彼女の事情
帰り道。
電車に揺られながら、
昨夜のことを思い出していた。
人の気配のない、真っ暗な家。
さよならを呟く、沈んだ表情の高森。
「ああ、またな。」としか言えず、
立ち尽くしていた自分。
……そうじゃないだろ?
もっと何か、
言うことがあったんじゃないか?
もっと何か、
できることがあったんじゃないか?
そんなことばかりが、さっきから頭の中をぐるぐると駆け回っていた。
(とは言ってもな……。)
こうして悩んだところで、何か気の利いたことを言ってやれるとも思えない。まして、何かしてやれることなんて、思いつくわけもない。
……って。
そもそも、だ。
何をそんなこと悩んでる?俺。
高森とは最近たまたま知り合って、少しばかり喋るようになったってだけの関係。所詮は他人だ。
なら、別にいいじゃないか。
高森が何に悩んでいようと。
高森の家が真っ暗であろうと。
そもそも昨日、あれだけ気まずい雰囲気だったこともあるし。今日は駐輪場にいない可能性だってあるよな?
そうだ。
その可能性も高いと思う。
だったら、悩んでいても仕方がない。
「よし。」
電車が止まって。ドアが開いて。
それを合図に、俺は席を立った。
◆◇◆◇
(って。普通に居るし……。)
いつもの時間。
いつもの駅。
いつもの駐輪場に。
いつもの顔があった。
「こんばんは。」
「あぁ。」
「じゃ、帰りましょうか……。」
「だな。」
そのまま二人、いつもどおりに自転車を出して。帰り道を歩き出した。
……が。
ダメだ。
やっぱり高森、喋らない。
俺は俺で、昨日と同様。
気の利いた話題の一つも喋れない。
この時ばかりは、こんな自分を自己嫌悪せずにはいられなかった。
「あの。」
「……ん?」
そうして。
そんなこんなを悩んでいると。
先に口を開いたのは、高森の方だった。
「昨日は、ごめんなさい。感じ悪かったですよね。私……。」
違う。そうじゃない。
高森は何も悪くない。
すぐに否定しようとするけど……俺が返事をするより早く、高森が続けた。
「でも、ありがとうございました。何も言わずにいてくれて。」
「……。」
高森は「ありがとう」と言った。
何もしてあげられなかった、俺に。
……胸が苦しくなる。
「悪かったな……。ホントは何か声をかけたかったんだけど。気の利いたことの一つも、言ってやれると良かったんだけど。」
「いえ。何も言わずに寄り添ってもらえて、嬉しかったので。今日もこうして一緒に帰ってくれますし。」
「……そういうもんか?」
「ふふっ。そういうもの、なんです。」
……もし、それが本当なら。高森の「嬉しい」ってのは、随分と安上りだなと思ってしまう。だから多分、俺に気を使って言ってくれたんだろう。きっと。
「折角なので……少し愚痴、言ってもいいですか?昨日のキザなお言葉に甘えて。」
「……いや。最後が一言余計。」
「ふふふっ。」
昨日の俺の「愚痴くらいなら、聞くぞ?」発言、どうやら高森曰く「キザなお言葉」だったらしい。
なるほど、そう言われてみると確かに――
……。
ダメだ。こっ恥ずかしい。
スルーの方向で……。
「で?どうしたんだ?愚痴は。」
「……はい。」
そこで。
俺をまっすぐに捉えていた2つの瞳が、
静かに沈んだ。
「私……母とうまくコミュニケーションが取れないんです。その……別に、病気だとか障害だとか、そういう訳ではないんですけど。何か……反りが合わないというか……。その。」
うまく言葉にできないんだろうか?
珍しく、歯切れの悪い高森。
少しこっちから聞いた方が良いだろうか?
