第26話:文化祭といえば、メイド喫茶な件


 今さらの説明になるが、僕たちが通う聖西学園は、某宗教団体が母体となっている中規模以上の私立高校である。

 三年前に校舎が新築され、設備は最新。私立ということもあり、通っているのは比較的裕福な家庭の生徒が多く、校内の治安も悪くはない。

 この地域ではそこそこ名の知れた進学校でもあり、入学希望者も多い人気の学校だ。


 そんな聖西学園では、行事にも力を入れている。

 高い授業料を支払っている保護者たちへの配慮として、彼らも参加できるイベントを頻繁に開催しているのだ。


 文化祭もその一つである。


 この日ばかりは校門が広く開かれ、外部の人々の出入りも自由となる。

 校舎の内外を埋め尽くすように立ち並ぶ多種多様な出店の光景は、まさに圧巻だった。


「これはなかなか……壮観ですね」


 呆気に取られたように呟くのは唯ちゃんだ。

 これまでずっと入院しており、文化祭というものを直に体感したことがなかった彼女はキョロキョロと派手に飾り付けられた出店を見ながら目を輝かせていた。


「あぁ。すごい賑わいだな」


 イベントごとにはあまり興味を示さない十六夜蓮でさえ、少しばかり目を見張っていた。

 確かに昨日の昼の時点では、ここまで出店が揃ってはいなかった。

 その後、夕方までかけて準備を進め、さらに今朝も早くから登校してここまで仕上げたのだろう。


 かく言う僕も、文化祭の準備と結界の破壊を並行して進めていたため、ここしばらくはかなりハードな日々を過ごしていた。

 だからこそ、こうして無事に当日を迎えられたことに、まずは安堵と喜びを覚える。


 ――考えなければならないことは山ほどある。

 これからの展開のことも、不穏な予感も、全部だ。

 だが、それは今ではない。

 今だけは、それらすべてを思考から追い出しておこう。


「運命の日、か……」

「先輩?」


 今日という日を迎えるために、僕はあらゆる手を尽くしてきた。

 霧島レイの術式を潰して回ったのだって、別に世界のためじゃない。

 今日という日を、邪魔されずに迎えるため。それだけの理由だ。


 どうでもいいんだ。世界のことなんて。

 僕はただ、今日を迎えられればそれでいい。


 それで、いいのだ。


「僕は今、改めてこの世界に生まれたことに感謝している。アーメン、ラーメン、もう一回アーメン」

「……せ、先輩?」


 唯ちゃんが、珍しく本気で引いたような目でこちらを見てくるが、それすらどうでもいい。


 どうでもいいんだ。彼女の冷たい視線なんて。

 僕はただ、今という瞬間があればそれでよい。


 それで、いいのだ。


「……先輩。いつにも増して気持ち悪いんですが。どうしてそんなにテンションが高いんですか?」


 えらくストレートな暴言を浴びせられた気もするが、今の僕には痛くもかゆくもない。

 この胸の高鳴りは、他の何物にも代えがたいのだ。


 僕は拳を高々と掲げ、叫んだ。


「どうしてって、そんなの璃奈のメイド服姿が見られるからに決まってるじゃないか‼」


 メイド服。そう――あの、メイド服である。


 ふとした瞬間に忘れそうになるが、この世界は18禁のゲームだ。

 そして舞台は現代の学校。

 そこに文化祭というイベントがあれば当然、あるに決まっているだろう。

 ヒロインのメイド服お披露目会が……!


