ホットゆず



(やっぱ俺、向いてないわ……。)


 

 今日は、受け持っている仕事の関係者が集まる、定例の会議の日。


 こういうのって、それぞれがそれぞれの “思惑” をもって挑んでくるから……しばしば意見が衝突する。

 

 結局、ゴール地点が見えないまま、今日は時間切れになって。宿題だけが増える結果となって……今に至る。



「はぁ……。」



 そんなこんなで。

 

 こうして無力感に打ちひしがれながら。

 帰りの電車に揺られている次第である。


 

「……。」



 ふと、昨日の高森の笑顔が脳裏に浮かぶ。


 俺を見つめる、澄んだ瞳。

 月明かりに揺れる、透き通った髪。


 「美しい」って言葉は、

 ああいうのを指して言うんだろうな……。


 

 ……。



 いかんいかん。

 現実逃避してる場合じゃない。


 

 でも最近、高森のことを考える時間が増えていることも事実だった。おそらく俺にとって、それだけ高森という存在は大きくなってきているんだろう。



 実際……仕事のことでこんなに凹んだ帰り道だというのに、頭の片隅で “今日は何を話して帰ろうか?” なんて、悠長なことを考えていたりする。


 その点で、今の俺にとっての高森という存在は “生きる糧” になっているのかもしれない。

 


(感謝しないとな……。)



 いつもの電車に揺られながら。

 そんなことを思った。




   ◆◇◆◇




「くしゅっっ!」


「……風邪か?」



 そして。


 いつものように合流して。

 いつもの帰り道。

 

 隣を歩く高森が突然、

 くしゃみをした。 



「いえ。風邪は引いてないです。ちょっと寒いかも……ですが。」


「……たしかに。最近、朝晩は冷え込むようになってきたよな。」


「そうですね……。」



 そう言いながら、高森は片手を口元に寄せると「はぁ~っ」と息を吹きかけている。


 学校指定と思われる制服姿。

 足元はスカート。


 ……たしかに、その恰好じゃ寒くなってくる時期だろうな。そろそろ。



「コートとか、羽織ったりしないのか?」


「もちろん、寒くなったら着ますよ?……ただ、今朝は暖かかったので。ちょっと油断したかもしれません。」


「なるほど。確かにね……。」


「幡豆さんは、寒くないんですか?」


「俺?……まだ寒いとまでは思わないかな。俺、暑がりなんだよ。」



 ……俺は現状、ワイシャツにジャケット。当然、寒くはない。むしろ「やっと快適な季節がやってきた」と安堵しているくらいだ。



「逆ですね……。どちらかというと寒がりなんだと思います、私。例えば、真夏でもクーラーの風が当たる場所は苦手で。上着は手放せないですね。」


「マジで?俺、クーラーの前に陣取って、思いっきり冷風浴びるのが大好きなんだけど。」


「ふふふっ。じゃ幡豆さんと私、一緒に暮らそうとしたら大変そうですね。」


「……。」



 ……想像してしまった。

 

 半袖のTシャツ姿で、

 キンキンに冷えた麦茶を飲む俺。


 その隣に厚手の長袖姿で、

 湯気の立つ湯呑みを傾ける高森。



 ……。



「アンバランスだな……。」


「そうですね。真夏と真冬が混在してます。」



 高森も似たような想像をしたらしい。

 クスっと笑いながら、言葉が返ってきた。


 でも……たしかに。


 他人と一緒に暮らすって、相手のことを気にしなければならないから大変だ。食にして環境にしても、それぞれ好みがあるから――



 ……チクリと、胸が痛む感覚。



「……どうかしました?」



 気づけば高森は、俺の顔を覗いていた。どうやら俺、不自然に黙り込んでいたらしい。


 

「いや。何でもない。ごめんごめん。」


「そうですか……?」



 いかんいかん。


 せっかく会話が続いていたのに。

 流れを切ってしまったではないか。



 ……。



 そこで。

 ふと “あるもの” が目に入った。

 

 ……そうだな。たまにはそういうのも良いかもしれない。



「ごめん。ちょっと寄り道していい?」


「?」



 そこにあったのは、自販機。自転車を止めてコーヒーのボタンを押すと、スマホをかざす。


 ボタンの上には

 『つめた~い』の文字。


 “ガシャン!” という落下音とともに落ちてきたアイスの缶コーヒーを取り出すと、高森に声をかけた。



「どれがいい?」


「え?」


「いいよ。どれか好きなのどうぞ?」


「えっと……。」



 ワンテンポ遅れて俺の意図を理解したらしい高森の手が、遠慮がちに伸びて。そこにある一つのボタンを押した。


 ボタンの上には……やっぱり

 『あったか~い』の文字。


 再びスマホをかざすと、“ガシャン!” という落下音とともに小さなペットボトルが落ちてきた。



「……ホットゆず?」


「はい。私……これ好きなんです。」


「いかにも真冬の飲み物というか……あまり見かけないな。それ。」


「そうですね……。冬以外は売ってないです。だから、寒いのは苦手ですけど、冬が来るのは楽しみなんですよね、私。」


「……現金なやつ。」


「ふふふっ。」


「じゃ、飲みながら帰るか。」


「はい。ごちそうさまです。」



 そのまま二人、もう一度歩き始める。



 俺の手には『つめた~い』のコーヒー。

 高森の手には『あったか~い』のホットゆず。

 

 実にアンバランスな組合せだけど……。




「……。」


「どうかしました?」


「……いや。何でもないよ。」


「?」




 ……振り返った自販機。

 そこに。




 『あったか~い』と『つめた~い』が

 仲良く並んでいた。



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