「例えば……。話してるとついケンカ腰になってしまうとか、そういう感じ?」
「……母はそういう感じですね。私は逆に……そんな母と話すのが嫌で、喋れなくなってしまう感じです。」
「そっか。……親父さんとは?」
「父は単身赴任で、家に居ないんです。最近だとお盆に帰ってきてくれましたけど……そんな感じです。」
「単身赴任か……。それはまた大変だな。」
「だから私、最近はずっと母と二人暮らしだったんです。だからずっと息苦しくて。何か……一緒にいることに疲れちゃってて。」
なるほど。
ということは……。
「ひょっとして、放課後に自習室で居残り勉強してるのって、家に帰りたくないから?」
「はい。この前、私……嘘つきましたね。ごめんなさい。」
「……嘘?」
「自習室だと、先生にすぐ聞けるから……とか。いろいろ。」
「いや。そんなの別に謝ることじゃないけど……。ってことは、こんな時間まで駐輪場に居たりするのも?」
「そうですね。家に帰りたくないからでした。少し前までは……。」
「……少し前?」
「実は、父か少し体調を崩してしまって、母もそっちに行ってるんですよ。だから今は、母と顔を合わせることがないんですよね。私。」
「なるほど……。」
昨日。
だいぶ夜遅い時間にも関わらず高森家が真っ暗だったのは、そういう事情だったらしい。
家に誰もいないのなら、その家に明かりが灯っていなくても全く不思議ではない。むしろ至って自然な話だ。
「だから今、やっと落ち着いて過ごせるようになったんです。でも……やっぱり時々は、町内の行事とか、役場での手続きとかで、母が帰ってくることもあって。そういう日は……やっぱり。その……。」
「……ひょっとして、この週末も帰ってきてた?」
「はい。」
なるほど。何だか、これまで謎だった部分が色々と繋がってきた気がした。
つまり。
「その矢先に、俺が親御さんの話題なんて振っちゃった訳か……。」
「……。」
“間が悪い” というのは、まさしくこういうのを言うんだろうな。
たしかに俺は、何か失言をしたとか、そういう訳ではない。でも、触れてほしくない話題に触れてしまった。それは確からしい。
「……ごめんな。」
「そんなっ!謝らないでください!幡豆さんは何も……。」
「それでもさ。触れられたくない話題って、あるものな。誰でも……さ。」
「……。」
高森はそこで一息吐くと。
また視線を遠くへ向けた。
「あの日は……模試が近いことを母も知ってて。だから結構、口うるさく言われたんですよね。」
「……そっか。」
「だから私……もう、うんざりしてて。でも、そんな私の態度が気に入らなかったみたいで、母がさらに口うるさくなって。悪循環ですね……。」
「なるほど……な。」
「そうして日が暮れて、電車の時間が近づいて。時間切れになった母が、やっと出て行ってくれて。それで無事、私は一人に戻れました。」
「なのに俺が、それを蒸し返すような話題を振っちゃった訳か……。」
フルフルと首を振る高森。
「私が勝手に不機嫌になって、幡豆さんに八つ当たりしちゃっただけです。だから、悪いのは私です。」
……そこまで喋ると。
高森は突然、足を止めた。
そこには昨日と同じ。
真っ暗な、高森の家があった。
「今日は本当に……ありがとうございました。色々聞いて貰って、何かスッキリしました。」
「……悪いな。ホントに、ただ聞くことしかできなくて。」
「いえ。」
その一言だけ返すと。
高森は、俺の方へ一歩近づいた。
……色素の薄い瞳に、俺が映っていた。
「最初にも言いましたけど……ホントに嬉しかったんですよ?こんな私に、何も言わずに寄り添ってくれたこと。」
そして、高森は柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございました。」
「……。」
……その笑顔、反則だ。
心臓が高鳴って。
何も言葉が出てこなくて。
視線を逸らすことができない。
そんな笑顔。
「では……。ここで失礼します。」
何も言えなくなっている俺の気持ちを知ってか知らずか。
高森はいつものトーンに戻って、別れを告げた。それでやっと、俺もフリーズ状態を脱した。
「ああ。お疲れさま。また明日な。」
「はい。また明日です。」
軽く頭を下げると、高森はそのまま俺に背を向ける。玄関へ消えていくその背中を見送りながら……俺も自転車を反転させた。
「……。」
脳裏に、先ほどの高森の笑顔が浮かぶ。
途端に胸が高鳴って。
思わず立ち止まる。
(何なんだよ……これ。)
いやいや……。初恋を自覚した男子中学生じゃあるまいし。
女の子の笑顔一つで、
ここまで動揺させられるとは。
我ながら、情けない……。
「はぁ……。」
そこまで自己分析して。
やっと落ち着きを取り戻せた。
……そう。俺は、ちょっとした愚痴を聞いてやっただけ。近くに居る大人として、悩んでいる子に必要最低限かつ当然のことをしただけ。
それだけだ。
「……しっかりしろよ、俺。」
思わず、独り言がこぼれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます