は低いと踏んで、なるべく同世代と話をするときのような空気を心がけた。


「一緒」


 生き生きと輝くような彼女の目を、綺麗だと思った。

 ほとんど表情を変えないからこそ、ほんの少し微笑んでくれた瞬間に堪らなく惹かれるものがある。


「俺も、CD……自分の手元に、音楽、置きたいと思ったから」


 彩星も顔がいい方だろうなとは思っていたけど、世の中が綺麗な人で溢れ返っていることに嘆きが生まれる。


(この人の場合は、可愛いって表現の方が合うかも)


 こんなにも綺麗な笑みを浮かべられたら、顔に自信のない俺は今度の人生どう生きていけばいいのか分からない。

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