 璃奈のクラスの出し物がメイド喫茶であることは既に確認済みだ。


 原作でも目を皿のようにして画面に食いついていたこの僕が、前世の記憶を取り戻した今! リアルで見られる機会を逃すわけがあるだろうか? いや、ないッ‼


 僕の心の内で燃え上がった情熱を感じ取ったのか、唯ちゃんは顔を引き攣らせた。


「……キモい。キモいですよ、先輩。本当にキモいです」

「三回も言う⁉」

「だって、本当に気持ちが悪かったですもん」


 拗ねたようにそっぽを向きながら罵倒を吐く唯ちゃん。


「……そんなんだったら、うちのクラスもメイド喫茶にすればよかった」

「えっ? 何か言った?」

「なにも言ってません!」


 顔を真っ赤にさせながらノーモーションで脛に蹴りを放ってくる唯ちゃん。

 いつもならまともに受けて悶絶しているところだが、生憎と今日の僕は一味違う。


「甘いな!」

「うえっ⁉」


 唯ちゃんの蹴りの矛先である右足をヒョイと持ち上げ、華麗に攻撃を回避する。

 自身の脚が空を切った唯ちゃんは変な声を上げてバランスを崩し掛けた。


「ハハハ! その程度の攻撃で僕を仕留めようなんて、甘いね! うちのクラスのキャラメルポップコーンより甘いよ! ちなみに、中庭で出店しているからよろしくネ!」

「う、うわぁ……テンションと一緒に身体能力も上がるってなんなんですか……? 本当に気持ちが悪いですよ、先輩……」


 ドン引きしながら距離を取る唯ちゃん。心なしか、隣にいる十六夜蓮も引いた目で僕を見ている気がする。

 でも、今日の僕は無敵だ。そんな視線、まるで気にならない。


「まぁ、そんなわけで僕は璃奈がシフトの間にメイド服を拝みに行ってくるから、後で合流しよう。唯ちゃんのクラスのお化け屋敷も気になるしさ」

「……ふん。精々、破廉恥な衣装を楽しんでくることですね。私のクラスのお化け屋敷は別格ですよ? モルヴェリアさんとも意見を出し合って作り上げた最高傑作なんです。絶対に先輩をぎゃふんと言わせてやりますから!」

「いや、それはマジでヤバいやつでは……?」


 人の恐怖を餌とする悪魔の中でも最上位である四騎士が監修したお化け屋敷? 

 恐ろしいどころの騒ぎではない。

 絶対に、間違いなく、滅茶苦茶怖い。


「ごめん。そういえば僕、お化け屋敷に入ると体調が悪くなる病を持っていて――」

「さぁ、そうと決まれば早速暇つぶしに行きますよ兄さん! 私は隣のクラスの愛ちゃんがやっている焼うどん屋さんが気になります!」

「お、おい! 手を引っ張るなって! あっ、地藤! 俺たちのクラスのポップコーン屋のシフトも忘れるなよ! こら唯! 引っ張るなって!」

「楽しんで来てね~」


 相変わらず仲良さそうな兄妹に手を振って一時の別れを告げる。

 ごめんね、唯ちゃん。一緒にお化け屋敷行くって言ったけど、その約束はドタキャンさせてもらいます。まだ死にたくないので。


 ……いや、死にはしないんだけどね。




♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰




 十六夜蓮も言っていた通り、僕のクラスはポップコーン屋を出すことになった。

 ところが、クラス内にはやたらと文化祭に情熱を注ぐ“出店ガチ勢”が何人かいて、彼らがシフトの大半を埋めてしまっていた。

 そのおかげで、僕や十六夜蓮は意外と暇な時間が多く、実にのんびりした構成となっている。


 何ともラッキーな展開――と言いたいところだが、実はこれは、十六夜蓮が各ヒロインの出店をスムーズに巡れるように設定された、いわゆる“メタ的ゲーム構造”の恩恵にすぎない。


 彼と同じクラスだった僕も、その仕様にうまく便乗できたというわけだ。

 結果として、夕方にちょっとだけシフトがある以外は、ほぼ自由時間という夢のような待遇を受けることができた。


 まさに主人公様様である。

 ありがとう、蓮君。

 その調子でじゃじゃ馬妹のご機嫌を取っていてくれ!


「……さて、行くか」


 大きく深呼吸をし、何故か緊張している自分に喝を入れて歩みを進める。

 向かう先はもちろん、璃奈がいる五組のメイド喫茶だ。


 階段を上り、校舎内を進んでいく。

 現在の時刻は9時。

 一番お客さんが増えそうな正午のシフトでないのは、あまりにも人気が出過ぎてカオス状態になるのを防ぐためらしい。


 実際、去年に璃奈が接客をしていた出店は外部から来た他校の生徒や大学生集団にナンパされ続けて大変な目に遭ったらしいので、やむを得ない処置だろう。


 僕としても、あまりそういった輩に絡まれて欲しくないという独占欲のようなものがあるので、非常にありがたい判断だ。

 璃奈のクラスメートたちには感謝しないとな。

 ……何故か女王のように君臨して冷たい目でクラスメートたちをカリスマで従わせている光景が脳裏に浮かんだが、きっと気のせいだろう。うん。


 僕の彼女は、そんなことしません。


 ……えっ、しないよね?


 よく分からない疑念と悪寒に苛まれながら歩みを進めていると、いつの間にか五組の前まで到着していた。

 やはり「メイド喫茶」というコンセプトはインパクトが大きいのか、既に結構な人数が訪れているようだ。


 順番に並んでいた僕は番号で呼ばれ、期待に胸を膨らませながら五組の扉を開いた。



♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰



「お帰りなさいませ、ご主人様」


 凛とした声が、まるで鐘の音のように空気を震わせる。

 ドアを開いた僕の視界に飛び込んできたのは――完璧すぎる天使の姿だった。


 清潔感のある白と黒を基調にしたメイド服。

 首元には控えめなリボンが結ばれ、胸元から裾にかけてふんわりとしたフリルが贅沢にあしらわれている。

 肩のラインはしっかりと強調され、ウェストはキュッと引き締まっており、スタイルの良さが際立っていた。


 裾は太ももの中程までしかないミニスカートで、すらりと伸びた脚には黒のハイソックス。

 絶妙な長さのソックスが、素肌との境界線――いわゆる絶対領域を完璧に演出している。


 普段の制服姿ももちろん美しいが、この衣装の天羽璃奈はもはや反則レベルだった。

 姿勢も完璧。自然なお辞儀の角度、仕草一つとっても隙がなく、まるで本物のメイドのようだ。


 それでも唯一、彼女らしい部分があるとすれば――

 目を合わせた瞬間、ほんの少しだけ照れたように赤くなった頬だろう。


 普段は何事にも動じない璃奈が、わずかに恥じらいを浮かべるその様が、たまらなく可愛かった。


「……ご主人様?」


 不意に首をかしげられて、我に返る。

 危ない、危ない。

 危うく意識を天国に持っていかれるところだった。


「え、えぇと。一名……大丈夫ですか?」

「もちろんです。こちらへどうぞ、ご主人様」


 ほほ笑む璃奈に手招きされ、ふわりとスカートが揺れるのを見ながら、教室の中――もとい、メイド喫茶の世界へと足を踏み入れた。


「こちらにどうぞ」


 席まで案内され、すっと椅子を引いてくれる。ごく自然な所作。

 こういう気配りをさらりとできるのが、やっぱり璃奈らしい。


 席に着くと、璃奈は可愛らしい手描きのメニューを差し出してくれた。


「どうぞ、お決まりになりましたら、お呼びくださいませ」

「……ありがとう。あ、メイドさん」

「はい、なんでしょう?」


 僕はメニューで顔を隠すようにして、そっと声を潜める。

 距離が近づく。彼女の甘い香りがふわりと漂う。


「メイド服、滅茶苦茶似合ってる。……マジで、反則級に可愛いよ」


 璃奈は、ほんの一瞬だけ目を見開いたが、すぐに小さく微笑んだ。


「――ありがとうございます」


 そして今度は彼女の方から、そっと僕の耳元へと顔を寄せてくる。


「……ご主人様」


 その言葉が、あまりにも甘く、優しく、そして艶めかしく響いた。

 ゾクリと背筋を走る快感。


「注文、決まりました」

「お伺いいたします」

「このお店で一番高いやつで」

「えっ……あっ、いや。かしこまりました……」


 何故か注文した時だけ何とも言えない表情を浮かべていたが、すぐに完璧スマイルを浮かべた彼女が注文を厨房へ伝えに行く後ろ姿を目で追いながら、僕は思った。


 ああ、これが天国か――と。


 もう世界とかどうでもいいな。うん。

 だって、ここが天国なんだから。

 幸せでニヤニヤしながら水を飲む。

 うん。なんでか知らないが、ただの水ですら最高に美味い。

 これはさぞ、料理の方も美味しいに違いない。


「あれ、そういえば、一番高いメニューって何なんだろう?」


 カッコつけて頼んだはいいものの、肝心の頼んだメニューの内容を知らない僕は慌ててメニュー表を開く――が、その必要はなかった。

 予め準備されていたのだろう。

 軽やかな足音と共に、メイド服姿の璃奈が料理を片手に現れた。


「お待たせしました。ご主人様のご注文、“メイド喫茶・聖西スペシャルオムライス”になります」


 璃奈はそう告げながら、プレートを僕の前に丁寧に置いた。


「オムライス……」


 いつも通り、璃奈お手製の朝食を平らげてきた身として、ややキツイメニューではあるが、幸いにも量はそこまで多くないので完食は難しくないだろう。

 それよりも気になるのは、璃奈が手に持っている赤いケチャップの小瓶だ。


 メイド喫茶。

 メイドさん。

 オムライス。

 ケチャップ


 ここまでくれば誰にでも分かる。


「……えっと、その。メニューの決まりで……その、仕上げに“おまじない”を掛けなきゃいけなくて……」


 璃奈は頬を朱に染め、視線を泳がせている。先ほどまでの完璧なメイドムーブから一転、急に挙動不審になった。

 僕は腕を組んで頷いた。


「なるほど。“例のアレ”だね?」

「う……うん。でも、やっぱりこれはちょっと恥ずかしいんだけど……」


 璃奈がケチャップをギュッと握りしめたまま、目を伏せて小さく震えている。

 分かる。分かるよ、璃奈。

 君の性格的に、これは死ぬほど羞恥プレイだろう。


 だからこそ――見たいのだ。


「お願いします、メイドさん。美味しくなる呪文……ぜひお願いしたいんです」

「やだ……そんな、目をキラキラさせないでよ……っ」


 かなり抵抗がある様子だったが、熱心に頼み込めば、璃奈は折れてくれた。

 声を震わせながら、意を決したように深呼吸を一つ。

 そして――


 真っ赤な顔のまま、ぷるぷる震えながら手に持ったケチャップをオムライスの上に掲げた。


「……お、おいしく……なーれっ、萌え萌え――きゅん……♡」


 最後の「きゅん」が、めちゃくちゃ小声だった。

 でも、それがまた破壊力を増幅させる。


「……どうぞ、召し上がれ」


 両手で顔を隠して項垂れる璃奈。

 けれどその手の隙間から覗く頬は、火がついたように真っ赤だった。


「いただきます」


 僕はこの世の全てに感謝し、菩薩のような顔で両手を合わせてスプーンを手に取った。


 ちなみに、オムライスは死ぬほど美味かった。



♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰



「ごめん、優斗君! お待たせっ!」

「全然待ってないよ」


 メイド喫茶を心行くまで堪能し、お店を出てから一時間後。

 僕はようやくシフトから解放された璃奈と合流した。


「実は思っていたよりもポップコーンが売れてさ。さっきまで救援要請を受けてシフトに入っていたんだ」

「そうだったんだ! なら、折角だし、優斗君のクラスのポップコーン買いに行こうか」

「おっ、いいね! 今の時間はちょうど蓮君がシフトのはずだし、揶揄いに行こうか」


 制服姿に戻った璃奈と一緒に手を繋いで歩く。

 メイド服姿があまりにも似合っていたのでまた見たい欲求はあるが、あぁいうのは偶に見れるからいいのだろう。

 こうして制服姿の彼女と文化祭を回れるだけ僕は幸せ者だ。


 璃奈を先導し、僕たちは中庭で繁盛している自クラスのポップコーン屋さんにやって来た。


「いらっしゃいませ――って、なんだよ。冷やかしに来たのかよ」

「いやいや、善良なお客さんだよ。真面目に働いてる~?」

「働いてるよ。どっかの彼女連れと違ってな」

「それは結構」


 相変わらず盛況なお店の前に璃奈と並ぶと、一生懸命ポップコーンを掬って容器に入れていた十六夜蓮が呆れたような眼で見てきた。


「唯ちゃんは?」

「クラスの友達と一緒に出店を回ってるよ。午後からシフトだし、お化け屋敷にも行ってやってくれよな」

「あぁ……行けたら行くよ」

「絶対行かないやつじゃねぇか」


 呆れたように首を振りながら、十六夜蓮は看板を指さした。


「ほれ、後ろにもお客さんいるからさっさと注文してくれ」

「分かったよ。璃奈、どれが食べたい?」

「優斗君が食べたいものでいいよ」

「いやいや、ここは璃奈が食べたい物にしてよ。僕はどうせ売れ残ったポップコーンを食べさせられることになるし」

「「「あぁん?」」」

「怖っ!」


 売れ残る発言をした瞬間、働いていたクラスメートたちから殺気をぶつけられる。

 いや、ごめんて。

 璃奈に気を遣わせないための冗談ですやん……。


「フフッ、そういうことなら、選ばせてもらうかな。えーと……」


 美しい頤に人差し指を当てながら思い悩む璃奈。こじんまりした出店の前で注文を悩んでいるだけなのだが、異様に様になっている。

 思わず見惚れていたが、彼女は思いのほかすぐに注文を決めた。


「それじゃあ、キャラメルポップコーンを一つください!」

「あいよ! ――キャラメルポップコーン一丁ォ!」

「それはポップコーン屋さんの掛け声として正しいのか……?」


 ラーメン屋の店主みたいな野太い声でキャラメルポップコーンのオーダーを店内に伝える十六夜蓮。


「「「キャラメルポップコーン~~~~一丁ッ!!!」」」

「……なんだこのノリ」

「面白~い!」


 良く見れば、額に鉢巻を巻いている奴もいる。

 何屋さんなんだよここは……。


 呆れている僕に反し、璃奈はキャッキャッと手を叩いて嬉しそうだ。彼女が楽しんでいるのならいいのだが、これ、僕もシフトの時にやらなきゃいけないんだよね......?


 昨日の時点ではこんな挨拶をするルールはなかったから、順調に売り上げて楽しくなってきて、いつの間にか定着したのだろう。


「キャラメルポップコーンお待ちどうさまァ!」

「ありがとうございます!」

「どうも」


 僕はオムライスで少しお腹が膨れているので、ポップコーンは一つ分でいい。

 璃奈がキャラメルポップコーンを嬉しそうに受け取るのを見て、僕たちは次の場所に行くべく出店に背を向けた。


「毎度ありぃ!」

「「「「毎度ありぃ!」」」

「あはは、優斗君のお店、面白いね!」

「あぁ……うん……」


 野太い声に見送られながら出店を後にする。

 まぁ、なんだ。

 楽しそうなのはいいんだが、僕のシフトの時までにはこの文化が廃れていることを切に願うよ……。



♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰



 その後も僕たちは、思い思いに文化祭の出店を回り続けていた。


 いつもなら、僕の「やりたいこと」を優先して動いてくれる璃奈だけれど、今日は少し様子が違った。

 既にお腹が膨れていたこともあってか、僕が特に目的を主張しなかったのがよかったのかもしれない。

 代わりに璃奈が、自分から「ここ行ってみたい」と次々に言ってくれる。


 彼女の望みを叶えてやるのが彼氏というもの。


 僕は璃奈の手を引いて、二人で学校中を巡りながら、文化祭という非日常を存分に楽しんだ。


 体育館で開催されていた軽音部の音楽ライブでは、思いのほか本格的な演奏に二人して驚かされ、生徒たちによる漫才ライブでは、息が詰まるほど笑った。


 旧校舎を改造して作られた迷宮脱出ゲームは、ギミックの完成度が想像以上で、二人で手を取り合って謎を解いていく時間は、まるでアトラクションのように楽しかった。


 美術部の展示では、璃奈が一点ずつ真剣に鑑賞しながら、感想を語ってくれる。

 そんな彼女の姿を見ていると、こちらまで感性が豊かになったような気がしてきた。


 マジックショーでは、目の前で繰り広げられる奇術の数々に璃奈が何度も目を丸くして、

 そのたびに僕の腕を小さく引っ張ってきたのが、なんだかくすぐったかった。


 普段は健康志向の璃奈も、今日は無礼講らしい。

 綿飴、ソフトクリーム、カステラ焼き……気になるものを見つけては買い、幸せそうに頬張っていた。


 ちなみに、璃奈は唯ちゃんのクラスのお化け屋敷にも行きたいと言ってきたが、それだけは断固として断った。

 僕がお化け屋敷にビビっていると思ったのか、「可愛い~」なんて喜んでいたが、違うんだよ。

 多分、本当に行っちゃいけない場所なんだよ、璃奈…。

 

「いや~、結構回ったね!」

「うん。これでもまだ全部は回り切れていないんだから、相変わらず凄い規模だよね…」

「ね! 特にあの迷宮脱出ゲームにはビックリしちゃった。かなり大きかったよね?」

「うん。まさか、旧校舎の跡地をあんな風に使うとは思わなかった。楽しかったね」

「うん!」


 いつもよりテンション高めの璃奈がご満悦な表情で、途中で買ったタピオカミルクティーを飲む。

 僕は若干疲れてきているものの、それを表に出さないようにしながら、お揃いのタピオカミルクティーを飲んだ。


 今、僕たちはいつもの屋上にいる。

 校庭も教室も人で溢れていて、ゆっくり座れる場所を探していたら、自然とここに辿り着いた。

 文化祭の喧騒が遠くに聞こえる中、こうして璃奈と二人で静かに過ごすのも悪くない。


「ねぇ、璃奈」

「なに?」

「楽しそうだね」


 ニコニコと笑顔を浮かべていた璃奈は僕の言葉にハッとした表情を浮かべた。


「ご、ごめん。私だけ浮かれちゃってた……?」

「まさか! 浮かれているのは僕もだよ。ただ、いつも以上に楽しそうにしてくれているから、嬉しかったんだ」


 変な勘違いをしている彼女の言葉を笑い飛ばしながら正直な気持ちを伝える。

 璃奈は目を丸くした。


「嬉しい……? 優斗君は、私が楽しそうにしていたら嬉しいの……?」

「もちろんだよ! 逆を想像してみてよ。璃奈は、僕が楽しそうにしていたら、嬉しい?」

「それはもちろん! ――あっ」

「うん。そういうこと。だからさ、もっと楽しそうにしていてよ。偶には自分に正直にさ」


 璃奈は恥ずかしそうに顔を伏せた。


「私はいつも正直に生きているつもりだけど……でも、うん。優斗君がそう言ってくれるなら、そうするよ」


 彼女らしい言い回しに笑みがこぼれながら頷く。

 それでいい。

 彼女が笑ってくれるだけで僕は救われるのだ。 


「さて、体力も回復してきたことだし、次はどこに行こうか」


 今日はまだ残っている。

 少しでも時間を無駄にしないために、回れるところは回っておこう。

 璃奈はまだまだ行きたいところがあるようだし。

 僕の提案を受けた璃奈は悪戯っぽい表情を浮かべて言った。


「お化け――」

「お化け屋敷はなしで」

「えぇ?」


 頬を膨らませて拗ねて見せる璃奈だが、冗談だったのだろう。

 すぐに笑顔に戻って次の提案を口にした。


「じゃあ、映画研究部の自主制作映画観に行かない? 優斗君、映画好きでしょ?」

「おっ、いいね。面白そうだ」

「決まりだね」


 璃奈は器用にタピオカミルクティーを綺麗に平らげてから立ち上がった。

 凄いな。僕は未だに、タピオカミルクティーを綺麗に飲む方法を知らないよ…


「映画研究部ってどこにあったっけ?」

「確か、第二校舎の二階だったと思うよ」


 パンフレットもないのにスラスラと答える璃奈。

 相変わらずの記憶力だ。


「よし。それじゃあ、向かうとしますか。――あっ、どうせだったらおつまみにうちのクラスのポップコーンまた買っていく?」

「いいね! 優斗君のクラスの売り上げにも貢献できるし、一石二鳥だね!」

「そうだね」


 あわよくば売り切れて、僕にシフトが回ってこないようになって欲しい…という心の奥底の邪悪な思惑は隠してニコニコと微笑む。


「さて、と。それじゃあ早速――あれ?」


 ワクワクが堪えきれない様子の璃奈を微笑ましく思いながら立ち上がった僕は屋上の出入り口に目を向け、思わず声を上げてしまった。


「霧島先輩?」

「……」


 そこには、霧島先輩が立っていた。

 非常に目立つ容姿をしており、オーラもあるので人混みの中でも見つける自信はあるのだが、今日は一度も見かけないと思っていたら、こんなところにいたのか。


「昨日ぶりですね、先輩。文化祭楽しんでいますか?」


 もう知らない仲でもないので、気さくに話し掛ける。

 ――と、ふいに璃奈に袖を引っ張られた。


「璃奈?」

「……優斗君、気を付けて。なにか、だよ」


