第3話 秘匿しきれぬ想い

「……へゃ?」


 貴方を覆う影に気づき、貴方は可笑しな声をあげながら、私を見上げる。

 可愛らしい瞳を目一杯広げて驚くその表情に合わせ、私は、しまったという様に、わざとらしく声をあげる。


「あっ」


 1秒、彼と私は見つめ合い、2秒、彼はハッとし、手から鉛筆を落としながら、机に置かれた手帳を急いで閉じる。


 焦っている……彼の動作は、とても予想通り……むしろ、予想以上。

 これならば、彼の思考に、私を捩じ込む事も容易い。


 私は、お淑やかな少女を演じながら、次の行動に出た。


 「あっ、鉛筆──」


 私は、彼に聞こえる様にそう言いながら、落ちた鉛筆を拾うために屈む。

 身長が高い故だろう、ただ屈んで、鉛筆を拾う。

 その動作だけでも、他の人よりも数秒遅い。


 だから、焦った彼の思考に、私の動作が入り込む。

鉛筆に伸びるもう一つの手を見て、私はそう思っていた。


 互いの手指が、かすかに触れる。

 私は、ピクリと手を引っ込め、彼の方を見る。

 その動作に、彼が引っかかり、彼もまた私の瞳を見つめる。


「あっ……あえっと」


 彼は、私の瞳を見つめ、また可愛らしく動揺した表情を見せる。

 そんな彼の表情に応える様に、私は、困った風を装った作り笑いを浮かべ、床に落ちた鉛筆を拾い上げる。


「はい……これ」

「あっ、あの……ありがとうございます……ヘビ先輩」

「いいのよ、蛙声あせいちゃん」


 二年生の、あせいちゃん。

 小さくて、童顔で、だけどちゃんと男の子な、可愛い子。

 彼とは通学路が一緒で、時折、他愛もない会話をする事が、多々あった。


 そんな彼に惹かれた理由は、一目惚れ。


 卵を好む蛇が、生まれた瞬間からそう決められていた様に、理由はそれだけ……とても強烈で、単純な理由。


 座ったまま鉛筆を受け取る彼に微笑み、私は、チラリと手帳に視線を落とす。


「……ね、上手く描けたかしら?」

「へ?え?あ、はい!」

「少し、見てみても良いかしら?」

「え……えっと」


 私の提案に、彼は口籠もり、チラリと手帳に視線を落とす。


 ……あぁ、なんて下手で、愛らしい秘匿をする子なのかしら。


 手帳に描かれた物なら、適当なページを開いて見せれば、その場は凌げるのに。

 そんなに美味しそうな隙を見せられたら、私の加虐心がくすぶって、火がついてしまう。


「……私の裸、描いてたでしょ?」

「え……!?あっ!え、いや!描いてません!ほんと!裸なんて!!」

「うそ。だって、感じたもの。美術室の窓から、貴方のいやらしい視線を」

「……っ!あ!そ、そうだ!これ!これ見てくださいよ!」


 そう言って彼は、必死な顔をして、手帳を開き、私に見せる。

 その手帳には、描かれた。

 貴方の瞳に映った、私の姿が。



 ……ふふ、知っているわ。

 貴方の描いたその絵に、邪でいやらしい感情なんて、一切無いことに。


 だから、だからね、いやらしくしてあげるの。

 貴方の絵を、感情を、私の言葉で……私の、邪な気持ちで、その絵を、染めあげるの。


 私は、彼の描いた私を見て、色欲で火照った頬を、恥ずかしさで染まった様に見せ、彼に囁く。


「綺麗……弓を引く私の体が、はっきり分かるわ」

「ありがとうございます!でしょう?頑張って描いたんです!」


 ふふ、良いのかしら?褒められた子犬の様に、そんなに喜んでしまって。

 いけない事なのよ?ヘビの言う事を、真に受けてしまうのは。


 ヘビが本性を見せた時、逃げられなくなってしまうから。


「……でもね、あせいちゃん」

「あ、はい?」

「……私ね、こんなにお尻、おっきくないわ」

「……っ!?あ……あの、ちが、違うんです!これはその、デッサンが狂って!けっしてその……ヘビ先輩を……その……」


 必死に言い訳をしていた筈が、段々と自分の気持ちに疑惑を孕ませていく彼を見て、私は、思わず視線を逸らした。


 あぁ、あぁ……愛おしい。


 少しばかり、いやらしい私の本性を見せたと言うのに、貴方は気づいていない。

 そればかりか、私のいやらしい毒牙に当てられ、邪な視線で私を描いてしまったのではないかと、貴方は勘違いをしてしまっている。


 あぁ、もう、だめだ。

 これ以上抑えられない。

 少しでは、鎮まらない。

 この火照りを……秘匿したこの本性を、彼に曝け出し、鎮めなくては……。


 でなければ、目の前で固まっている貴方獲物を、味わう間もなく、一飲みにしてしまう。


「……ねぇ」

 もう、我慢できない。

 脳漿が、脊髄が、心臓が、胎の虫が「コイツを呑め」と、逆らう気力すら湧かない、絶対的な命令を下す。


 私は、焦って固まっている彼の肩に手を置き、机と椅子の間に、私の大きな体躯を捩じ込む。

 驚いた彼は、目を見開き、手帳を腹に抱き抱えて、私の瞳を見つめる。


「へ……ヘビ、先輩?」

「……ね、あせい君」

「っぁ、ぁぃ」


 私は、蛇に睨まれた貴方の表情を観ながら、貴方の太ももに、ゆっくりと腰を下ろし、肩に手を回す。

 ……可愛く、小柄な貴方の上に、大柄で、威圧感すら感じる、そんな私が座る。


 「あっ……んぅ……!?」


 突然の出来事に、貴方は苦痛と羞恥心が入り混じった声を上げる。


 それが私の耳を伝い、私の感情に、理性が叫び声をあげる。


 だめ……これ以上は。


 そんな一縷いちるの理性も、火照りに支配された私には、届かない。

 私は、ぐりぐりと、自分の腰を貴方の腰に擦り付けながら、貴方の耳元で囁く。


「大きく、ないでしょ?」

「あっ……はい……!」

「うそ……」

「嘘じゃ……ない、です」


 美味しそう……。


「ねぇ……今週の土曜日、貴方の家にいかせて?」

「……え?」

「……本当の私を、貴方に描いて欲しいの」

「えっと……その──」


「返事は……明日お願い」


 そう言って私は、貴方の腰から離れ、立ち上がる。


 鎮まれ、鎮まれ。

 まだ、食べてはいけない。

 もっとじっくり。

 もっと味わって。


 思考で私の本能を騙し、私は、早歩きで美術室を後にする。

 戸を閉めるその瞬間、彼の呆気に取られた顔が映るが、食べてはいけない。

 そう言い聞かせて、前へ前へと進める足を早めていった。



「……すけべ」



 私と彼の恋路を邪魔する、邪な蛇に、そう呟いた。

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