 彼女の眼は文化祭をめいいっぱい楽しむ少女の眼から、悪魔を祓うエクソシストのそれに切り替わっていた。

 思わず気が引き締まる。

 歩みを止め、いつでも戦えるように袖口の柄を意識しながら霧島レイの様子を伺う。


 璃奈の言う通り、彼女の様子はどこか変に見えた。

 姿勢よく背筋を伸ばして立っているが――その姿が朧気に見える。

 霧の能力を使われたという意味合いではなく、存在そのものがゆらゆらと、揺らいでいるように見えるのだ。


「……地藤、優斗」


 霧島レイがゆっくりとこちらへ歩み寄って来る。

 少し低めの声で彼女は僕の名前を呼んだ。


「なんでしょうか?」


 警戒しながらも応じた僕に対し、彼女は今にも消え入りそうな声で要件を口にした。


「お前と結んだ契約の内容について、再度確認がしたい」

「契約の内容?」


 今更何を言っているのか。

 不可解ではあったが、僕は契約の内容を口にした。


「地藤優斗は霧島レイの願いを叶える。代わりに、霧島レイは現在契約している悪魔との契約を断ち切り、地藤優斗に従い、なおかつ、彼と彼の仲間である天羽璃奈、十六夜蓮、十六夜唯に一切危害を加えない――ですが、何か問題でもありましたか?」

「問題? フフッ、問題か……」


 フッとニヒルな笑みを浮かべながら――霧島レイは俯いた。


「……思えばあの時、どうして気が付かなかったんだろうな。私は馬鹿だ。こんな馬鹿だから、いつもいつも失敗するんだろうな……」

「先輩?」


 あまりにも様子がおかしい。

 心配になりながら問い掛けると、霧島先輩はゆっくりと顔を持ち上げてその赤い瞳で僕を見つめた。


「地藤、一つだけ私の質問に答えて欲しい――」


 別に構いませんが。そう答えようとした僕の口を遮るように、彼女は続きを口にした。


「――ただし、回答はYESかNOだけだ」

「……」


 頭の中が急速に冷えていくのを感じる。

 そうか。気が付いたか。

 気が付いてしまったのか。


「お前は、私の弟を蘇らせることが出来るのか?」

「……」

「答えろ……YESかNOで答えるんだッ!」


 いつの間にか、彼女の手には銀色の刀が握られていた。

 抜刀したそれを僕へ突きつけてくる。

 咄嗟に璃奈も銃剣を召喚して僕の前に出ようとするが、片手でそれを制した。


「優斗君……?」


 璃奈の声には答えず、霧島レイを真っすぐに見つめる。

 恐らくもう無理なんだろうと思いつつ、それでも僕は口を開いた。


「先輩、僕の話を――」

「お前の話はもう懲り懲りだッ! いいから私の問いに答えろ! 今、すぐに!」


 ほぼ絶叫に近い声だった。

 血走った赤い瞳が僕を射抜く。

 偽りは許さない。

 今にも泣きそうな顔がそう言っていた。


 ここまで、か。


 僕は心の中で溜息をつきながら、彼女の問いに答えた。


「NOです」

「ッ!」


 霧島レイの顔が歪む。

 彼女は憤怒の表情を浮かべ――刀を屋上の床に叩きつけた。


「あああああああああああああああああああああああああああああ――!」


 喉を潰すような叫び声が響き渡る。

 それは、獣のような声であった。

 魂を絞りつくすような、絶望と渇望に満ちた悲鳴だった。


「許さん! 許さんぞ貴様! よくも私を騙してくれたなッ⁉ 必ず八つ裂きにしてくれるッ!」


 彼女から膨大な魔力が溢れだす。

 憎しみに染まった瞳が真っすぐに僕を射抜いた。

 その尋常ならざる殺気を受け、璃奈が僕を庇うように飛び出して銃口を霧島レイに向ける。


「優斗君、あの人、殺していい?」

「いや、まだだ」


 淡々と殺害の許可を請う璃奈の言葉を却下する。

 そう。まだだ。

 明らかに手遅れと思われる状況だが、まだ最悪の状況ではない。

 しかし、どうしてこのタイミングでバレたのか……。

 違和感を覚えつつ、何とか彼女の理性を取り戻させるために言葉を紡ぐ。


「霧島先輩。僕に対する憎悪は分かりますが、冷静に考えてください。僕は貴女と“契約”を結んでいるんですよ。これを破れば、僕はペナルティを受けることになる。だから――」

「黙れッ! 貴様の話はもう懲り懲りだと言っただろう! どうせペナルティをどうとでもできる手段を持っているんだろう? もう、騙されないぞッ!」

「違います! そんな手段はありません! 僕は貴女と対等に契約を結んでいる! 僕は叶えられるんですよ! 貴女の願いを! 何故なら、――」

「黙れと言ったッ!」


 彼女の感情に呼応するように、肥大化した黒霧の塊が竜巻のように押し寄せる。


「優斗君!」


 璃奈は僕と密着しながら防御の秘術を唱えた。

 二人の周りが翡翠色の光で包まれる。

 それは黒霧を寄せ付けず、僕たちのことを守護してくれていた。


「ッ! 先輩! 貴女と僕の契約はまだ続いています! それはつまり、僕が貴方の願いを叶えられるということを世界が認めているということなんです!」


 僕は暴風のように吹き付ける暗闇の中、姿が見えない彼女に向かって必死に語り掛ける。


『私の願いは弟の蘇生、それだけだ』


 暗闇の中から彼女は低い声で願いを語った。

 それ以外にはない。

 それだけが願いだと、勘違いをして。


「違います! 貴女は勘違いをしている!」

『くどい! もうお前の話は聞かない! 私は、真の意味で私の願いを叶えてくれる者の側につく!』

「なにを――」


 何を言っているのか。

 既に結界は全て破壊された。

 現世に血の大公が出現することは出来ない。


 そのはずだが――悪寒が消えないのはなぜなのか。

 嫌な予感がする。

 何かをずっと見落としている感覚がある。

 それが何なのか最後まで思い出せないまま――


 不意に、僕の携帯が振動した。


 この緊迫した場面で携帯なんて見ている場合ではない。分かっている。だが、僕には予感があった。

 謎めいた感覚に導かれるようにポケットから携帯を取り出し、通話ボタンを押した。


『君が悪いんだよ? 僕の誘いを断るからさ』


 その瞬間、僕の耳に飛び込んできたのは、まるで恋人に拗ねるような甘ったるい声だった。


「はっ?」

『ちょっと拗ねちゃったからさ、君に嫌な忘れ物をプレゼントすることにしたんだ』

「いや、ちょっ――」

は頑丈でね。なんと四騎士にすら耐えた実績付き! だから――』


 悪魔は間を空けて、明るく、とびきり残酷な声で言った。


『――たっぷりを楽しんでね☆』


 通話は一方的に切れた。耳元には不気味な電子音だけが残る。

 あの悪魔――如月メフィラ。

 確かに、あの時点でブロックしていた。だが彼女にとってそれは、ドアに貼った紙きれ程度の障壁なのだろう。


「あ、あのクソ悪魔……!」

 

 罵倒を吐きながら、止まっていた頭が高速で回転し始める。

 そうだ。それを忘れていたんだった。

 病院で死王女が降臨した際に使用していた儀式結界。

 四騎士の降臨にも耐えたという最強の実績を誇る結界の柱。

 十六夜蓮によって2柱が破壊されたものの、残りの柱の行方にまで注意を払えていなかったが、いつの間にかされていたのだろう。

 つまり、これから起きるのは――


「先輩! 早まらないでください! そんなことをしたって弟さんは――」

『……私はもう、決めたんだ』


 僕の叫びは空しく、霧島レイの耳には届かない。

 彼女の姿は闇の中にありながらも、どこか決意に満ちていた。


『契約を交わした時のお前の言葉を借りよう――』


 彼女は、迷いを振り切るように宣告した。


『――ここが、決戦場だ』


 その瞬間だった。


 視界が、音が、空気すらが“異物”に塗り替えられた。

 紫色の瘴気が立ち昇り、校舎の壁も空も地面も、その全てが侵されていく。

 まるで、違う世界に放り込まれたかのように。


 この世ならざる場所が召喚されたかのように。


 そして――


「やれやれ、ようやくか。待たせてくれたな」


 血に飢えた、悪魔の声が響き渡った。

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